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Akira Sugihara

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殿堂入り

Akira Sugihara

年間500軒!酒場を放浪するせんべろキング

人間のニンゲンたる所以は、食と芸術と哲学とエロ! https://youtube.com/channel/UC7YN7Vy2UXFEmW94DV4BqAA YouTube観てネ♡ インスタ https://www.instagram.com/akirand0522/?hl=ja

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ラーメンモンタナ@秋葉原! 2024年6月10日にオープン! 神楽坂にある家系ラーメンモンタナの2号店! もんたよしのりとは関係がない! 20年前はエッチなお店が沢山入っていた雑居ビルの1階にオープンしてた。 ラーメン中盛@1,000円! ライス無料! 六角家を彷彿とさせるスープに鶏油が多めで好きな感じ。 麺はご存じ三河屋製麺。 ほうれん草多めなので、ほうれん草オンザライス&海苔巻きでライスが進む。 脳内BGMは必然的に「哀愁のヨーロッパ」がリフレインする。 サンタナだよっ‼️

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亀戸駅

インドカレー

タンドールバル カマル2号@亀戸! 8時ちょうどのあずさ2号に乗って行ってきた。 木場にある超人気インド料理店「カマルプール」の2号店の位置付け。 オーナーは京橋の名店「ダバインディア」出身なので、味はお墨付き! カマルランチ@900円! カレーの種類を追加すると100円。 ナンをゴルゴンゾーラナンに変更すると追加400円。 ランチを2つ頼んで、ひとつだけゴルゴンゾーラナンに変更してみた。 ここ数年は南インド料理が人気を博しているが、やはりタンドール釜で焼いたナンで食べる北インド料理もそこはかとなく美味しい! インド人シェフによるカレーは本格派! 味は本場、本物を追求しながら、接客や店内の清潔感などなど、日本人が気にするポイントを押さえている店はやはりクオリティーが高い! カマル系はそんなお店の代表である。

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かおたんラーメンエントツ屋@南青山! 麻布や六本木で遊んだ後は、かおたんラーメン! という世代も多い。 それほど陽キャでなかったボクでさえ、明け方のかおたんラーメンは懐かしい思い出である。 創業は昭和60(1985)年頃。 南青山と言ってもオシャレな立地とは程遠く、青山墓地と米軍基地に挟まれた陰湿な雰囲気が漂う場所だ。 ワンタンメン@1,100円! 雑味のない澄んだ綺麗なスープ。 そこに揚げたネギでコクを出している。 かおたんラーメンの「かおたん」とは「高湯スープ」の事で、台湾や中華料理におけるベースとなる上等なスープの事だ。 創業当時はお客さんもまばらだったらしいが、バブル期になると収録を終えた芸能人が深夜に呑みに来るようになったという。 その第一人者が、今は亡き桑名正博だったという。 『セクシャルバイオレットNo.1』!

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三越前駅

天ぷら

てんぷら天松@日本橋! 1936年(昭和11年)に渋谷道玄坂で創業。 1948年(昭和23年)に現在の日本橋北詰に移転したとの事。 花てんぷら定食@2,090円! 海老2本、キス、イカ、アスパラ、茄子、最後のかき揚げはかき揚げ丼にしていただいた。 職人さんがカウンターの目の前で揚げてくれ、揚げたてあつあつの天ぷらを頬張るのは至福である。 何万円もする高級食材を使った料理が必ずしも贅沢とは言えない。 日本橋川を眺めながら、今、目の前で一つ一つ丁寧に揚げてくれた天ぷらを熱いうちにいただくライブ感がなんとも贅沢なひと時である。 お店の入り口付近に昭和30年頃と思われる日本橋北詰付近の写真が飾られている。 都電が往来しまだ首都高がなく、現在よりも随分と開放感がある。 東京の急激なモータリゼーション化と東京オリンピック開催に向けて架けられた首都高だが、江戸から続く日本橋の上に架けてしまったのは江戸・東京史はじまって以来の愚策であった。 権利などの問題から河川や運河の上に通さざるを得なかったらしいがなんとも無粋である。 しかしながら、首都高の老朽化と都民の声により、日本橋の頭上を走る首都高は地下へ通す事が決定した。 現在首都高で蓋をしてしまっている日本橋川だが、首都高がなくなると川面の風が都心部を吹き通り、真夏の気温が2℃前後低くなるらしい。 完成は2040年。 非常に楽しみだ。

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末広町(東京)駅

そば(蕎麦)

【2024年6月27日閉店】 きぬそば@末広町! 上野広小路と秋葉原のちょうど中間に位置する末広町は、立ち喰いそばの聖地とも言える。 1970年に「株式会社そばのスエヒロ」が誕生し、翌1971年にこの地に「スエヒロ」を開店。 その後、「株式会社そばのスエヒロ」の直営ブランドとして「六文そば」が上野広小路、昌平橋、須田町と末広町周辺に増加していった経緯がある。 立ち食いそば屋という業態は、高度成長期の多忙を極める中での薄利多売が必要だったため、意外な事に人口過密な都心部に多い。 厳密に「都心」を定義すると、中央区、千代田区、港区の3区に限定されてしまうが、昭和の高度成長期時代の「都心」は、実際には現在よりやや東側にずれていたと指摘したい。 港区の新橋より西側は、東京タワーができてから栄えたと言っても過言ではなく、逆に末広町から上野公園下は江戸時代から商業が栄えていた。 「きぬそば」の前身であった「カレーの南海」が、まさに六文そば誕生と同じ1971年に末広町に開店した。 かつて近隣の秋葉原駅前には、神田青果市場-通称やっちゃ場があり、市場で働く男たちの胃袋を掴んでいた事は間違いない。 やっちゃ場は、平成2年(1990年)に大田区に移転したが、「きぬそば」はそれから30年以上も近隣労働者の台所として全うした。 2024年6月27日午後2時30分閉店