Akira Sugihara TOP USER

Akira Sugiharaさんの My best 2022

シェアする

  • facebook
1

福岡県

うなぎ

Akira Sugihara

吉塚うなぎ屋@博多中洲! このお店をRettyに書けた事だけでも神様に感謝したい。 あの森田一義(タモリ)氏が「宇宙一美味いうなぎ」と絶賛する名店中の名店! 吉永小百合は吉塚うなぎに改名するべきである! って、ぐらい美味い! 明治六年(1873年)創業! まもなく150年の歴史を刻む老舗。 うなぎの流儀はいわゆる関西風。 上野・浅草のうなぎの名店を知って育った身としては、関東風の方が美味いと自負していたが、良い意味で裏切られた。 武士の多い江戸では、うなぎの腹開きは切腹に通じ、逆に商売人の多い関西は腹を割ると縁起を担いだのは有名な話。 関東風が焼く前に蒸すのは、当時の江戸前のうなぎは脂が多過ぎたと考えられている。 参勤交代等で人口が過密になった江戸では、河川に流れ込む生活排水が過剰となり、河川自体が栄養過多となって、そこに棲む魚も肥満化したという。 当時の日本人は脂っこい食べ物をもともと好まず、また脂が乗り過ぎたうなぎは炭火で焼いている途中で身割れしてしまうため、一旦蒸すという方法が考えられたらしい。 吉塚うなぎのうなぎは関西風で、厳選した高品質のうなぎを使用する事はもちろんだが、焼きの段階で「こなし」という独自の技を加えている。 焼きながら揉み・叩く「こなし」を入れる事で、うなぎからにじみ出た脂で表面がムラなく焼き上がり、うなぎそのものもふっくらとなるらしい。 オススメメニューは特うな重(4380円)で決まり!せっかくの吉塚うなぎなら、迷わず最上のものを注文したい。 5,000円でお釣りがくるなら、むしろ安過ぎるくらいだ。 あっくん、大絶賛! 吉塚うなぎバンザイ!

2

東京都

天ぷら

Akira Sugihara

おかめ鮨@芝! 築地から移転し現在は豊洲にある魚河岸だが、それ以前は江戸時代から魚河岸は日本橋にあった。 (関東大震災で壊滅的な被害を受け、日本橋から築地に移転した経緯がある) 歌川広重の浮世絵「日本橋 朝之景」には、日本橋の魚河岸で仕入れた魚を担ぎ、行商へ出かける魚売りの姿が描かれている。 そしてもう一つ…あまり知られていない事だが、江戸には重要な魚河岸がもう一つあった。 それが、落語の「芝浜」の舞台になった芝である。 江戸時代、芝(浦)は遠浅が続く名漁場で海の幸にも恵まれていた。 芝海老は、ここ芝で獲れたのが名前の由来。 芝であがった肴は芝肴(しばざかな)と呼ばれ、「芝の夕河岸」で売られるようになる。 早朝から開く献上魚を扱う日本橋と違い、「芝の夕河岸」では昼頃から豊富な魚介類が並び、庶民の魚河岸として賑わった。 おかめ鮨はそんな「芝の夕河岸」を知る老舗である。 創業は安政2年(1855年)。 三田駅から徒歩5分ほどの場所にあるが、大手製造業の本社ビルが立ち並び、東京タワーの足元近くまで豊穣な海が広がっていたとは、今となっては到底思えない。 実は五代目店主・長谷文彦さんを知ったのは、鮨を通してではなく、「釣り」をきっかけに知ったのだった。 釣り雑誌、釣り情報番組などに出演され、釣りの歴史や指南から調理法や料理の仕方まで豊富な知識と腕前の持ち主であった。 また明治大学の落語研究会出身とあって、玄人はだしのトーク力もあり、その存在が憧れに近いものになって行った。 平日のお昼。 たまたまお休みを貰っていたので、思い切ってお店へ行ってみた。 平日というのに開店と同時に満員となり、すでにご予約のお客さんで賑わっていた。 ちょうどタイミングよくカウンター席が空いており、一人だったからなんとか入れた。 昼時の忙しい時間帯だった事もあり、憧れの長谷文彦さんはテレビや雑誌で見るよりやや険しい表情をしていたかも知れない。 一通りの寿司が客席に運ばれ、職人さん達の手が少し空いた瞬間を見計らって、緊張しながらも長谷文彦さんに話かけてみた。 「あの〜、実は釣り関係で参りました!」 するとサッと手を休め、 「釣り⁉︎ な〜んだー!早く言ってよー!もうぜんぶ食べちゃったでしょー?なんかサービスしなきゃぢゃ〜ん!」 と、俳優の小日向文世のような優しい目になり、ほとんど仕事そっち抜けで釣りの話をしたw なんとなくだが二人の間に共通して言える事は、本マグロなどの高級魚や大きな魚を狙う釣りというよりも、ハゼやキスなど生活の身近にある江戸前の海と魚を愛し、愛でるような釣りの方に惹かれている点である。 そろそろ長居するのも悪いかと思っていると、それを察して、 「ちょ、ちょっと待っててー」 と言って、五代目主人は店の外に出て行ってしまった。 すると女将さんがボクの横にやってきて、 「あれは何かくれるわよ?きっと。」 と、こっそり耳打ちしてくれた。 五代目が戻ってくると、その手には釣り好きのバイブル「月刊つり人」が握られていた。 五代目店主・長谷文彦さんがちゃっかり載っている号だった。 いつか、長谷さんはじめ「東京はぜ釣り研究会」面々と深川冨士見のねり舟に乗るのが、目下の夢である。

3

福岡県

魚介・海鮮料理

Akira Sugihara

河太郎@博多駅! 博多に行ったら絶対行きたかった店の一つ! 呼子の超新鮮なイカが食べられる! 予約していたものの開店少し前に着いた。 そうしたら、開店直前に呼子からイカが丁度届いた。 もし交通事情などでイカの到着が大幅におくれたら、どーなるのだろう?という余計な心配をしてみた。 まずは博多名物「ごまさば」で日本酒を呑りながら、イカの出来上がりを待つ。 サバも美味しいよねー。 東京湾や相模湾のサバが劣っているとは決して思わないが、佐賀や長崎、福岡など九州北部のサバは脂も乗って美味しい。 特に最近ニュースになるアニサキスが極めて少なく、刺身に向いていると言われる。 (まだ完全解明されていないが、アニサキスの種類が太平洋側とは異なるらしい) そして、待望のイカが到着! 透明でクリスタルのような綺麗なイカ! さらにただ単純に透明なだけではなく、イカが超新鮮過ぎて色素胞と虹色素胞による体表の色の変化まで見えてしまうのだ。 イカの胴の部分をお刺身で堪能すると、ゲソやエンペラ部分を天ぷらにしてくれる。 この天ぷらも激うま! 身と衣が剥がれる事なく、サクっと歯がイカの身に入る。とても柔らかいが、それでいてイカの擁する歯応えはしっかり楽しめる。 あまり美味しいイカを食べると、他のイカが食べられなくなってイカんが、イカんともしがたい。 博多に寄られたら是非河太郎のイカを食していただきたい。 新鮮なイカはイカが?

4

東京都

寿司

Akira Sugihara

紀文寿司@浅草! 高齢の母親が最近、口から食べ物を摂るのがままならなくなってきてしまった。 母はボク以上に食べる事が好きだった。 特に寿司とラーメンが好きだったので、目についた寿司店とラーメン店には片っ端から一緒に入っていった時期があった。 紀文寿司もその寿司店の一つ。 20年ぶりの再訪かと思う。 明治36年創業の老舗。 まもなく120年の歴史を重ねる。 浅草に寿司屋は数あれど、紀文寿司と弁天山美家古寿司が、浅草老舗寿司店の双璧ではないか。 同店の四代目店主にあたる故・関谷文吉氏は、氏の名著「魚味礼讃」で、魚に関する知識と魚の調理全般に対する姿勢を説いている。 著書で同氏が重要視する「香り」も含めて、著書に書かれていることを追体験するために再びやってきたと言っても過言ではない。 現在は五代目に代がわりしているが、砂糖を使用しない硬めに炊き上げたシャリ、酸味と塩気を感じるさっぱりしたガリ、そして素材にあった煮物につける滋味深い煮つめなど、随所に紀文寿司たる仕事が垣間見れる。 春は貝類をはじめ、最も多彩な魚介類が出回る時期。 特に「香り」を重要視する紀文寿司では、煮はまぐりや煮あわびなどの貝類の煮物は是非とも賞味いただきたい。 食べられなくなった母の代わりにと言ったらおこがましいが、母との思い出を追随する意味でも、ノスタルジックな浅草の老舗寿司店での一時は贅沢な時間である。

5

神奈川県

日本料理

Akira Sugihara

だるま料理店@小田原! 御殿場の小旅行の帰りに小田原にやってきた。 小田原といえば明治26年創業の老舗日本料理店「だるま料理店」である! 縁起の良いダルマにあやかった店名でもあるが、創業者の達磨(たつま)仁三郎氏の名前からきているらしい。 もともと地元の網元の経営であり、相模湾で獲れた新鮮な魚介類を使った天ぷらや寿司・刺身類に定評がある。 創業時の建物は関東大震災で損壊してしまったが、相模湾のブリ漁で大金を得た二代目が大正15年に現在の建物を再建し、現在は国の登録有形文化財に登録されている。 この建物で酒を飲むだけでも十分に価値がある。 小田原は日本橋から数えて東海道9番目の宿場町であり、天下の剣と表される険しい箱根宿の一つ手前でもあり、小田原で体を休め、食を準備する者が多かった。 このため、日持ちする加工食品である練り物や、弁当の腐敗を抑える梅干しなどの需要が高まった。 こうした「食」の歴史的・地理的背景による必然性みたいなものを知ると面白い。 そんな小田原だが、やはり歓楽街や遊郭があったらしい。 小田原の赤線地帯の事を調べると、必ずと言っていいほど「川崎長太郎」の名前が出てくる。 川崎長太郎は、小田原の海岸沿いにある畳二畳分の小屋に住み、電気・水道はなくビール箱を逆さにしてローソクの灯りをたよりに小説を書くという極貧生活をしていた。 そんな極貧生活中の川崎長太郎だが、日に一度ちらし丼をだるま料理店で食べるという常連になるという…謎。 そんな川崎長太郎を人気作家の地位に押し上げたのが「抹香町」シリーズというかつて小田原に存在した私娼窟を題材にした小説であった。 しかしながら、1958年に売春防止法が完全施行されて抹香町が消えると、長太郎の人気にも陰りが出てくる。 1962年、61歳の時に物置小屋を来訪してきた30歳年下の女性と結婚。 1970年代になると、川崎を信奉するつげ義春経由で、川崎長太郎ブームが若者の間におきた。 物置小屋に住む最底辺の生活を描いてきた川崎長太郎が、当時の日本のヒッピーたちに元祖として崇められたためだった。 80年代には脳梗塞を患い闘病生活を強いられ、1985年肺炎のため小田原市立病院で死去する。 だるま料理店では天ぷらと寿司で一杯やってしまったが、長太郎と同じちらし丼を食べればよかったかな?と少し後悔した。

6

東京都

ラーメン

Akira Sugihara

立石にこんなに美味いラーメン店があったのか… 一口スープを飲み、麺をすすって愕然とし、膝を地面についてしまった。 めん処 倖佳@京成立石! 膝を地面についたのはウソだが(椅子に座ってるし)、本当に美しく美味しいラーメンであった。 全くもって存じ上げなかったのだが、2017年6月にオープンとの事。 店主は「田中そば」のご出身で、1962年製麺所として創業した米沢ラーメンの老舗店「そばの店ひらま」を超絶リスペクトされているらしい。 そんな訳で田中そばのノウハウを持ちつつ、米沢オマージュなラーメン店を出店したようだ。 限定メニューわんたんらぁめん@920円! スープは醤油か塩、麺は細麺か平打麺を選べる。 初回だったので、無難に醤油・細麺にしたが、米沢オマージュな事を先に知っていれば、平打麺にしたかも知れない。 しかし!全く後悔はしていない。 麺もスープも素晴らしい! 醤油スープであるが、黄金色に輝き、初め着丼した時は塩と間違えられたかと思ったほどに清く透明度が高い。 スープの透明度が高すぎて、我がiPhoneのピントがなかなか合わないほどだった。 麺の茹で加減もばっちりで、さらりとした清らかなスープにもよく合っている。 存在感のある満足度の高いチャーシューが2枚。 実際には特大サイズのチャーシューを半分に切って2枚になっている。 特筆すべきはメンマだ! 横浜・奇珍樓の竹の子そばは有名だが、あのような極太メンマとも違い、幅が2〜3cmほどもあるが薄さは5mm程度のきしめん状になっている。 コリコリとシャキシャキの中間のような食感と、噛み締めた時に歯と歯の間から染み出る旨味は、平打麺との相性を考慮してのメンマかとも思われる。 ワンタン含め、それぞれの具がかなりの存在感を主張し個性的ではあるが、清く端正なスープが全体を上手くまとめているおかげで、全く下品になっていない。 むしろ、上品な印象さえ受ける。 あきら大絶賛!

7

東京都

寿司

Akira Sugihara

鮨スタンド三六五@末広町! 自分で醤油をつけない、廻らないお寿司が食べたくなった。 回転寿司も大衆店も大好きで、財布を気にせず食べられるのは非常に良いが、どこか満たされない部分もある。 新鮮な刺身がシャリの上に乗っているだけでは、真の江戸前寿司とは言えまい! てな訳で、最近できて気になっていたこちらのお店に初訪問! 豊洲市場の有名な仲卸「島津商店」の経営との事。 島津商店は「特種物」を扱う仲卸。 「特種物」とは、寿司店や天ぷら店等の飲食店向けとして扱う高級魚介類専門の卸をいう。鮮度と品質を最重要視する仲卸だ。 対して「大衆物」はチェーン店やスーパーなどの量販店向けで、数やかたちが揃い安定した価格で卸せるコストを最重要視する。 ちなみに鮪は専門の卸が存在し「特種物」に対して、「大物」と呼ばれる。 印象に残ったものをいくつか… ヤイトカツオ スマとも呼ばれる幻の魚。 全身がトロとも言われる貴重魚。 生姜やニンニクが香る漬けで提供された。 煮はまぐり 煮詰めで出てくるかと思いきや、淡いお出汁で煮てある。ほのかに柚子の香りが付いていて唸った。 赤ウニ 東京湾より以西で採れる温帯性の雲丹。 非常に希少性の高い雲丹なので、あれば食べなきゃ損! 三六五巻き 雲丹、いくら、芽ネギ、イカ、エンガワ、納豆。 〆の巻物として最適! 島津商店の島津修さんは「築地おさかな倶楽部」というものを主宰して、魚文化と魚の美味しい食べ方の啓蒙活動をされている。 なので伝統的な江戸前寿司でありながら、ネタそれぞれに見合った食べ方で提供してくれるので非常に楽しい。 寿司を握る職人さんは、浅草辺りで長年握っていた筋金入りの職人さんをスカウトした模様。 非常に清潔感があり素早い所作は惚れ惚れする。 滞在約30分。 アルコール一切呑まず(仕事中だった)、全10貫と〆の巻物で5千円ちょっと。 特種物の魚介類を食べられるのなら安いもの。 それに十分見合う江戸前寿司を久しぶりに堪能できた。

8

東京都

日本酒バー

Akira Sugihara

だ〜か〜ら〜♪ 大きな〜イチモツをください〜♪ 酒さかな ずぶ六@浅草観音裏! 「ずぶ六」とは江戸時代の言葉で「ぐでんぐでんに酔っぱらた人」の事を意味する。 もっと酷いヤツを「ずぶ七」と言って、茶化したらしい。 酒さかな ずぶ六は、浅草の観音裏にある。 花街の雰囲気が残る粋な場所で、老舗の蕎麦屋、寿司屋、洋食店、一杯呑み屋がひしめく場所でもある。 もともと、あまり観光客を相手にするような場所ではなかったが、昨今、カウンタービストロのペタンクやフレンチのルディック、かね庄、一新、久いちと言った老舗で修行経験のある新進気鋭の鮨店などがこの界隈への出店が相次ぎ、新旧のお店が混在する注目のグルメタウンと化している。 ずぶ六は2017年オープンと比較的新しいお店だが、食通の間で瞬く間に有名になり、ミシュランのビブグルマンにあっという間に選ばれてしまった。 カウンター7席ほどの小さなお店で、ひとり呑み客しか見かけない。しかも、女性のひとり客が目立つ。 寡黙な店主の近ず離れずの一見クールな接客が、かえって居心地を良くしているのかも知れない。 立派なお通し3品で300円ほど。 刺し盛もこの量で1200円程度。 お酒は冷・燗の両方を用意するが、神亀や奥播磨などの純米燗酒寄りのラインナップと思う。 パクチーや香辛料を多用した今時風の逸品も揃うが、おから(菜の花)などの古典的な小品の完成度が高く、きをてらわない正統派の酒場として評価されるに違いないのである。 オススメ!

9

大阪府

バー

Akira Sugihara

洋酒の店 路@法善寺横丁! 安化粧問屋の若旦那で優柔不断な妻子持ちの男が人気芸者と駆け落ちし、あらゆる商売を試みては失敗し、喧嘩しながらも別れずに一緒に生きてゆく内縁夫婦の物語。 織田作之助の「夫婦善哉」の舞台となった法善寺横丁は、どこか色気と艶がある。 織田自身が法善寺を「大阪の顔」だと言い、もっとも大阪的な場所と豪語していた。 昭和32年創業の老舗バー。 各界著名人や上方落語の噺家の常連も多い。 特に桂枝雀師匠が懇意にしていたらしい。 壁には藤本義一や人間国宝・桂米朝といった錚々たる面子のモノクロ写真がある。 あまり前情報もなく入ってしまった… もしかして、一見さんお断りのお店かも知れなかったが、旅の恥はかき捨てだ。 オーセンティックとかスノビズムといったムードは皆無で、頭上のテレビからは関西ローカルのニュース番組が流れる。 バーというよりはスナックと形容した方が良さそうな雰囲気もあるが、店主の所作は一流のバーテンダーそのものである。 カウンターに座ると皮付きピーナッツとラムレーズンが置かれる。 ラムレーズンは自家製のようで、香り高くとても美味しい。 バックバーの目立つところにボンベイサファイアの瓶が見えたので、ボンベイサファイアをお願いする。 大きめのロックグラスになみなみと注がれて運ばれてきた。 常連さんと思しき紳士たちは思い思いに酒を嗜んでいる。 ボンベイサファイアを飲みきりそうなタイミングで、シャインマスカットが二粒だけサーブされた。 常連さんに気を遣って一杯で切り上げる気持ちでいたが、もう一杯呑もうと決めた。 レーズンに合うかと思い、あえて久しぶりにバーボンにしてみた。 語り合う友さえ居ない法善寺の夜がさみしくもあったが、その孤独感が心地よくもあった。 2002年9月9日、隣接する旧中座の解体工事中のガス爆発事故により法善寺横丁の19店舗が焼失した。 洋酒の店 路もその19店舗の一つだった。 法規制により原状への再建が危ぶまれたが、多くの人々の嘆願書により、その19の店舗は順次営業を再開したという。

10

東京都

ラーメン

Akira Sugihara

集来@大門! 創業70年超えの老舗町中華! 土日祝はお休みなので、平日界隈に用事でもない限りなかなか来られない知る人ぞ知る名店である。 何がこの店を惹きつけるかと言うと、ビロビロの自家製手打ち麺に往年のファンが集うのだ! チャーシューワンタン麺(手打ち麺)@950円! 鶏ガラとゲンコツに煮干しだろうか? そこに生姜やネギなども香るスープがたっぷりと出てくる。 大ぶりのチャーシューに埋もれているが、ワンタンもたっぷりだ。 麺は7mm〜10mm幅のビロビロ麺で存在感があり、麺をすすると螺旋状に口内に侵入してくるので、スープを引き連れてやってくる。 スープの原価が掛かる事から逆円錐状の丼ぶりにしてスープをケチる店が多い昨今、こちらは麺との相対性を考慮し、スープの量を多くしていると思われる。 スープの量が多いと、いつまでも冷めにくいという利点もある。 創業当時は屋台から出発だったらしく、詳しい創業年は不明。 東京タワーの赤と集来のえんじ色の暖簾が、ビジネス街の喧騒に少しだけ昭和の面影を残している。