Hitoshi Tanaka
東松原駅
寿司
Rettyでは同じ店を二度三度投稿しても、当然だが一店舗としかカウントしない。そのため、新規の店へ行きがちだが、この店は何度も食べに行ってしまう。それは大将の味と美に対する姿勢に感じるところがあるからである。 写真#2、#3が先付けで、ズワイガニ、イクラ、しめじのお浸しである。ズワイガニの季節は11月からで、イクラは11月が名残りの時期となる。しめじは10月までが旬となる。季節の往来を感じさせる一鉢である。 写真#1は八寸。時計の12時の位置は宮城の梭子魚(カマス)で、まさしく旬の時期、脂がのり、身が厚く山葵醤油で頂く。包丁で筋肉繊維に対して直角に幾筋も切れ目を入れてあるので歯応えも優しく、魚の味に集中できるのである。 写真#1の8時の位置には、これも脂ののった戻り鰹である。鮪でいえば大トロの部位なので脂ののりようは写真でも判るだろう。とろりとした舌触りににやりとするのだ。鰹は鮪より小振りなので、一尾でこの部位は9人前しか採れないとの説明をいただいた。胡麻油と塩で頂く。 2時の場所はシャインマスカット、10時の場所はミニトマトのコンポートである。 戻り鰹の右側は、網走産シラウオの唐墨和えにキャビアを載せ、ペンタスという食用の花のピンクの色が宜しい。 ここから、口に入らない添え物の説明をしたい。まず、おむすび形の皿は無彩色の灰色であり、素材を引き立てる役割を背負っている。伊万里や有田の色彩や図形に魅せられることもあるが、食品の色味と争ってしまう恐れがあるのである。 そして、カマスを載せた葉は元に緑を残しながら先端は色づいており季節の移ろいを示し、シラウオの緑のカエデ葉は紅葉の予感を暗示してるようである。また、戻り鰹の下には常緑樹と思われる木の葉が敷かれて、透明の器を通して緑を印象づけているのである。 そして、一番上に稲穂である。これを手にとって眺めると北島三郎の「まつり」という歌を思い出さすには居られないのである。「山の神、海の神、今年もホントにありがとう」(なかにし礼作詞)。 さて、本邦における昭和三十五年(1960年)の産業構造を振り返ると全労働人口の半分が農業、水産業など第一産業であった。隔世の感である。季節感が失われるのもやむなしである。 さて、事情により、途中で筆を置く。続きは近いうちに書き足していきたい。