理想はいつだって煌めいて 敗北はどこか懐かしい 「運命」というには大袈裟だが、ある本があるお店に導いてくれた事は確かだった。 5日間とは言えせっかくの正月休みなので、正月用の本をまあまあ買ってきて枕元に積んでおいた。 当たりもしない宝くじに大枚をはたくよりは、いくらか建設的だろうという理由だけで、冬のボーナスが入るとそうしている。 2020年は敬愛する李登輝元台湾総統が他界され、自然と書店で台湾史関連の棚を詮索した。 初めて台湾を訪れたのは98年の夏だったと思う。 大学の卒業単位にも目処がついて、ほとんどバックパッカーの装いで台北からベトナムに入る小旅行を実行した。 当時の台湾には「トウサン世代」と呼ばれる日本統治時代を知る高齢者がまだ沢山いた。 鴨肉料理が有名な屋台みたいな店で、ビールはないのかなぁ?と独り言を呟いたら、ある老人が流暢な日本語で「残念ながら、この店はお酒は置いてないのですよ」とニコニコして教えてくれた。 それまで「日本はアジアを戦争に巻き込み侵略した」という自虐史観を植え付けられていたので、アジアの国の老人から好意的に出迎えられた事に驚いたのだった。 台湾は親日国である。 下関条約以降、同じ日本統治時代を経験した、かの半島とは大違いなのは何故か? この時から、台湾に関する書籍にあたるのがボクのライフワークの一つになった。 結論を急ぐと、池袋にある「新珍味」というお店は、台湾では知らない人はいない老台湾人革命家・史明が作ったお店である。 1952年から1993年まで、表向きは町中華の主人を装いつつ、台湾独立という革命を画策していた。 実際に店の5階で自ら作った爆弾で、台湾の軍用列車爆破に成功している。 ハッキリ言ってしまえば「新珍味」は、革命のためのテロリスト養成所の役割を担っていた。 どんな理由であれ、暴力は良くないという意見があるだろうが、そうせざるを得ない時代があったという事を知るべきである。 大切なものを守るために闘うという姿勢は「鬼滅の刃」の煉獄杏寿郎にも通ずるところがある。 まだまだ書き足りないが、この本、是非読んでいただきたい! 革命家:史明(しめい) 本名:施朝暉。台湾独立運動家、教育家、歴史学者。1918年台湾台北出身。早稲田大学政治経済学部在学中、社会主義思想に目覚め、1942年の卒業と同時に中国へ。中国共産党の情報工作員としてスパイ活動に従事し、1946年以降、党幹部養成校の華北連合大学、華北軍政大学で学ぶ。鄧小平の命で捕虜の台湾人兵部隊「台湾隊」を組織。1949年、共産党の実態に絶望し脱走、台湾へ帰国。1950年に「台湾独立革命武装隊」を立ち上げ蒋介石暗殺を計画するが失敗し、1952年に日本へ亡命。以後40年間、東京池袋で中華料理店「新珍味」を営みながら「独立台湾会」を統率し、台湾独立のための地下工作を物心両面で支援。1962年に台湾市民の視点で書かれた初の台湾通史『台湾人四百年史』を上梓。国民党政権のブラックリストに載る最後の台湾人となるが、1993年帰国。台湾全域で精力的に独立のための啓蒙活動を行い、2001年「史明教育基金会」設立。過去の総統選では民主進歩党の陳水扁や蔡英文を支援し、2016年、総統府資政(総統上級顧問)に就任。 2019年9月20日没。享年100歳。