ルパン@銀座! 突然のゲリラ豪雨に遭遇し、短い距離だがタクシーを利用した事がある。 そのタクシーの老運転手に行先を告げると、上野動物園通りから都立上野高校のある急な坂を上って上野桜木方面に出た。 この裏道を知っているタクシーの運転手は相当なベテランか、上野界隈に精通しているはずである。 「いつもこの界隈でお仕事されているんですか?」と訊く。 「いやー、普段は“ナカ”ばっかりですよ。」とその老運転手は応えた。 “ナカ”と言う人に久しぶりに会った。 “ナカ”とは銀座の事である。 太陽族やみゆき族と言われた古い遊び人の銀座の呼び方である。 “ナカ”に特別な意味はなく、銀座以外はすべて“ソト”なのである。 バー ルパンはそんなみゆき族達がたむろしていたみゆき通りの路地にある。 17歳の時、無頼派と呼ばれる作家の本を読み漁った。 坂口安吾、織田作之助、そして、太宰治。 バー ルパンは無頼派作家の巣窟だった。 40歳になったら、ルパンに行こう!しかも、11月25日に行くと17歳のボクは心に決めた。 40歳に決めた理由はボクの中での一つの「大人」のイメージがあったからである。 バーであるからお酒が飲めるようになる20歳でも構わないかも知れないが、それは自分の中でなんとなく許せなかった。 銀座のバーに行けるだけのお金があればいつでも構わないという意見もあるだろうが、それも違う。 品格の問題だ。 いつも下ネタばっかりのお前に品格を語る資格などないという意見は受け入れるが、エロスを批判的に言う人をボクはバカにする。 動物は種の保存を目的とした性行為はするが、快楽や耽美のための性行為はしない。 だから、人間のニンゲンたる所以は食と芸術と哲学とエロなのである。 11月25日はあの有名な太宰治の写真が撮られた日である。1946年11月25日、織田作之助を撮影していた林忠彦にオレも撮れよと酔ってからみ、偶然に生まれた写真である。 この2年後、太宰は愛人山崎富栄と玉川上水で入水自殺をする。 当初、山崎富栄による無理心中との噂があった。 すでに人気作家の地位にいた太宰の遺体はすぐに棺に移され運ばれて行ったが、山崎富栄の遺体は玉川上水の堤に長い間放置されたままだったという。 最近になって太宰の遺書が見つかり、太宰の了承のもとでの入水自殺であることが分かり、山崎富栄の名誉は回復した。 だが… 山崎富江は妻子ある太宰の事を本当に愛していたが、太宰は山崎富江を愛してはいなかった。 ただ単純に、一人で死ぬのが怖かっただけだったのである。 69年前の11月25日に思いを馳せ、太宰を睨みつけながら、アードベッグを飲み干した。