Kiyoshi Fujioka

Kiyoshi Fujiokaさんの My best 2023

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Kiyoshi Fujioka

Xera(店員はシェラと発音していた)Restaurantはバルセロナのグラシア通りの南から少し逸れた路地に在る。気楽な雰囲気でタパスと多めの料理の両方を供する店だ。 Google MapやTripadvisorの評価がかなり高いのに惹かれて訪れた。店内はクラブ ミュージックが大き目の音量で流れており、客達の会話の音量も高め。一瞬不安を覚えたが、料理はとても良かった。 焼いてかつ(恐らく)揚げてある薄いパンにトマト ソースを載せた突き出し。何気ない品だが、食感もソースもとても良い。 イベリコ豚のハムは、素材がとても良く、とろける柔らかさ。ワインが進む。 焼いた帆立貝は、自然な甘みが引き出されている。グリーン アップルなどから作ったソースも美味しい。 大きな蛸の脚。素材は柔らかくかつ弾力感がある。ソースの作り方を訊かなかったが、洋梨みたいな微かな甘みがする。これが蛸と意外に合う。 店の名物らしい豚の頬肉。牛の頬肉を食べたことはあるが、豚の頬肉は初めてだ。これが、とろけるような柔らかさ。薩摩芋のソースも柔らかい食感で、頬肉とソースが渾然一体となった食感が見事。 ここまでで終えるつもりだったが、隣の客がメニューに載っていないパエリアを注文していたのを見て、少し苦しいけれど追加した。米に具材が染み込んだ感じが素晴らしい。 デザートは、マンゴーなどの果物を、ブツ切りとメレンゲにしたもの。食感の対比が良く、爽やかな甘みと酸味。 Xera Restaurantは気楽な雰囲気で、料金も手頃。高級食材に頼らずとも、シェフのセンスで見事な料理を供している。 クレジット カードの非接触決済に対応しているので、Apple Payで迅速に決済できた。日本の多くの飲食店より進んでいる。

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東京都

フランス料理

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3回目の訪問。 L'ARGENT(ラルジャン)は銀座四丁目交差点に在る。立地も料理も素晴らしい。 内装の基調色は黒と灰色と白。禁欲的な内装に花が華やかさを与えている。現代的な高級感に溢れる内装だ。 アミューズ ブーシュ的な品が二皿。先ずは、ムール貝をペーストに閉じ込め、焼いた生地で包んだ品。柔らかいペーストと生地の軽い食感の対比が見事だ。 ゴールドラッシュというトウモロコシの品種から作ったパンケーキみたいな品。白鱒の筋子を添えている。ホッコリとした柔らかい食感。 子羊のスペアリブという変化球。何と味噌や黒胡椒などで味付けしてある。下世話に寄りながらも洗練とした味わい。 メレンゲに閉じ込めた牡丹海老は、上品な甘味。胡瓜やディルの青臭さが変化を付けている。メレンゲの食感は儚い。 フォアグラは普通のそれとは異なる。掛川茶のソースとの組み合わせにより、しつこさを感じさせず、適度にネットリとした味わいだ。 ここで自家製のパンが出てくる。蒸した上で焼いており、中身はフワフワだが、外側はカリッとしており、単なる添え物でなく、料理としても成り立つようなものだ。 シェフのスペシャルテだという発酵マッシュルーム。薄切りにした生のマッシュルームを、ソースの上に浮かべている。このソースは発酵させたマッシュルームに卵を混ぜており、香りと食感が良い。 明石の蛸を揚げた生地で包んだ品。蛸の程よい弾力感と、生地の軽い食感との対比がとても良い。付け合わせのジャガイモは丁寧に漉してある。 鴨は焼き方が適切で、蜂蜜で少し甘味を付けたソースも美味しい。鴨にオレンジで甘味を付ける手法はしばしば見られるが、蜂蜜で甘味を付けるという手法が斬新。 スプマンテで覆った、口直しのパッション フルーツ。強烈な酸味と爽やかな甘味。冷やした温度感も適切。 マンゴーのデセールは、果肉、アイスクリーム、ソースそして下に敷いたフレンチ トースト風の生地の多重奏。 食後のお茶の際にはテラスに移動した。対角線上に和光の時計塔が見える景色は贅沢だ。 料理は全般的にプレゼンテーションが練られており、素材や食感の対比が良く考えられている。現代的に軽くても印象に残る味だ。接客は親しさを感じさせつつもプロフェッショナル。 立地、内装、料理、接客の全てが高い水準にある店だ。

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東京都

フランス料理

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4回目の訪問。 Asahina Gastronome (アサヒナ ガストロノーム)は東京証券取引所の直ぐ側という意外な立地だが、取引所が重厚な石造りのため、この辺りは落ち着いた雰囲気が漂っている。 店内の基調色は銀色と灰色と白で、同系色かつ階調が付いており、壁の所々に埋め込まれた鏡がアクセントとなっている。上品さの中に華やかさがある出色の内装だ。低音量のジャズがBGMとして流れている。 男性客の多くはジャケットにノー タイ。僕はスーツにネクタイで臨んだが、ノー タイでも問題はなさそうだ。Tシャツみたいな極端にカジュアルな服装は不適切だ。 この日はMENU Vessieという特別コースを頼んだ。主菜は鶏を豚の膀胱(Vessie)の中で蒸し焼きにした古典的な料理だ。膀胱自体は食べないし、もちろん綺麗に洗っている。豚コレラの影響で供給が不安定になったので、しばらく供していなかったが、久しぶりに復活したそうだ。と言っても、供給が完全に安定してはいないみたいで、このコースは常に提供している訳ではなさそうだ。このコースは通常コースに比べて品数が少ないが、主菜の分量が極めて多いので、コース全体の分量はかなりのものだ。 立体的な盛り付けのアミューズ ブーシュからコースは始まる。ビーツのメレンゲは軽い食感。丁寧に漉したジャガイモをパイ生地に乗せた品も、食感が良い。 オマール ブルーは見事だった。先ずは盛り付けが美しい。しばし眺めてからナイフを入れる。オマール ブルーは、素材も火入れも素晴らしく、いったん半生に火を入れてから冷製にしている。上質なホワイト アスパラガスを軽く茹でて、立てている。滑らかで甲殻類の滋味溢れるソース。キャビアでアクセントを付けている。 魚は舌平目のムニエル。食べられないが骨までもデザインに組み込んでいる。出汁とシャンパーニュから取ったソースが、とても良い。玉葱のファルシは、中にベーコンを詰めて味に変化を付け、芸が細かい。 お待ちかねの若鶏のヴェッシー包み。給仕が客の目の前で、膨れ上がった豚の膀胱を切り裂き、中の鶏肉を切り分ける。この様は視覚的にも楽しい。鶏肉は柔らかさと弾力が両立しており、かつ、鶏肉に有りがちな繊維感が殆ど無い。トリュフが鶏肉の中に詰められていると共に、削って上からも振り掛けられており、良く香っている。胸肉以外の部位をスープにしたり、サラダに入れたりと、複数の調理法で提供される。約1.8kgの鶏を二人で分けるので、胃袋の限界が試される。 アヴァン デセールのブラッド オレンジは、爽やかな酸味。ソルベの冷たさが、口直しに良い。 レモンやシトロンのタルトは、上品な口当たりで、これも程よい酸味が味を引き締めている。 食後の飲み物は、フレッシュ ハーブ ティーにした。目の前でサイフォンで淹れてくれるのが楽しい。 惰性で食べがちなミニャルディーズも、一つ一つの質が高い。 接客は客との間に適度な距離を置きながらも、客への目配りが的確。高級店らしい洗練された接客だ。 料理は見た目が美しく、食べる前に見入ってしまう。調理法や味付けは古典に基づきながら、現代的な感性も併せ持っている。 素晴らしい店だと思う。

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寿司

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「鮨 きのした」は、六本木の国立新美術館から西麻布に少し下った所に在る。大将の名前は、店名と異なり中村慎亨氏という。 集合住宅(マンション)の2階に在る店は、6人掛けのカウンターのみ。明るくも侘びを感じさせる内装。種のケースの代わりに保管棚が有り、冷蔵庫で冷えた種の温度をここで少し戻してから握るという。 魚介類の摘み数種の後に握りが続く。品数が多いので、感想は一部についてのみ。 摘みの蛤は驚くほど大きく、程よい弾力感が心地良い。上品な出汁も素晴らしい。 甘鯛の松笠焼きは、皮のパリパリした感じが見事。 鮑の摘みは弾力感が有る。肝から作ったソースは、少し卵黄を混ぜており、ネットリとした背徳感のある食感。これは素晴らしかった。 鰻は蒸すのでなく焼いて、パリっとした食感にしているのが良い。 握りの舎利は、程よく酢を効かせており、舎利が強い個性を主張するのでなく、種を引き立てるような感じ。 烏賊の握りは、弾力と柔らかさのバランスが良い。 赤貝の握りはかなり大きく、味も見事。 僕は個人的に大トロより赤身の方が好きだが、鮪の赤身の握りは鉄分を感じさせる上質なもの。 金目鯛の握りは、脂の乗り方が良い。載せた薬味が味にアクセントを付けている。 雲丹の軍艦巻きは、二種類の雲丹を混ぜた独特のもの。 穴子の握りは口の中で解れていく。煮切りのタレも美味しい。 最後はトロたくの太巻きを手渡しで。 多くの鮨屋は最後に玉子をデザート代わりに出すが、この店は玉子をコースの中程で出し、最後は甘いデザートを出す。この日のマンゴーは美味しかった。 摘みも握りも水準が高い。大将と二番手は快活で、場の雰囲気が和む。満足した。

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東京都

天ぷら

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天よこたは、 天冨良よこ田の創業者の息子が開いた店だ。開店して2年ほどだが、人気がかなり高く、夜の2回転制だが予約を取りにくい。店内は8人掛けのカウンターのみ。 最初に供された蛤の出汁が素晴らしく、その後への期待が高まる。 醤油に漬けた牡丹海老は、上品な甘みが素晴らしい。 その後は天麩羅となるが、品数が多いので、全般的な感想のみ。海老、烏賊、キス、 穴子などの定番に加えて、髭付きのとうもろこしやマッシュルームなどの変り種も供される。衣は薄く、揚げ方はとても軽くて精妙。全て美味しい。塩かカレー粉か天汁で食べるが、個人的には、魚は塩かカレー粉で、茄子などの野菜は天汁で食べるのが良いと思った。 最後は天丼か天茶だが、僕は天丼を選んだ。少し甘いタレで締めくくり。 開店して2年経ち、店主の横田氏には貫禄が付いてきた。客に対して冗談を言う余裕も出てきている。名人への道を歩み始めたと感じる。

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イタリア料理

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5回目の訪問。 Principio(プリンチピオ)は麻布十番のイタリア料理店だ。店内は狭めで気楽な雰囲気だが、料理は素晴らしい。7品のコースで、主菜は3種類の肉から選ぶというシステムだ(主菜に魚介類は無い)。 突き出しのオリーブは何気ないが美味しい。 ゴールドラッシュ(トウモロコシの一種)のフロマージュ ブラン。微かな甘みと滑らかな食感。キャビアが塩気を添えている。 イタリア料理では珍しい鮃のカルパッチョ。粉末状にした青トマトと合わせるという意表を突く調理法だが、この食感の組み合わせが成功している。 次もイタリア料理では珍しい甘鯛の鱗焼き。鱗のパリパリとした食感が素晴らしい。スープも深い味わい。冬瓜やフィノッキオ(ウイキョウ)との組み合わせも効果的。 パスタが二品。先ずは冷製のタリオリーニ。アオリイカの弾力と雲丹の滑らかさとの組み合わせ。唐辛子の辛みやレモンの酸味が複雑な味わいを生み出している。 タリアテッレは合わせたラグーが深い味わい。 主菜は3種類から短角牛を選択した。柔らかさよりも適度な噛みごたえを重視している。付け合わせの万願寺唐辛子もいい感じ。 ドルチェは2種類からマンゴーを選択した。果肉と滑らかなムースの組み合わせが口の中でとろける。 料理は素材の組み合わせや食感がよく考えられている。自然体の接客にも好印象を抱く。

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日本料理

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4回目の訪問。 「曙橋 かず」は曙橋の和食店だ。 簡素で気楽な雰囲気の店内は、小料理屋という雰囲気。8人程掛けられるカウンタとテーブルが 一卓有る。 最初の皿は、赤貝や春菊の和え物。 大根おろしでサッパリとした味。 茶碗蒸しは中に鱈の白子が入っている。 出汁が上品で、白子のネットリとした食感との組み合わせが良い。 鮃と烏賊と雲丹の刺身は、堅実な味。 帆立貝の真薯の椀も良かった。真薯は丁寧な仕事振りで、口の中でハラリと解れる。出汁も素晴らしい。 サワラの焼き方も見事。微かな皮の焦げ目も良く、皮も楽しめる。ドライ トマトに味噌を練り込んだ薬味が添えられるが、これがアイディア賞もの。 鮟肝は上品な味。 蛸と芋。蛸は一手間掛けて煮ており、弾力感が有りつつも柔らかく、印象に残る。芋も軽く揚げて食感に変化を付けている。 和食店ながら主菜は米沢牛。控え目に脂の乗った上質な素材で、外側に火が通り中は赤い焼き方も、とても良い。カウンターから調理の様子が見えるが、かなり時間を掛けて、じっくり焼いていた。和食店というより、上質なイタリア料理店で出てきそうな逸品だ。 締めのご飯は、カマスが贅沢に乗っている。 ご飯への汁の染み込み具合が絶妙で、とても美味しい。 デザートは、アイスクリームを最中で包んだもの。アイスクリームは適度に濃厚で滑らか。最中は軽い食感。両者の対比がとても良い。 客単価の低い店なので、使える食材に限りは有ると思うが、大将の技で素晴らしい料理が楽しめる。満足度の高い店だ。

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東京都

天ぷら

Kiyoshi Fujioka

3回目の訪問。 天よこたは、 天冨良よこ田の創業者の息子が開いた店だ。人気がかなり高く、夜の2回転制だが予約を取りにくい。店内は8人掛けのカウンターのみ。 最初に供された蛤の出汁が素晴らしく、その後への期待が高まる。 醤油に漬けた牡丹海老は、上品な甘みが素晴らしい。 その後は天麩羅となるが、品数が多いので、全般的な感想のみ。海老、キス、 穴子などの定番に加えて、季節が逆のオーストリアから輸入したアスパラガスなども供される。 帆立貝は2種類の方法で供された。半身の一つは通常の揚げ方。外側は揚がっているのに、中はレアに近い見事な揚げ方。新しい趣向として、もう一つの半身を磯辺焼きの要領で海苔に包んで手渡しする。鮨屋みたいな演出だ。 衣は薄く、揚げ方はとても軽くて精妙。全て美味しい。塩かカレー粉か天汁で食べるが、個人的には、魚は塩かカレー粉で、茄子などの野菜は天汁で食べるのが良いと思う。 最後は天丼か天茶だが、僕は天丼を選んだ。少し甘いタレで締めくくり。 弟子も取り、店主の横田氏には貫禄が付いてきた。客に対して冗談を言う余裕も出てきている。名人への道を歩み始めたと感じる。