【 料理の遺伝子 】 フェランアドリアが提示した素材への偏愛を、さらに昇華させたレネレゼピ。それとまた違う方法論をロマンチックに提示したアランパッサールの意思を受け継いだベルトラングレボー。現代を代表するシェフドキュイジーヌの思想はそのようにして受け継がれ、世界に、まばらに拡散してゆく。 例えばここにハマグリがある。今日市場からハマグリが入荷した時、彼らは新しい方から使う。なぜなら、その方が美味しいに決まってるじゃん!という、ごくごく当たり前の事である。当たり前であるが、なかなかそう言う発想はできない。(ギィマルタンも同じように、その日入った素材しか使わないと言っていたが、今はもっと調理段階にまでその思想が及んでいる、下ごしらえは極力直前までしない、だとか) その日、一番美味しいものを出す。それは限界まできわだてられた素材感である。健康な土で育てられた健康な野菜の味に、水耕栽培の野菜は味では勝てない。味の濃さとか、強さだとか。そう言う意味で言えば、一本釣りの神経締めという魚の処理方法がすでに一般的である日本に比べて、ようやくそういった魚が手に入るようになったフランスと比べると、我々は随分と魚料理の美味い国に生まれたものである。 などと思いながら、そういった系譜の原体験を持つ二人のシェフが、あみだくじにて”1人2皿作ります、合計4皿”という春らしいセッションをペアリングで楽しむ。 牛肉を藁で燻してミキュイにしたタルタルのような1皿目。そっとキムチが存在しているが、それは”発酵”というテイストの下支えとしている。絶妙なバランスで組み込まれていて言われなければ解らない。ロゼワインはロゼというには圧倒的にピンク色の微発泡である。井上シェフの師マチューはノーマ出身の一つ星シェフであるが、ノーマにおいて発酵の技術がすごかったと言い、そういった技術がこのトレフルにも流れてきている。いくつかの謎の瓶は、マチューがこのお店でプレイした時の置き土産だ。 緑のジュはアサリの出汁を使い、いくつかの葉野菜を組み合わせたものをシャバいソースにしている。イトヨリは皮目に砂糖を塗し、キャラメリゼのテクスチャーをだしているのだが、とにかくこの目に鮮烈な。これは、ヤマトシェフがベルナールロワゾーを模したものに違いなく、水の料理であり、カエルのスペシャリテへのオマージュであろう。ベルナールもまた、その弟子が遂に世界のトップに上り詰めた。ミラズールのマウロである。濃いオリがらみなオーストリーの白。 鰆はカリフラワーのスムーズなピュレとブールブラン。「最近コンベンクションオーブンは皿を温めるだけでもったいない」と言いながら、丁寧に厚い鉄板で火入れする、人妻の体温の、火入れで。瑞々しいカブの力強さ。太い鰆。甘く広がる海の味。シャルドネとは思えないシャルドネの絶妙な酸。 シャラン産の鴨ブレスト。ブラッドオレンジの季節、新玉ねぎ。焦がしたバターにそれを支える微量のガラムマサラのエッセンスは、二人の師でもあるイナキエズピタルトのやり方に似ている。言われなければ気がつかない、ほんのわずかな裏打ちが、料理は自由であると言う。初めてイナキの料理を食べた時に真っ先に驚かされるあの、スペシャリテのセビーチェの秘密の一つ。ヴィニヴィチヴィンチの赤。完全にパリらしい組み合わせ。ヴィンチは、最高。 ワインも野菜も肉も魚も、できるだけ生産者の顔が見えるものを。そう言う環境を整えてきた。それは確実に料理に反映されている。ワインだけオーガニックで素材はその辺の野菜、なんておかしいよね、うちはレストランだから。そう言うことを頑固にやる。見た目やテクニック的なことは今まで散々やってきて、その先にある、今やりたい料理とは、彼らの知っているテロワの提示である。 いつものように、アテ行きましょうと、肉リッチなパテと、即興のシンプルに野菜と塩漬けマグロ。今日の素材できょうの料理を作るので、コースにも固定メニューは無い。毎日あみだくじのセッションウィークは尚更である。 フランス料理という括りは、フランスにあるレストランではひとつの定型であり、ベルトランもイナキもそういうところに存在していないから、価値がある。フランス料理店、と言うにはあまりに多彩な世界中の素材やテクニックを余すことなく学び使ってゆく。レネもマウロも、同じベクトルにある。ノーマ東京のドキュメンタリーは、東京でしか出来ないことをするために徹底的な取材とロケハンを行ったことを映像化した。それは、完全に新しいノーマだった。 シェフ二枚看板は半年経って見事にいい具合のアジテーションを持ちながら、このレストランの魅力となった。行く度に、驚きに満ち溢れた楽しい時間が濃くなっていく。 相変わらず最高を超えてサイノコウ、である。