【2人の握り手】 ハラショーと読む。1回目の訪問の後、私は大変なことになってしまった。このお店の味が、自分の中の美味しいの基準になってしまったのである。 もう一つ、驚いたことに1回目よりも2回目の方が満足感がさらに高かったのである。そう言ったお店は、そう多くはないと、思う。 大阪に於いてミシュラン初刊、2010からずっと二つ星を維持している寿司屋もここだけである。三つ星はないので、大阪の最高峰であるとミシュランは認めていると言ってもいい。今年が2020年度版だから、10年経った訳である。 前回私は、シャリの粒立ちがすごく、口の中でパーンと弾けてばらける米の粒の一つ一つとネタが相まって、咀嚼するたびにその米が持つ甘味と合わさると解いた。 寿司は、面白い。ネタもシャリも全く同じでありながら、握る人によってその寿司は変わる。前回は二番手さん、今回は大将。大将が握るシャリは口の中で柔らかにネタと同時に溶けその、コメの一粒一粒にネタが表面コーティングされて一体の味わいとなる、そんなお寿司である。 寿司は飲み物、と、大将が笑いながら言った。 どちらが上とか、そう言う話ではなく。握り手の違いにより寿司は、明確に変化すると言うのが面白い。シャープでキレのあるお寿司と、まろやかで調和のとれたお寿司。どちらも、捨てがたいと思うと一度行っただけでは原正のなにか、は片鱗しか見えていないわけである。 初夏に訪れた前回。魚が変わる秋にお邪魔した今回。秋の魚の旨さをふんだんに。2回目ならではのリラックスした空気で。多分そう言ったファクターが、さらにこのお店の良さを引き立てたのであろう。 高級魚じゃなくて、季節の美味い魚を美味しく調理するのが大事と大将がいう。やはりそれは小肌だったり、イワシだったり。締め方の酢や塩分のバランス。やはり、極力塩を打たないでおく事。〆すぎない事。 そういった仕事が評価されている。素材を引き立てるためにどう仕事をするのか、という哲学である。 お米だけを頂く。どんな感じ?と聞かれて私は、コメの一粒一粒に張りがあって粒離れが良く、酢がよく効いている、と答えた。そう、やはり米は前回と同じである。ほんの僅かな握り方で、それは様々なテクスチャーとして現れる。 お米だけを食べるとほんの僅かに見えるその、味の片鱗。不思議な事に、寿司になるとそれは全く感じることができない、ひとつの完成された凝縮として存在する。 この夜は、私にとって今までで、一番美味い寿司だった。