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akira iさんのMy best 2017

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東京都

フランス料理

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【封じ込められた時間】 ため息しか漏れないようなボトルが並べられる。そのうちの一つを選び栓を抜く。 コント・オードワン・ド・ダンピエール  ファミリーレゼルブ グランクリュ 1998 「初夏の雨の日にはぴったりだと思います」 十字に麻紐をかけて高圧のシャンパーニュに封をしているのはフィスラージュという手法で、1735年に当時の国王ルイ15世によって、シャンパンの品質管理に関する法令として定めらた遥か昔の技法を、ダンピエールはそのまま使っている。 「針金の封と違ってハサミで麻紐の封を切る、というのは未来を切り開くという意味もあるんですよ、今ならちょうど夏を迎える露払い、ですかね」 梅雨のさなかの午後10時、傘はいらぬが濡れる雨。外の湿度は高いが、この空間は静かで心地よい。 グラスはフルートグラスではない。香りを含ませるためのしっかりとしたボディを持ち、シュミネよりもさらに口が広い。綺麗に真ん中からまっすぐに泡が立ち上る。 ジャックセロスは、泡は飾りだと言った。ノンビンテージのドサージュによる過度な高圧は華やかではあるが、それは確かにシャンパーニュの本質ではないと知る。1998のダンピエールはふくよかできめ細かく、そして美しく喉を滑り落ちる。プレステージキュベが作られた選ばれし年のシャンパーニュは、しっかりとその初夏の香りを開いている。 どこまでも爽やかで、一点の曇りも無い液体は、信念だ。ダンピエール家の700年にもわたる歴史の覚悟そのものの発露に違いない。 そうしている間に次の一本が選ばれた。 クロ・デ・ランブレイ モレサンドニ 1er Cru 1966 もはやその歴史も複雑であり、1981年にAOCが施行され1級から特級へと昇格したランブレイは、ブルゴーニュの歴史を変えたとも言われる。要するにそれよりも以前なので1er Cruで、この1966年は、フランス革命時74に分割されてしまった畑の買い直しがほぼ完了した頃にあたる。ドメーヌドランブレイは、ランブレイの畑の95%を所有し”モノポール”と言っていいドメーヌだ。 50年もの時を封じ込めたブルゴーニュ。私が生まれるよりも5年も前にこう言ったものが作られ、脈々と受け継がれてこの瞬間に封を開けるという事実に目眩がする。 華やかで、深い夜の時間をゆったりと満たす香りと味。それは予想外にも、円熟というよりは未来を感じる味だった。50年を経て尚グラスの中にごく僅かな混沌や複雑さを残し、いつかは完全に全てが融合するであろう未来を感じさせる。それは、一つの希望の証でもある。 そう、50年を経たワインは、私にとって5年先の未来の時間なのだ。赤い液体は未だ瑞々しく、大量の澱を深く沈めて澄み切っている。 このお店は極めて珍しいオールドビンテージのワインを最高の状態で出してくれるお店である。そして、それは本来私が飲めるようなワイン達ではない。 が、それもきっと人生なのだろう。 私が好きな言葉に、知は旅を豊かにする。というものがあるが、ワインも同じだ。知る事は理解しようとする事であり、存在するかどうかもわからない真実というものへと近づく、唯一の手段でもある。 私は5年先の未来の一つの手がかりを、”希望”として受け取る。 きっとここに連れてきてくれた彼も、同じように感じているに違いない。故に、彼も自分よりも少し先の未来の時間を封したランブレイを選んだのだろう。 #ブルゴーニュ #シャンパーニュ #ビンテージ #サンクチュアリ

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岐阜県

炉端焼き

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【日本を代表すると言い切れる名店】 岐阜県の瑞浪駅まで名古屋から1時間、そして送迎バスに揺られて30分。急な坂を登りきったところにお店はあります。靴を脱いで座敷に通されたら囲炉裏には既にパンパンに膨れた鮎が炭火で炙られいい香りが漂います。憧れの、柳家。こんな場所に日本トップクラスのお店が、と有名になりましたが、その内容は”これぞ日本を代表する田舎料理”と言っていいと思います。この季節は冬眠前の四つ足スペシャル、お任せ出ててくるワインはブルゴーニュ祭りです。命の恵みや豊かな自然を感じられまた、日本が失いそうな食文化を伝えていけるお店でもあるでしょう。何より、ここは行って見なければわからない事がたくさんあるお店でもあります。是非手を尽くして予約して、一度はこの囲炉裏を囲んでいただきたいと思います。特にワインとジビエが好きな方は。 ”長良川の天然鮎/子持ち 蜂の子の佃煮”  鮎漁師は冬は鴨猟を行うのだそうですが、今年はまだ鴨が遅くこれが最後の鮎とのこと。子持ちで腹がパンパンですが、肝がシャンパーニュによく合います。 ”ボーモン デ クレイエール”高発泡の美しい液体。通常主体となるピノ・ノワールではなく、ピノムニエを主体(60%)に作られるシャンパーニュで「クール・ド・キュヴェ」と呼ばれる最高純度の果汁を全てのモデルに使っているそうです。クール・ド・キュヴェは、キュヴェ(第一搾汁)と規定されるシャンパーニュ最上の果汁をさらに精製することで得られるのですが、手間やコストがかかるうえに得られる果汁の量はごく少ないという理由から、他ではまず使われることがないそうです。 ”野鳥2種/大根”  野鳥の地味ぶかさが際立ちます。大根は普通の大根に岩塩です、なんですが、こういうところに異様な素材の良さを感じます。食べたらわかります。”ペルナン ベルジュレス クロアドピエール ルイジャド 2014”コルトン・シャルルマーニュの丘と向かい合った丘のふもとにプルミエ・クリュであるアン・カラドゥの畑の中に「クロ・ド・ラ・クロワ・ド・ピエール」の区画があり、ルイ・ジャドのモノポール(単独所有)です。まずは巨大ネゴシアンのワインのプルミエクリュから入るわけですね。 ”鹿ーフィレ” ふっくらとしていてジューシーなレア焼きで。「焼いてるだけとおっしゃるお客様も」なんて言いながら、ずっと囲炉裏端につきっきりで丁寧に焼き上げて行きますが、とんでもないうまさです。”アルマン・ジョフロワ ジュヴレ・シャンベルタン 2014” 19世紀の末から続く伝統あるドメーヌ。最新の技術に頼らず、伝統的な醸造方法とリュット・レゾネでテロワールを表現することにこだわっているそうです。2014のテロワール違いの面白さ、さすがシャンベルタン。馥郁たる香りが素晴らしい。 ”猪ー朝挽き” 生でも食べれるくらい新鮮です、なんせ今朝入ったばかりだからとのこと。ひたすらに旨味の塊です。”アンリ・フェレティグ シャンポールミジュニー プルミエクリュ 2012” ブルゴーニュでも注目の作り手。数年前から薬剤の散布を極力控え、雑草を取り除くことをやめたところ、土壌が改善されたそうで「土が生命を取り戻したよ」と。イノシシとがっぷり四つ! ”月の輪熊” 今まで食べたクマは薄切りでしたが、こちらは厚切り。ひたすらに旨味の塊としか言いようがないのです。ただ、美味い。それ以外に何もない。”ドメーヌ・アンリ・ルブルソー ジュヴレ・シャンベルタン 2000” アンリ・ルブルソーの歴史は、1919年に現当主ジャン・ド・シュレル氏の祖父であるアンリ・ルブルソー将軍が畑を購入したことに始まり、1980年代に、父であるピエール・ルブルソー氏がワイナリーを設立。テロワールを重視し、伝統的な手法で生み出されるワインは、将軍の名にふさわしい堂々たる風格がある本格派。「ピノ・ノワールは熟成させて楽しむもの」という信念の下、生産量の約半分はすぐにはリリースせず、カーヴで熟成させて飲み頃と判断してから販売するそうです。生産量も少なくフランスでも人気があるため、輸出量も少ないのだとか。クマと2回目のシャンベルタン。付け加えることが何もない、、、 ”鹿ーロース” え、鹿ってこんな肉だったっけ! ”シャトーラセール2013 グランクリュ” ボルドー最強ワインの一つ、ペトリュスのオーナー一族の名前を冠したサンテミリオンのシャトーラセール。最後にボルドー、サンテミリオンのメルロー比率が高いのを持ってくるあたり、実に素晴らしいです。ロースの油とよく合います。 熊鍋の味噌仕立て/ムカゴの炊き込みご飯と自然薯  永遠に美味いので、腹がはちきれるまで食べてください。量が多く絶対残ってしまうことが本当に辛い。持って帰りたい。 #ジビエ

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フランス

フランス料理

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【美しき、パレロワイヤルにある宮殿】 大阪、天満橋にある大林ビルの30Fにあったレストラン、ル・ポンド・シェルは以前、ギィマルタンと技術顧問契約をし、グラン・ヴェフールのセカンドシェフ、天才パスカル・ロニョンの料理が食べられた。のびのびと自由に創造的で、繊細かつ奥の深いその幾つかの料理の素晴らしさは今でも強く心に残っている。その先にある、トップシェフドキュイジーヌ、ギィマルタンのグランヴェフール。私は彼自身の本も読んで準備万端である。パリの中心部、パレロワイヤルのコリドーを抜け遂に憧れのレストランの扉を開いたら、なんとそこにギィマルタン氏がおり、満面の笑みで全てのゲストをお迎えするところからデジュネはスタートした。目の前にこの高名なスターシェフがいる事こそ、此処がグランヴェフールの証である。彼は毎日厨房に入り指揮をとる。 
 メニューを開きながら今日はご馳走するよ、と言ったら彼女は訝しげな顔で私を見た。なるほど、それは彼女の線引きであるのだろう。少し早いが今日はすぐに訪れるであろう大切な日のお祝いをするんだというと、彼女は「自分でお金を払わないとその価値がわからないと言ったのはあなたでしょう」と笑った。いやまあ、そうなんだけど。それでは、お祝いにならない。 彼女はとてもインテリジェンスでそこが大変な魅力でもあるのだが、どうやらインテリジェンス故に自立した女は、甘えることには長けていないようで、なんでも器用にこなしてしまう人だが苦手な部類もあるようだ。「自立している女は、美しい。」と私は思う。私がパリを好きな理由の一つが女が自立して存在している事で、大人の女が美しく映える舞台があらゆるところに用意されている所だ、子供がつけ入る隙なんて何処にもないほどに。 メインに選んだマグレ鴨には別皿に盛られたセップ茸やチョロギなどが入った付け合わせが出て来た、これも鴨と一緒に食べるといい、と言う。 マグレ鴨に乗せて食べてみたら、驚いた事に私は深い森の中にいた。なるほど、これはこの鴨がいたであろう実り多き森、そのものである。 

ギィマルタンは言う。「料理は料理に過ぎず、料理など各人が勝手に向き合えば良いものなのかもしれない。なるほど食文化は、世界の大勢に影響など及ぼさないだろう。しかしそれにもかかわらず、食文化なしにはポジティブな意味で世界はこのようではなかったはずだ。食文化に国境はなく、タブーもなく、禁止もない。これ以上い素晴らしい自由の賛歌があるだろうか?」 
ギィマルタン著、シェフの哲学の一節である。 

 まさかのピザ職人から始まった彼の経歴は、幼少の頃過ごしたサヴォア地方の全てで構成されていて、脈々と彼の料理に影響を与えている。そしてグランメゾンが、三ツ星レストランが何をしているのか。その舞台裏の緻密さと厳密さに驚く。食材の探求、全ての食材へのこだわりと理解は、膨大な時間と、ともすれば不可能とも思えるプロセスを経てこの、素晴らしきレストランを成り立たせている。全ての食材は毎日入荷され、味が落ちるようなものは冷凍せず、すべて1から手作業でその日に構成されていく、これは現代においてある種の狂気であり、それがグランヴェフールである。 

また、彼が行っていることは、フランスの食文化の保護でもあり、正しい方法で作られた材料や、伝統的で手間がかかるものを守り伝えていることも付け加えておこう。 

 いつかパリで食べてみたいと思っていた。そしてそれは遂に実現してしまったが、これだけの期待を更に超える、素晴らしいお料理の数々だった。 「それにしても、これはあんまりだわ」 「どういうこと?」 「あれだけの種類のチーズのシャリオを押して来て、まるでプティとは言えないプティフールで私はお腹いっぱいよ」 「デザートはベツバラというのは有名な話だ」 「でも、これだけ濃厚なデザートが出て来た後に、更に”私のおばあちゃんのレシピのシフォンケーキっていうのは、やりすぎよ。私おばあちゃん子だから、そういうのに弱いのよ」 そう言って彼女はとても美しく笑った。 
 私は未だ抜け切らぬ、鼻腔をくすぐる森の香りの記憶を反芻し、ギーマルタンを産んだサヴォアの森に想いを馳せながらこれを書いている。 #バレンタイン

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大阪府

スペイン料理

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【レストランの滞在時間としてルイキャーンズの記録を更新。】 どうしてもやらなければならない仕事があって、それがまた間の悪いことにお料理のスタート時間に重なって、しかし一品目がサーブされた瞬間から仕事は諦めました、仕事よりも大事なことがある、その料理たちは無言でそう語りかける。木箱に美しく盛られたタラのエスプーマの潮の香り、フォアグラのチョコレートボンボンの見事な旨味。味付けはシンプルに王道、しかしそこにあるちょっとした知恵とひねりのあるエッセンス、見事なバスク料理。暖炉には最初から大きな豚肉の塊が乗せられていて、きっとそれはメインで出されるのだろうけれど、遠火の緩やかな加熱によるそれは、”肉を最も美味しく食べるための時間”を表している。 畑の土の盛られたサラダのキレ、真空調理のタンモト。薪であぶられたスズキに併されたアサリのソースとアスパラガス。肉本来の旨味の塊のポーク。季節を感じるバスク地方のモダンキュイジーヌは、目にも舌にも素晴らしい食の体験をもたらしてくれます。最後のデザートまで、全てにおいて完璧でした。間違いなく素晴らしい。 しかしながら招待してくれた友人は、”ここからがこのお店の本当の素晴らしいところだ”と言う。料理は十二分に素晴らしいもので、どのお皿にも驚きと感動があった。これ以上何かを求めることなどあろうか、と思っていたのだけれど、、、 入店が午後6時。退店が午後12時。いつの間にそんなに時間が経ってしまったのだろうか。いろんなスペインのお酒を飲みながら山本シェフとお料理の話や酒の話、旅の話が屈託無く、そしてとめどなく続いていく、、、、そんな美しい夜。レストラン(飲み屋ではない)の最長滞留記録はモナコの宝石、ルイキャーンズの5時間だが、Alardeでそれを更新。 ”こんな店があったらいいな”が、本当に現実に存在するといった驚きのお店。店のど真ん中に薪窯を誂えたのは、きっとシェフの”意図”に違いない。単なる調理の道具としてではなく、愉快なひと夜の主役は人と人である、そういった意図のことである。

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【世界一夕日が美しいと言われるレストラン】 随分と前に読んだ村上龍の小説、ワイン一杯だけの真実の一編め、オーパスワン。女性一人がハワイのレジデンスで彼女に内在する混沌を休ませるために滞在している。「あなたが気に入った時にこれを飲むといい」とメモ書きが残されている部屋。 「フィリップ・ロスチャイルドとロバート・モンダビが造った西海岸で最高の赤ワインだ。ああいうワインはボルドーにもブルゴーニュにもトスカーナにもない。アメリカ合衆国における最高の成果は、ハリウッドの映画でも、ビートニクの詩でも、ジャズでも、ポップアートでもない。オーパス・ワンだ。それは本当の意味ででの旧大陸と新大陸の融合の象徴なんだから。」と彼女の記憶の中にいる彼はいう。 ーーーー まだ、オーパスワンが今ほどの評価も名声も得ていない時代に書かれた短編の中の一節。この本はワインの本質を実についている。彼はシャトーマルゴーを”胴が膨らんだグラスを目の前に近づけるとその、香りの粒子がからだに入り込んできて、何か映像が浮かび上がりそうでまた、それが壊れるといったことが繰り返される”と評した。 ーーーー オーパスワンの結びはこう語られる。 「ワイングラスにオーパスワンを注ぐ。ゆっくりと痙攣が止んでいく鳥の心臓を思い出す。夕暮れが風景のすべてを溶かし、オーパスワンがわたしのからだを内側から溶かしていく。 確かなことは何一つない、あなたはそう言った。 わたしも、そう思う。」 サントリーニ、イアにあるこのレストランは、夕日を眺めるためにあるレストランで、その美しき夕暮れは、オーパスワンのこの一節を想起させる。日没後に訪れるマジックアワーに照らされたイアの街は、ここは何かの終焉の地ではないのかと思うほどだ。きっと偶然が作り上げたのであろうその神がかった美しさに、私は杯を重ねる以外の答えを持たない。 私はサントリーニ産の凜と冷やされたワインを飲みながら、ずっとこのフレーズを繰り返す。 確かな事は、何一つない。

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岐阜県

四川料理

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【驚きのヌーベルシノワ】 「ああ、、、これは、、、、」最初にサーブされた金目鯛の上湯スープを一口啜って、思わずお互いに顔を見合わせてしまった。ふっくらとした金目鯛を引き立てる、上湯スープの出来がもう明らかに傑出している。「金華豚のハムと、鳥の出汁です」やられた。これは山と海のスープ。中華的乗算思想が生み出したる味重ねだけれど、中国人が作るそれとはまた異なる繊細さと優しさ。「あーこれ、やばいですね。」「うんやばいね」 思えば私は日本で高級中華というものをほとんど食べたことがない。私は基本的にこう言った類のものは大陸仕込みの舌であって、日本の高級中華というものに実はあまり食趣が向かなかった。相反して隣に座る大阪ミナミの食の重鎮は、大陸のみならず世界の名店の中華を試している。彼のレビューの中にあるいくつかの店に関して気にはなってはいるが、私はまだ訪問したことがない。 「冷静ビーフンのベルーガキャビア 太白胡麻油和えです」手際よく出てきたそれは、今度は絶妙な油分と香りでキャビアの緩やかな塩気を包み込み、ビーフンがそれを口に運ぶものだった。この油と香りの使い方、塩気のバランスが、これ以上はないほど整っている。「ありゃ、こりゃとんでもないですね」「うん、とんでもないな」 「松葉蟹と蟹みその春巻きです」あー僕そういえば香港で春巻きだけは絶対に食べないんですよね。お?そうかい?確かにハズレが多いけど美味い店もあるよ。バリバリ。全部が松葉蟹で、中から蟹味噌が絡みつく。高温で内部加熱し、油分を持たすために機能する皮。化学変化的プロセスの考え方。 「白子の四川風山山椒風味です、手前のものは唐辛子でかなり辛いですよ」片栗粉をまぶして焼いてある。相当な量。山椒が絶妙の仕事をしている。これだけで酒が何杯飲めることかと。手前の黒い唐辛子はハードフライで、中のタネを乗せるとさらに辛味が出る。 「あ〜〜〜!」「お〜〜〜〜!」次にサーブされたそれは見事なフカヒレの姿。でかい。ちょっと怖い。「フカヒレのステーキ、上湯あんかけでござ、、、」もう、見ただけでわかる。何がしたいかよくわかる。ささやかな焦げ。圧倒的厚み。最初に知らしめられた上湯の再登場。これはフカヒレ料理の一つの傑作としてあげていい。当然だ。餡の粘度は低く、フカヒレと上湯を邪魔しない。絡みつく量を計算した結果を提示されている。もはや、笑ってしまう。 「黒あわびに肝とオイスター、青梗菜のグリーンソースです」最高の加熱を食らった鮑に肝の深み、オイスターソースの濃度、青梗菜がソースになるためのクリーム。油分、甘み、塩分、食感、もはや目を開けていることができない。噛むことしかできない。これは、凄い料理だ。すごくやばい料理だ。永遠に目が開かなくなるかもしれない、、、と思った頃口の中から消えた。今思い出しても、この料理こそがこのお店のなんたるかを語っている気がする。 「追加の白湯フカヒレでございます」そもそも私はあの茶色いあんかけのフカヒレはフカヒレ料理としてどうかと思っている。勿体無いんですよ、だからこの、上湯のフカヒレは本当にすごいと思う、と話していたら「白湯もできますよ」と言われてしまい、調子に乗って追加オーダーした一品。こいつも相当に美味いけど、前出のステーキの方が断然上。理由は明白、この店は上湯が肝で、白湯は準備がなされていないからだろうということだ。それにしても分厚い、、、、そして、コースの間にもう1品これを挟む事が出来るという機動力に感服。 「鴨ローストと中華野菜炒めでございます」鴨ローストの焼き目には細かい包丁が入れられている、焼き目の面積と食感のためだ。オーケー、鴨ロースト自体も絶品だがこいつは単品としては驚きはないだろう。何が驚きかというと、添えられた野菜の火入れと味である。鴨と一緒に食べると、この世の終わりすら感じる。「え、ちょっとまって。なんでこんなことに」そっと豆豉が隠れている。あとはいったい、どうすればこんなことになるのかもう理解できない。とにかくキッチンは王将で見るのと同じレベルの何の変哲も無いものであり、オープンなので全ての作業は見えている。一体何をすれば、、、私がどうでもいいと思っているヤングコーン一本ですら感動的に美味いだなんて、、、、、、 「坦々麺と、チャーハンです」やっと終わった。この恐ろしい悪魔のような怒涛の旨味の波に飲み込まれ、私は正気を失うかと思った。チャーハンですら腹がたつほど美味しい。なんなんだこの、フワフワとした雲をつかむような米に混じってるやつは。お前は、誰だ!あっ、辛い(坦々麺) 「デザートはエッグタルトと凍頂烏龍茶のシャーベットです」、、、、なんやこのシャーベットええ感じでウーロン茶が効いてて、めちゃくちゃうまいやんけ!もう、ダメ。

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中華料理

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【海と大地の融合】 大きなフカヒレの塊が出てきた。大きさと状態を確認して彼は頷いた。やがて調理されたフカヒレスープが目の前に出てきたのだが、よく見るような茶色の粘度の高いスープではなく、鶏白湯仕立てになっていた。 「まず日本だと食べられないね。何故ならこう言った発想は実に中華的で、素材の味を際立たせるためにできるだけ他の要素をそぎ落とし、その旨味をひきたてようとする引き算の料理が和食なら、我々香港の広東料理というものは、全くその逆で、乗算思想だからだ。だから、材料があってもまずこのような料理をすることはないだろうね」 そのスープは黄金色で鶏一羽を丸々出汁として使用した濃厚なものだ。一口啜るとその蕩けるような鶏の旨味はもはや官能的ですらあり、甘くふっくらとしていながら長く口に残り消えてゆく。このようなスープは、飲んだことがない。 「多分君は何度も市場で見てきただろうけど、基本的に海鮮類なんかもそうだがすべて生きたままで調理するんだ。鶏ももちろん生きたままで売っていて、大抵はその場で締めるけど、日本はそういう売り方をしないだろう。鳥は鮮度が影響するからね。今君はとても不思議な気分だろうけれど、フカヒレというものはテクスチャーなんだ。フカヒレ自体煮込んでも味はしない。」 二口目、レンゲに塊のフカヒレを乗せスープと一緒に口に運ぶ。塊のフカヒレの食感と濃厚な鶏のスープは完璧なる融合をしている、これは大地と海の料理だ。 「要するにこれはこの、崇高なる鶏のスープが重要なんだ。これだけおいしいスープを取ること自体大変な作業だが、高級な料理としては成立しない。そこにフカヒレが入ることでこの偉大なるスープは完成する。そしてどちらが欠けても単体ではこの料理は成立しない。この鶏のスープに鶏を入れてもダメなんだ、このスープには塊のフカヒレがその繊維にスープを含んで完成する。」 香港という街は面白いところだ。街中には星の数ほどレストランがあるが、そのどれもがおいしいわけではない。むしろ、何も考えずに入ると大したことがない場合が多い。だが、そこにはずば抜けて美味しいレストランが存在する。一度そのようなレストランに行くと、香港こそ中華料理の王である、と言わざるを得ない。 フカヒレスープがなくなった頃、その出汁をとった鶏がテーブルに置かれる。箸でその肉をつついてみれば、見事にスカスカの抜け殻だ。 その後も香港に行くたびにこのお店でフカヒレのスープを食べている。何度食べても感動する料理というのは滅多にない。そして何度食べても官能的で体が震えさえする。このお店は北京ダックもアワビのステーキも、子豚の丸焼きもグースのローストも美味いのだが、このフカヒレスープの前ではどれだけ美味いものが出てきても霞んでしまう。海のものは海のもの、山のものは山のもの。そう言ったことは固定概念で“美味しいものと美味しいものを足して、さらに倍以上美味しいものを作る”という発想の自由さが、香港という特殊な場所を支えている源に違いない。 このお店は香港の人には有名だが、ガイドブックなどにあまり登場することがない。そして実は私がよく通っていた上環にあった店舗は閉店してしまっている。だが、香港内に数店舗出しているので、近くにあれば寄って見てほしいと思う店だ。昼間の飲茶も、絶品である。 今回はツェンワンのお店で違うタイプのフカヒレを食べた。このフカヒレも絶品で、トリュフの香りがなお一層味を引き立ててくれたものだが、やはり私の中の記憶の最高のフカヒレは、この黄金色のスープの中に浮かんでいる。

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大阪府

創作料理

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【一日一客、六感を刺激する料理空間】 敢えて1枚目は村上隆の作品の写真を選びたい、美しいダイニングやお料理のプレゼンテーションではなく。 住宅街に異質にそびえる美しい建築、扉を開けると草間彌生、奈良美智の4連作、会田誠等の作品群が出迎えてくれる回廊を抜けダイニングへ。準備された8席の皿、カトラリー全てが異なり(それは全てのフォークやスプーンですら全て一点モノの作品であり)2Fのギャラリースペースに上がると村上隆や森村泰昌、加藤泉らのメジャーな作家のものからマイナーなものまでが美しく展示され、兎にも角にも食事が始まる前からオーナー、和田大象氏の素晴らしいモダンアートコレクションを堪能することができる。一分の隙もなく全てが愛らしくユーモアに溢れた作品群にアート好きな人のみならず、誰しもが楽しめるコレクションに驚く。 とにかくグラス一つ、器ひとつひとつが極限に美しい。そしてそれを実際に器として使う。嵯峨吉兆の女将が「その器は魯山人、壁にかけてある軸は値段のつけようがない代物です」と言うならば、まさに世沙弥は現代的解釈の吉兆である。 和田氏は「作品とはいえ器という機能があるものはつこうてなんぼです」とおっしゃる。ワインのデキャンタですら作家に特注させた代物で、解ってはいるものの、これほどまでに器、というものが食事をする上で大きなファクターであると実感できるのは凄い事だ。特に洋食器などのスタッキング可能な効率さに比べ、それを無視した和食器は多分にカサ食いだが、さらに一つ一つが美術品、となれば、それを提供するのは実に大変な事だと頭が下がります。 勿論、お料理はその器とがっぷり四つの、自由で美しく、そしてピュアで独創性にあふれた大変美味しいお料理が振る舞われる。一つ一つのディティールへの拘りが随所に見られ、とにかく食前酒からデザートまで、全くその高揚感は途切れることが無い。 なんという幸せに満ちたディナーだろうか、食は体験であり冒険であり、知識の旅であることを実感する。蓮根の酒、洋梨とモッツアレラのテクスチャー、栄螺とカッペリーニの融合、金目鯛のふっくらとした海の恵み、油をたっぷり孕んだ鴨。松茸の香りに、濃厚な酒粕のケーキ。これはもはや総合芸術であり、また、アートが持つ本来的な力が存分に発揮され、あっという間に時間は過ぎてしまう。それは、驚きと笑いに包まれた至高の晩餐である。 これほどの体験ができるお店は二つと無い。美術品は現物を見なければ、写真ではその情報量のわずかしか伝わらない。ここはその現物を触って、使って見て、その極限で崇高なる楽しさを味わえる稀有なレストランである。是非一度、チャンスがあれば世沙弥の扉を開けて見てほしい。オーナーの和田氏のお人柄も素晴らしく、”美しいものを共有して、楽しい一夜を過ごしてほしい”という熱意が隅々にまで行き渡っており、本当の意味で豊かで、夢のようなひと時を過ごせるに違いない。 *展示は季節ごとに変わり、お料理の内容も”一度来られた方が同じ料理を2度食べることはない”とのことである。アートが好きな人は食事時間では圧倒的に時間が足らないので、予約時間の1時間前にはお店へ入って、中を少し案内してもらう方がいいと思う。 #モダンアート #個人コレクション #蓄音機 #美しい #1日1組 #デートや接待に #世界レベルの作家

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【最後の晩餐】 クレタ島最大の都市でありエーゲ海のアイランドホッピングの起点ともなる街、イラクリオン。ホテルについた時にはもう夕暮れで、屋上のプールからその沈む夕日を見ていた。 これがギリシャで見る最後の夕焼けとなる。 すっかり日が沈んでから食事に出かけた。旅行ガイドにある目的としていたお店はどこか違和感を感じて素通りし、細い路地にある雰囲気の良いお店にたどり着いた。 案内された席はカウンターの後ろのえらく狭くてハイスツールのテーブル席でここで食事できるの?ぐらいだったのだが、結果的にはその席は素晴らしかった。 水を置くのは壁に仕込まれた間接照明付きの出っ張りの部分。パンはパンケースで配され、テーブル下の広めの荷物置きに。ワインボトルは切り株のような低めのスツールの上に置かれた。なるほど!素晴らしいアイデアの数々が気分を盛り上げてくれる。 "白ワインをボトルで、ドライだけど果実味も感じられるのがいいのだけど"と頼むと、これしかない!と大して高くもないボトルを勧めて、先ずはグラスで味見をしろ、絶対これだからと。 大して香りが高くないそのワインは、一口啜ると最初のアタックはスッキリとした酸味で、程なく隠された果実の甘みが明確にぱっと膨らみ、やがてそれは儚く舌の上にじわりとした甘みを、余韻として長く残すワインだった。 背筋がゾクっとした。なんという事だ。これまで口にしてきた軽めのギリシャワインとは全く別物で、これほど美味しい白ワインがクレタ島で作られていることに驚いた。 この味に慣れるまで、本当に何度もゾクっとする。そういう身体反応が出るほどで、ちょっとこれほどのワインにはなかなかお目にかかれない。 メニューを読み込み興味深い"テーブルで燻製するポークチョップ、グリークハーブ"と、"若いゴート(山羊)のキャセロール仕立て"を選んだ。 いきなり紙で覆われた割と大きな衝立がテーブルの真ん中に置かれた。ギャルソンが紙を外すと辺りに薫香がばら撒かれ、現れたポークチョップはハンギングされ、下からハーブで燻されているというプレゼンテーションに狂喜した。これは凄い!ポークはカットするときれいなピンク色で、本来の肉の甘みをたっぷりと感じさせてくれる絶品の味わいだ。 正直、もう世界のどこと比べても日本ほど魚の美味い国なんてないと思う。日本の魚料理の技術もバリエーションも、この偏執的国民性のみが成し得た極みと、その平均レベルの高さはもはや異常だと感じられるほどだ。 だが、肉料理に関しては逆に相対的なレベルの低さを感じる、そう、次にサーブされたヤギのキャセロールだ。こう言ったものがメニューにあり、そしてまったく嫌な臭いなどなく、だがヤギの香りと味があり、一口食べてうわっ!これ凄い!と声が出てしまう料理が出てくる。肉食文化についてはまだまだ我々は、欧州に敵わない。 また、付け合わせの野菜類の味もべらぼうに美味い。ベイクドポテトなんて割とイヤイヤ食べるのだが、この店のは恐ろしく美味い。トウモロコシは甘いタイプではなく、モチモチとした風味が豊かなものだった。実は、このお店はメニューにベジタリアンやヴィーガン用のメニューをかなりの数で揃えているのだ。野菜は私たちのガーデンから、とメニューに記載されていたので、そう言った伝統的な事や、正しく育てられた素材にちゃんとアプローチしているのだろう。地産地消も、このお店のコンセプトの一つであるのだ。 あまりに素晴らしい料理達に感心したので珍しくデザートも頼んでみることにした、"あなたが小さな頃から大好きなチョコレート、今はムース仕立て"だ。かなり大きなコーヒーカップ一杯にチョコレートムースが出てきた。スプーンでそこまで救ってみたけれど、これは本当に大量のシンプルなチョコレートムースで、ここまでの流れからなんだか、凄いものが出てくるかもしれない!という期待は見事に裏切られ、後頭部が痛くなるほど大笑いした。それほどまでにこのギャップは凄くて、そして、それほどまでに楽しいディナーだったのだ。 最後にプティフールとラキ、というギリシャのお酒が供され、最高のディナーは、幕を下ろした。会計をお願いすると、たったの55ユーロ、だった。 短いバカンスだったけど、その終りに相応しいディナーに巡り合えて、私はとても満ち足りている。

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【もう3回目】 よほど気に入ったお店しかリピートしないのだけれど、LFCはここ数ヶ月で3回目のリピートをかけている。今最も好きなピザがここの店にはあって、寿司はキムケン、焼肉は若葉屋、ピザはLFCと決めている。それくらい気に入っているお店。今回は長良川の鮎の薪焼きと(天然!)、マンガリッツァ豚の薪焼き(ハンガリーの国宝!って書いてあったから)をまず注文。鮎は生のフェネルと相性抜群でとてもうまいし、豚はこれ豚?ってわからないほど素晴らしい火入れ。追加で野菜10種の窯焼きは、野菜の旨味と甘味が素晴らしい。ピザはもう言うまでもなく。 いや。ピザの話である。今回オーダーして思った、あまり具が乗っていないピザをオーダーすべきだと。なぜなら、このピザ、耳のところが一番美味しいのである!まさにこれは青天の霹靂。とにかく生地がべらぼうにうまいので、チーズ(もちろんイイの使ってますけど!)の油分が生地を邪魔するほどなのである。とにかく生地がうまい。こんなにうまいピザの生地は食べたことがない。もう生地だけ焼いて欲しいくらいうまい。 前回訪問時に他の常連客とともにオーナーの経歴についてちょっとお伺いしたのだけど、最初のお店はご本人、有名店だけど全然話したがらず。上海時代はそれこそ”ルイスハミルトン”(F1好きにはお馴染み!)や”ジャッキーチェン”(スーパー!)、中田英寿等も彼のピザを食べているという華々しい経歴をお持ちである。 とにかく薪料理と釜焼き料理がとてつもなく美味しい。そしてピザが異様にうまい。これだけうまいピザはおいそれとはお目にかかれない。そういったわけで、私はこのお店を自信を持ってお勧めしたいなあ、と思うのです! #サマーグルメキャンペーン #ピザ #F1