【ル・ルイキャーンズでデジュネを。】 「すべてには終わりがあるけど、ここには時間が無いの。要するに永遠を持って人々の記憶に残るのだろうけれどそれは酷く男性的な幻想で、女にとってはあまり記憶というものは重要ではないのよ。例えば、来週の私はもう東京で、ちょっとした残業のあと同僚と一緒にビールを飲んでいたりするのだろうけれど、寧ろもしかしたらそんな時の方が私にとっての定点になるのかもしれない。男の人はいろんな舞台を用意したがるのだけれど、私はその舞台でできることは限られているし、他者が介在する事で私の意図が反映されることも限られているわ」と彼女は言った。 確かに、これは男性的なロマンチズムが生み出した巨大な虚像なのかもしれない。自分の記憶の定点を作るのにこれほど適したレストランはそうは無いだろう。僕らは過ぎた過去に意味など無いと理解はしていても、こうして未来の自分のための記憶の舞台をせっせと用意しているのかもしれない。 僕たちは遅めの夏休みを南仏で過ごしていた。ニースの安宿に泊まりながら毎日砂利のビーチで日焼けして、バゲットを買い散歩をし、ただ何もせず太陽を愛でながら安いワインを飲んでいた。そんなちっぽけなバカンスの最後くらい贅沢をしようと予約したのが、モナコのレストラン、ル・ルイキャーンズだ。コートダジュールの東端にあるモナコ公国の中心地、グランカジノの斜め前に位置する老舗ホテル、オテル・ド・パリのメインダイニングであり、二十世紀の偉大なるシェフの一人として数えられる“アランデュカス”が初めててミシュランの三ッ星を取り、その輝かしい経歴をスタートさせたレストランでもある。 電車の駅から坂を登っていくとグランカジノが見え、雑誌でしか見た事がない様な車の群れの奥に、拍子抜けするほどこざっぱりとしたオテルドパリのエントランスがある。夏の日差しを避けて回転ドアをくぐれば、その右手に異質に輝くエントランス。モナコの宝石、ルイキャーンズだ。 落ち着いた小さなウエィティングルームに通される。「ようこそルイキャーンズへお越しくださいましたムッシュ。」と声をかけられ入ったダイニングは息を呑むほどの美しい宮殿の一室だった。ちょうどテラスが見える窓側の席に案内される。 アミューズはパリパリした野菜のスティックとフリット。パンを本当に山のように乗せたシャリオがやって来てデジュネはスタートする。バターはブルターニュ産の様に、叩いて涙を流した後のような大きな塊から出してくれる。全てがデクパージュだ。やがてワインと、アミューズの南仏野菜のタルトがやって来て、マリネされたイワシと濃厚な野菜の味に、ああ、ここは南仏の豊かなリゾートだと実感する。 どこまでも抜ける紺碧の海と空がテラスの向こうに見え、喧騒からゆるやかに遮断された室内に温かな潮風が舞い込む。メートルたちはキビキビと、そしてにこやかに動き、かた苦しいことの一つもなく、我々を完璧に楽しませてくれる。なるほど、おいしい店というのは沢山ある。が、フランスでミシュランの三ッ星を維持すること、とはある種の文化の体現と維持であるのだ。とことんまで突き詰めら、れもうこれ以上やることがないほど徹底的に磨き上げたお店、それがミシュランの、フランスにおける三つ星の本当の価値なのだと理解した。 レストランの時間は本当に優雅に流れていて、開放的でどこまでも気持ちよい午後が続いている。誰しもがこの夢のような時間が永遠に続けばいいのに、と思うだろう。 いつのまにか気がつけば夕方になり、我々が最後の客だった。これほどゆったりとランチを食べたのは後にも先にもこの時だけだ。最後の最後まで丁寧にもてなされ、沢山のお菓子のお土産をいただき、また是非ルイキャーンズへお越しください、ムッシュ。と見送られる。質素なオテルドパリのエントランスを出ればそこは、豪奢なスーパーカーの群れが行き交う世界一高級なスーパーリゾートである。 「完璧な時間というのは存在する?」「完璧な時間というものは過去にしか存在しない、なぜなら、不確定要素が存在しないからね。欲しいものも手に入れてしまえばそれは現実で、“欲しいもの”ではなくなってしまうのと同じだ。」「男の人は大変ね、満たされるということを本質的に理解できない。」「そう、いつも揺らぐ時間をなんとかしようとしている。そして大抵はうまくいかない」 「そう?」 このレストランには地中海の紺碧の海に必要な全てが揃っている。これ以上何かを求めることはありえない完璧さを持って、モナコのひと時を彩るレストランだ。ここに訪れれば、人生の中の美しき情景の一つとして、心に深く刻まれることは間違いない。 #フレンチ #モナコ #ルイ14世 #お気に入り #南仏の宝石