東京で萬治二年(1659年)創業の加賀の老舗の味を楽しむ 朝飯がうまいって幸せだ 朝食ビュッフェ@2970 つやつやご飯と味噌汁ををよそってくれるご主人 出汁巻き玉子焼きもいかがですか、と聞く うめぇ、甘くない玉子焼き メインのおかずは鯖西京焼き・豚角煮・さつまいも煮がセットになった膳 プラスご飯のお供的な小皿を取る 厚揚げ赤味噌煮 ほうれん草おひたし 昆布 こんにゃく煮 茄子オランダ煮 焼鮭ほぐし マカロニトマト煮 サラダ すぐきがうまい漬物 ねっとり小梅 等々 ご飯おかわり パン スモーキーなソーセージ 熟成ベーコン 香ばしい加賀棒ほうじ茶 浅田特製ブレンドコーヒー コクがある牛乳 定番の生玉子・海苔・納豆は置いていなかった しかしこれだけ食べたら、さすがに昼飯は要らない 9:10辺りで入店 9:45でブュッフェは撤収する 洗練された接客に老舗のプライドを感じる [以下HPから引用] 加賀百万石の豪華絢爛な文化を創り上げた金沢藩。 江戸時代の三百年を過ぎてなお現代に至るまでもその文化を伝承した前田家歴代の藩主の功績は今あらためて多大な評価を得ています。 前田利家初代藩主は信長と共に転戦を重ね名古屋の荒子城から、能登、そして金沢へと領地が移封されてきます。 一方浅田屋の始祖浅田屋伊兵衛は萬治二年(1659年)、時の加賀藩主前田綱紀卿より「中荷物御用」を百ヵ年間忠勤したことを認められ五人扶持・苗字帯刀を許されました。 前田利家初代藩主に認められてから百年、商人でありながらその業績を具体的に認められた浅田屋伊兵衛はその後「江戸三度」という組織を立ち上げ棟取りを勤めました。 江戸三度とは一ヶ月に三回金沢と江戸本郷の上屋敷を結ぶ物流の定期便です。 藩主の夏冬の衣類から藩の重要書類に至るまで、信頼された者だけに許された仕事を明治時代直前まで継続して参りました。 その間2年に1度の参勤交代時の二千人を超える藩士の食事の手当て、消耗品の手当て、宿舎の段取り等々の仕事も勤めて来ました。 徳川幕府の体制が終わろうとする慶応三年(1867年)、時の浅田屋の経営者浅田屋庄兵衛は加賀藩に中荷物御用の鑑札を返上、金沢本店跡地に旅人宿「浅田」を開業しました。 江戸では、加賀藩下屋敷は板橋に(現在の加賀町)、上屋敷は赤門で有名な本郷にあり慶応三年まで浅田屋の江戸の店はそれぞれのお屋敷内にありました。 飛脚業と加賀料理料亭という業種こそ異なりますが江戸あらため東京には昭和46年(1971年)に104年ぶりに赤坂店を出店、同じく平成6年(1994年)に青山店を出店しました。 そして、このたび平成16年(2004年)ご縁に恵まれ、前田家ゆかりの地、名古屋に参りました浅田屋でございます。 何卒よろしくお引き回しの程お願い申しあげます。 #最高の朝食