料理写真撮影は可能だが、ソーシャルメディアへの投稿はお控え下さいとのことなので写真は投稿できない。長い文章だけでご勘弁頂きたい。 入店するとおしぼりと同時に赤紫蘇のジュースでお迎え。細身のショットグラスにはクラッシュアイスが入り、グラスを置く盆には青紅葉が一葉敷いてあり、補色色環という言葉が脳裏に浮かんだ。 カウンター上には鑿痕(のみあと)を残した黒の方形の盆上に、真珠帯巻の杉箸、伏せた朱塗りの三寸の酒盃、褐色の木匙が配されている。店名を記した膝掛け布巾がある。色、形、配置で大将のセンスが伺えるのである。 そこへ運ばれて来た先付は、盆を覆い隠す大きさの蓮の葉の中央に砕氷を敷き、その上にとうもろこしの擦り流しが鎮座しているものである。真夏の清々しい緑の葉の中央に玉蜀黍の黄色の配色、そのスープの中央にはキャビアの黒がワンポイントとなる景色である。順序が逆だが玉蜀黍は甘みの強いゴールドラッシュを使い、お出汁のジュレ、淡いピンクの小豆大のエディブルフラワー、薄緑のそら豆も散らしてある。 黒地に赤金緑の扇子を描いた椀は覚えていたが、中身は失念した。まあ、素人の投稿である。 お造りは、大きな鰺と鮪のトロ。白磁に紺の有田焼にトロのピンクが映える。ついでに黄色のエディブルフラワーとその茎の緑も鮮やかである。 カウンターの向こうの大きなまな板で、鱧の骨切りをしていると思ったらそれは穴子であった。穴子の白焼きに地蛸を醤油タレと山葵で頂く。地蛸はこれまでの人生で一番柔らかかったが、大将によると柔らかくする方法があるのだそうだ。ここには書かないので、知りたい方は是非とも予約して行って訊いてみて下さい。 次は祇園祭に因み、粽が出てきてそれを向くと金目鯛の寿司が出てきた。これは修業先の名店「桜田」(廃業)からの伝来である。 そして、竹筒が出てきて、半割すると長い皿となり鴨ロース、あかほうずきの皮につつまれた葱味噌、茹でエビ、自家製カラスミ、玉子羊羹が並び、酒が進むのである。 そして、夏の風物詩である稚鮎の塩焼きがひとりあたり三尾、生姜を効かせた胡瓜揉み、川海老の唐揚げと一緒に頂いた。 海ぶどうを載せた蕎麦は海苔のソースで和えてあり、その上に蒸し鮑とその肝のソー=ス、北海道の馬糞雲丹、なんという贅沢なのであろうか。 椀物は賀茂茄子とフカヒレという組合せで、長葱の白い部分の微塵切りを散らして、青梗菜の青をワンポイントとしてその上にすりおろし生姜を盛ってある。 次に出てきたのは、自家製のローストビーフで切り分ける前のカタマリを石坂スーシェフが網に載せて披露してくれる。切り分け小皿に載せて醤油ソースのジュレで頂いた。 そして、ご飯は鰻玉丼の後に、万願寺唐辛子とおじゃこを入れて炊いたご飯がでてきて腹パンになった。 西瓜やブルーベリー、メロンに青モミジをあしらったフルーツの次に、バニラアイスクリームの上にマンゴーと西瓜をあしらい、その上にサイダーゼリーをかけたガラスの鉢が出てきた。このゼリーはサイダーのシュワシュワ感があって珍しい。 食事は18時開始で、お抹茶で〆て店を出たら22時を過ぎており終バスに乗り遅れたが、大満足の夕餉であった。はい、地下鉄で定宿に戻りました。 令和四年三月に寺町通のミシュラン一つ星店を閉じ、令和六年五月に移転開業した名店である。移転に際して複数候補を選び、場所決めして井戸を掘り、庭や内装を一新して以前の店より広くて居心地の良い店になった。大将によれば料理する側も動線が短くなって万事がよろしくなっている。移転後間もないためミシュランガイドには載らなかったが、来年には必ず☆が付く店である。
同行者から「この店は当りだね」とのお誉めを頂いた。写真を観ると奇をてらった皿はないが、ソースが全く違うのである。舌触りが全く異なるのである。さすがミシュラン三つ星の流れを引く店である。拙い表現力では表しきれないが、一度行ってみて欲しい。 二度目のランチは¥5,000のランチ、アントレ、メイン、デザートは選択式で、ちょっと金額追加する皿もあり、シャルドネを追加注文して¥8600となった。 写真#4は、トマトとソーセージのサブレである。最初の飲み物のアテである。グリコのプリッツというかイタリアのグリッシーニの超高級版という表現しか出来ないのは悲しいが、味付けがきちんとした料理であると感じるのである。 写真#3は、アントレの「ディルでマリネしたサーモンのカルパッチョ、ホースラディッシュのクリーム」である。写真の中、左上のパンの上に載せて頂く。上にかけた香り高く甘みのあるオリーブオイルとクリームで唸る。同席者がこれだけでランチとして成立すると感想を漏らしていたほど完成度が高いものであった。 ★今までの人生で一番美味いサーモンであった。★ 写真#1は、メインの「国産牛の赤ワイン煮込み、ベルナール・ロワゾースタイル」である。彼の「スタイル」というのは油、砂糖、クリーム、バターが多めの伝統的なフレンチから脱出して、素材の味を活かす調理法である。 (参照元:http://franc-parler.jp/spip.php?article125) で、写真はどこにでもある牛肉の赤ワイン煮なのであるが、肉のほぐれ具合が違う。肉の線維がある程度の固さを保持していて、ユニークである。ホロホロという崩れ方をしないのである。また、ソースもソフトに仕上がっているので、写真の二倍の量は食べることが出来ると感じた。6時間煮込んでいると説明された。 写真#2は、マッシュドポテトだが、保温性の高い鍋で提供されているので温もりを保たれている。そしてなによりポテト感が殆どなく、クリームではないかと思うほどの滑らかさがある。スーパーや居酒屋のポテトサラダに入っているそれとは全く違う別世界の食べ物であった。カルビーのカッパえびせん並みにアト引きが凄くて、止まらないのある。マッシャーではなく、非常に目の細かな網の裏ごし器を使っているのではないだろうか。 調べてみるとロブションも裏ごしをして作っている。そして、我々がパクパクと食べるマッシュドポテトに膨大な手間暇がかかっていることを知って驚くのである。 (参照:https://note.com/travelingfoodlab/n/nbfebcf7c4129) 写真#5〜#7は、デザート。私が食べたのは写真#5のシュークリームである。皮が厚めで、味の濃いクリームに負けないようになっている。 写真#8の後ろにあるのは、紅茶「マルコポーロ」である。華やかな香りと甘みが特徴的である。帰途、銀座のマリアージュ フレールに行って買おうと考えたが時間が無く断念した。
料理の写真投稿は禁止なので、この写真一枚で我慢されたい。また、禁止の理由は現地で食べてみるとなるほどと、合点がいくのである。そして、今回は二度目の食事である。 まずは、クラッシュアイスに梅ジュースを注いだ小振り細身のグラスで、口内のリフレッシュをして、次に朱色の盃に佐渡の「至」という香り高い日本酒を注いでスターターとする。 次は、一抱えもある錫製の茄子を模した器に、萩の花の咲く一枝を載せて豪華な食材が重なって運ばれてくる。蒸し鮑、渡り蟹、イクラの醤油漬け、銀杏、長芋、舞茸の上に散らした柚子皮の香りがまず届く。味付けは器の底に出汁の濃い醤油味のジュレに引力がある。これだけで、ご飯が二杯は食べることが出来るインパクトなのである。写真投稿禁止なのは、ビジュアルが素晴らしいからである。これだけのビジュアルは真似が難しいが、それでも似て非なるモノの氾濫は防ぎたくなるのは尤もである。 唯一の写真は女将さんに頼んで選んで頂いた本日の食事に合う日本酒である。ラベルには超辛口とあるが刺激は強くない。 二番手は、朱の漆塗りのお椀にギリギリ入る大きさのフカヒレを使った椀物で、玉子の黄身を散らし、とろみを付け生姜を効かせて上に白髪葱をオンしている。そのフカヒレの下にはスッポンのしんじょうが潜んでいる。玉子の黄身を「月」として、月とスッポンの見立てである。数日前に中秋の名月の夜があったばかりであることを思い出した。 そして、椀蓋の裏側、椀の内側には花札と同じ意匠で萩の花が描かれている。これも秋の象徴である。日本人に生まれて好かったと思う瞬間である。 食べている内に、カウンターの向こう、まな板の上に伊勢海老が登場して、ざくりざくりと包丁が入れられる。また、串を打った穴子を炙り仕上げとして皮の部分に火の付いた炭を押し当てて焦げ目を付けるのである。前者が包丁の音、後者が炭火から上がる蒸気で客の注目を集めるのである。 そして作られた皿は、焼き穴子と蒸し伊勢海老のお造りの上にキャビアとを載せた逸品である。大将によるとこの店ならではの一品を模索中であり、炭火直焼きの穴子がその候補なのだそうだ。この穴子はお客さんからの評判も良く、リクエストもあるのだが大振りの本穴子の入手が非常に困難なので、食べられた私たちは幸運であった。チリ酢と醤油の小皿が用意されていてお好みで使うようにと促される。 続けては、戻り鰹のタタキ。花山椒、茗荷、九条葱の横に和辛子が添えてあって、醤油の小皿も付いてくる。切り身の断面の色が鮮やかで、普段食べている鰹の鰹臭さが穏やかである。そして、焦げ茶色の器が実に見事であり、写真投稿ができないのは本当に残念である。 そして、濃い緑色の里芋の葉の上に、半熟茹で卵にゲランドの塩載せ、鴨ロース、半割にしてブルーチーズを挟み込み炙った衣かつぎ、丹波の丸ごとの栗とだだちゃ豆、一口のカマス寿司、壬生菜やエノキ茸、とんぶりなどのお浸しの椀が並んでいて見事である。 それから鮎の天ぷらが出てくる。秋の鮎は脂が少ないので天ぷらにしてあるとのこと。しかもカダイフという、別名「天使の髪」と呼ばれる素麺より細い麵をコロモにしてあるので、軽い食感になっている。また、万願寺唐辛子の輪切りも薄衣の天ぷらになって添えてある。自家製の塩分控えめのカラスミもじんわりとくる。書き忘れていたが薩摩芋もほっこりと揚げてある。 隣席には名古屋からこの店に来るためだけに車を運転して来た方、その隣には誰でも知っている京都の名刹のお坊様お二人がおられて、両方とも常連さんらしかった。私は初回の食事中に本日の予約をして、今回も食事の後に三回目の予約をした。
食事の途中なのに、「また食べに来よう」と一人が言いだして全員が首肯するということで、どれだけの店なのかご理解いただきたい。芸術なのである。安い方のコース「菫(すみれ)」¥9900を選択して、オプションで名物のサツマイモと人参を頂いたのだが、次回はちょっと高い「椿」¥13000を頼もうと一同が意見一致した。銀杏と白子、雲丹の天ぷらが加わり、最後はご飯の他に天丼、天茶を選択できるのである。 客の中に一人、ギッチョが居た。その彼が左手に箸を取った瞬間に天ぷらの鍋に向かう近藤さんは店員に目配せした。すると、客の後ろに控えていた店員さんが進み出て、盆の上にある箸置き、ツユの小鉢、塩の小皿の配置の左右を逆に置き換えてくれた。近藤さんは、天ぷらの具材、油の温度など調理のことだけでなく鋭い眼で客の様子を伺っているのである。別の天ぷら屋の親方から聞いた話だが、カウンターの向こう側で天ぷらを揚げながら客の様子を観察しているのである。 さて、天ぷらの感想については、私の下記の投稿をご参照願いたい。 https://retty.me/area/PRE13/ARE2/SUB201/100000455517/55286373/ なお、文中に不適切と思われる用語が使用されておりますが、作者の意図を尊重してそのまま投稿します。 注:帆立の写真を撮りそびれました。お詫びいたします。