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Hitoshi TanakaさんのMy best 2024

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1

東京都

焼肉

Hitoshi Tanaka

美味しくて、安くて納得。1時間半の入れ替え制なのだが30分でパタパタと食べてしまい、写真も撮りそびれた。肉のお替わりも頼んで最後は冷麺。店員さんの助言で冷麺は二人前を五人で分けた。 19時半の予約だったが既に特上の部位は売り切れていたが、普通のタン塩、ロース、カルビ、ランプがどれもこれも上物であった。ランプがうまくサシが入っていてトロけるように甘くはかない。これはリピート・オーダーした。

2

京都府

日本料理

Hitoshi Tanaka

料理写真撮影は可能だが、ソーシャルメディアへの投稿はお控え下さいとのことなので写真は投稿できない。長い文章だけでご勘弁頂きたい。 入店するとおしぼりと同時に赤紫蘇のジュースでお迎え。細身のショットグラスにはクラッシュアイスが入り、グラスを置く盆には青紅葉が一葉敷いてあり、補色色環という言葉が脳裏に浮かんだ。 カウンター上には鑿痕(のみあと)を残した黒の方形の盆上に、真珠帯巻の杉箸、伏せた朱塗りの三寸の酒盃、褐色の木匙が配されている。店名を記した膝掛け布巾がある。色、形、配置で大将のセンスが伺えるのである。 そこへ運ばれて来た先付は、盆を覆い隠す大きさの蓮の葉の中央に砕氷を敷き、その上にとうもろこしの擦り流しが鎮座しているものである。真夏の清々しい緑の葉の中央に玉蜀黍の黄色の配色、そのスープの中央にはキャビアの黒がワンポイントとなる景色である。順序が逆だが玉蜀黍は甘みの強いゴールドラッシュを使い、お出汁のジュレ、淡いピンクの小豆大のエディブルフラワー、薄緑のそら豆も散らしてある。 黒地に赤金緑の扇子を描いた椀は覚えていたが、中身は失念した。まあ、素人の投稿である。 お造りは、大きな鰺と鮪のトロ。白磁に紺の有田焼にトロのピンクが映える。ついでに黄色のエディブルフラワーとその茎の緑も鮮やかである。 カウンターの向こうの大きなまな板で、鱧の骨切りをしていると思ったらそれは穴子であった。穴子の白焼きに地蛸を醤油タレと山葵で頂く。地蛸はこれまでの人生で一番柔らかかったが、大将によると柔らかくする方法があるのだそうだ。ここには書かないので、知りたい方は是非とも予約して行って訊いてみて下さい。 次は祇園祭に因み、粽が出てきてそれを向くと金目鯛の寿司が出てきた。これは修業先の名店「桜田」(廃業)からの伝来である。 そして、竹筒が出てきて、半割すると長い皿となり鴨ロース、あかほうずきの皮につつまれた葱味噌、茹でエビ、自家製カラスミ、玉子羊羹が並び、酒が進むのである。 そして、夏の風物詩である稚鮎の塩焼きがひとりあたり三尾、生姜を効かせた胡瓜揉み、川海老の唐揚げと一緒に頂いた。 海ぶどうを載せた蕎麦は海苔のソースで和えてあり、その上に蒸し鮑とその肝のソー=ス、北海道の馬糞雲丹、なんという贅沢なのであろうか。 椀物は賀茂茄子とフカヒレという組合せで、長葱の白い部分の微塵切りを散らして、青梗菜の青をワンポイントとしてその上にすりおろし生姜を盛ってある。 次に出てきたのは、自家製のローストビーフで切り分ける前のカタマリを石坂スーシェフが網に載せて披露してくれる。切り分け小皿に載せて醤油ソースのジュレで頂いた。 そして、ご飯は鰻玉丼の後に、万願寺唐辛子とおじゃこを入れて炊いたご飯がでてきて腹パンになった。 西瓜やブルーベリー、メロンに青モミジをあしらったフルーツの次に、バニラアイスクリームの上にマンゴーと西瓜をあしらい、その上にサイダーゼリーをかけたガラスの鉢が出てきた。このゼリーはサイダーのシュワシュワ感があって珍しい。 食事は18時開始で、お抹茶で〆て店を出たら22時を過ぎており終バスに乗り遅れたが、大満足の夕餉であった。はい、地下鉄で定宿に戻りました。 令和四年三月に寺町通のミシュラン一つ星店を閉じ、令和六年五月に移転開業した名店である。移転に際して複数候補を選び、場所決めして井戸を掘り、庭や内装を一新して以前の店より広くて居心地の良い店になった。大将によれば料理する側も動線が短くなって万事がよろしくなっている。移転後間もないためミシュランガイドには載らなかったが、来年には必ず☆が付く店である。