南 たすく

南 たすくさんのMy best 2019

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南 たすく

ジョニーに、頼まれていたことがある。 「五番街へ行ったならば マリーの家へ行き どんなくらししているのか 見て来てほしい」 そこで、中野に所用の際、五番街商店街を訪ねた。 すると、マリーは、直接ジョニーに会いに行くと言い出した。 「ビックリ」させるんだという。 何の因果か、一緒に御茶ノ水まで足を延ばすはめになった。 ジョニーは、御茶ノ水駅前の茗渓通り沿いで、2006年からカレー屋をやっている。 豆腐屋ではない。 ましてや、波乗りでもない。 ところが、こんな日に限って、ジョニーが店に居ない。 (実は、マリーに内緒で、この訪問をジョニーにメールしておいたからだ) 一緒に、「ビックリチキンカツカレー」並820円を食べながら待つことになった。 ここには、「大人のカレーシリーズ」なるものもある。 激辛の「カシミールカリー」や「コルマカリー」だ。 しかしながら、マリーと一緒だと、大人になりたくない気分だ。 普通の、オリジナルカレーをチョイス。 ここのカレーは、玉葱を10時間炒めて作る。 玉葱はルーに溶け込んでいる。 とろとろで、甘みとコクがある。 「ビックリチキンカツ」は、ムネ肉で通常の2枚分サイズ。 注文を受けてから揚げるのでアツアツだ。 キャベツも添えられている。 卓上の「福神漬け」と、「自家製辛み玉ネギ」をカレーに投入する。 「辛み玉ネギ」、つまりアチャールが美味しい。 ピッチャーに入った水は、紀州備長炭のミネラル水だという。 水を飲みながら更に待ったが、ジョニーは帰ってこない。 マリーは、痺れを切らして席を立つ。 ジョニーへの伝言を残すことになった。 「ジョニーが来たなら伝えてよ 2時間待ってたと」 (実際は、20分ぐらいだ) 「割りと元気よく出て行ったよと そこのところ うまく伝えて」 (「うまく」というのは、言葉と裏腹に元気が無かったと伝えて欲しいらしかった。 しかしながら、実際の様子は、「ビックリ」するぐらい元気だった。 「ビックリチキンカツカレーパワー」に違いない)

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東京都

スイーツ

南 たすく

吾輩は猫で……はない。 飼い主の、珍野苦沙弥である。 というか、作者の夏目漱石である。 今日は、同輩の正岡子規君、そして岡倉天心先輩と待ち合わせだ。 場所は、根ぎし芋坂の「羽二重団子」(本店)。 2019年5月18日にリニューアルオープンしたばかり。 そこで、久々お会いしましょうとのことになったのだ。 二人は、先に着いていた。 既に、岡倉先輩は、陶然ときこしめしている。 此方には、岡倉先輩の好みに由来する『天心セット』1,200円(税別)なるメニューがある。 焼き団子2本に、冷酒グラスが付く。 先輩の長男の随筆に、先輩についての次のエピソードがある。 「芋坂の団子屋で、陶然として帰るを忘れていた」というのだ。 岡倉先輩が此方に来ると、黙っていてもこのメニューが出てくる。 何と『子規セット』1,120円(税別)まである。 焼き団子1本に、餡団子が3本も付く。 正岡君の随筆「仰臥漫録」に、次の記述があるのだ。 「あん付き3本、焼き1本を食う(これにつき悶着あり)」 こちらも、正岡君が来ると、黙っていても出てくる。 煎茶をお代わりしながら、食いまくっている。 吾輩は、「正岡君、相変わらずの甘党だね。悶着があっても止められぬようだ」と声を掛けた。 正岡君は、激しく噎せた。 「うっ、持病の癪が……」 「また、自身の病気にかこつけて……」と追い打ちする。 すると、反撃がきた。 「夏目君、自分だけ名前がついたメニューを持たぬからと、ひがまれてもね」 吾輩は、「ふっ、ふっ、ふっ……」と笑い飛ばす。 「もっ、もしや、その余裕は」 吾輩は、お店の方に声を掛けた。 「漱石セットを、ひとつ」 「何と、そんなものが、いつの間に……」 新メニューの『漱石セット』は、630円(税別)。 焼き団子1本に、漱石もなか1個がつく。 「何と、猫のもなかではないか!」と、正岡君が驚く。 「『吾輩は猫である』に、『芋坂に行って團子を食いましょうか』と書いたからな」と言いながら、焼き団子をほおばる。 そして、「驚くのはまだ早い。もなかの中身を御覧じろ」と見せてやる。 果たして、そこには「しずくあん」が3粒入っている。 そして、「しずくあん」には、しずく1滴ごとに餅が入っているのだ。 「流石は、羽二重のきめ細やかさ」と、正岡君が唸る。 そして、せき込む。 一方、岡倉先輩は、マイペースを崩さない。 「此方の餡団子は、確かに芸術だ。 しかしながら、此方の焼き団子の香ばしさと、まっすぐな味わいは、何物にもかえがたい」 吾輩は、煎茶を啜り、店内を見回す。 「前店舗にあった、お気に入りの庭が無くなったのは少々寂しい。 しかしながら、新店舗も中々粋だ。 テーブルやイスには、団子形の穴が空いているね」 建物や美術に造詣の深い、岡倉先輩が記憶力の良さを見せる。 「羽二重団子は、文政2(1819)年の創業。 我々3人に馴染み深いのは、明治22年築の木造店舗。 それから、昭和7年築の木造店舗。 昭和46年には、木造にビルが併設された建物となる。 そして、昭和58年築のビルで平成29年まで営業されていた」 「創業して、ちょうど200年。 我々がこの世を去ってからも、時代とともにあるのだな」と、しみじみしてしまう。 正岡君が、一句詠んだ。 「芋坂も団子も月のゆかりかな」 【メモ】 前店舗訪問投稿=2014/12/16。 今回注文=漱石セット630円+餡団子1本280円→税込982円。

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東京都

そば(蕎麦)

南 たすく

A「鋭角な三角形の立地。『六文そば須田町店』を思い出すね」 B「しかも、『六文そば』や『岩本町スタンドそば秋葉原店』と同じ黄色い看板だ」 A「ここも、『立喰そば』と書かれているだけで、『岩本町スタンドそば』と同様、店名の表示がどこにもないね」 B「だから、立喰そばファンからは『東神田の黄色い看板』って呼ばれてる」 A「で、お店の名前は?」 B「元々、『いとう』っていう店だったんだ。だけど、2010年1月に店主が身体を壊して廃業。話を持ち込まれた『そば千北千住店』の店主が継いで、4月に『そば千東神田店』として再開したんだ」(『北千住店』は2011年12月に閉店) A「立喰そばへの想いが伝わってくるね」 B「そして、だ! ここでは、『岩本町スタンドそば』でありつけなかったオキアミ天がいただけるのだ!」 A「何で、お前が偉そうに胸張ってんの」 B「捕鯨の副産物のオキアミは、今や、ここ位でしか、喰えないからなのだ!」 A「分かったから、落ち着きな」 B「しかも、朝のうちに売り切れてしまう。日程調整して、やっと朝の訪問が叶ったのだ!」 A「分かったから、感涙にむせぶなって」 B「うぉぉぉぉ………………!」 A「とにかく、注文しようぜ。オキアミ天と春菊天のそば、一つ」 B「それ、もう一つ。勘定490円は別々ね。」 A「…(困った)…それを先に言われちゃあ、時蕎麦ネタが使えないじゃないか」 B「キタキタ、来ましたよ。暗黒醤油」 A「この、確りきいたダシと、甘みがたまんないね」 B「蕎麦の暗黒面が怖いっていう、饅頭怖いネタももういいからね」 A「…(困った)…暗黒醤油を飾る、オキアミ天の赤と春菊天の緑。美しいね」 B「春菊天の香ばしさ。オキアミ天は、パリパリとした殻の食感」 A「それが、ツユを吸っていく感じも、良いね」 B「麺は、ここも興和物産だ」 A「まず、この暗黒醤油があってこその、麺であり、オキアミ天だね」 B「旨いね。オチはつきそうにないけど」 A「さんまは目黒に限る。そして、オキアミ天は東神田に限るのだ!」 B「力技できたね。で、何で、偉そうに胸張ってるの」 【追記】この投稿は、全3編の後編となっています。以下のタグから入って、前編、中編もご覧いただけると嬉しいです。 #黄色い看板の暗黒醤油 ○前編 六文そば 須田町店 2016/12/19投稿 ○中編 岩本町スタンドそば秋葉原店 2017/06/30投稿 ○後編 そば千東神田店 2019/03/11投稿 尚、3編は、私の「MyBest」からもご覧いただけます。 私の「MyBest」は、ベストなお店ではなく、私の暴走度ランキングとなっておりますので、あしからずご了承ください。

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埼玉県

カフェ

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みんな ぱらいそさ いくだ! おらといっしょに ぱらいそさ いくだ! 「重田、どうした? なに、ぱらいその所在が分からない? では、この稗田礼二郎が案内しよう」 場所は、入間。 入間のパライソ。 「イル・パライソ(il paraiso)」。 赤い屋根の古民家だ。 門柱、ガラスの引き戸……。 この風合いを、ご覧あれ。 昭和16(1941)年に建てられた。 真珠湾攻撃により、太平洋戦争が始まった年だ。 かつての間取りをそのまま改装しておる。 そして2005年に「一軒家カフェギャラリー」としてオープンされた。 玄関からそのまま。 なので、靴を脱いで、スリッパに履き替える。 雑貨やアンティークが並んでおり、販売されておる。 年に一度海外まで行って買い付けて来られるそうだ。 此処は、「ベジプレートランチ」1.080円が美味しい。 近所の農家から無農薬野菜を仕入れておる。 だが、今回はカフェ利用。 「自家製ミニプリン」200円と「ハウスブレンド珈琲」400円をオーダー。 最初に出されたのは、デミタスコーヒー……ではなく、プリン。 とろりと濃厚で味わいに深みがある。 サービスで煎餅を付けていただく。 珈琲は、同じ入間にあるコーヒー豆専門店「桃円」の豆。 これを挽いて、ドリップしておる。 深くおだやかな苦み、そして甘み。 コーヒーが入ったカップ&ソーサーの青が美しい。 伊豆の陶房・流水居のもの。 何と、この青は、釉薬によるものではないのだという。 伊豆で掘り出した土の成分から出る「地球の色」。 イズブルーと名付けられておる。 店を出た後、自称稗田の姿が、忽然と掻き消えた。 取り残された重田に、尋ねた。 「あのように素敵なお店に対し、かような投稿。 不届き千万。 さては、妖怪ハンターを騙るニセモノに違いあるまい。 どこへ行った?」 重田は、地を指して答える。 「いんへるの、いっただ……」 (諸星大二郎先生、ファンの暴走を御許しください。 また、私の「MyBest」は、私の暴走度ランキングとなっておりますので、あしからずご了承ください。)

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「味の記憶」について、お話したい。 私は、長崎で生まれ、大学から東京に出た。 そして、東京で働き、首都圏で還暦を迎えた。 そんな中、とある想いが、強くなるのを感じていた。 長崎で暮らしていた頃に食べていた、ひとつのメニュー。 それを、どうしても、もう一度味わいたい。 「カレーの夕月」。 創業は、昭和8(1933)年11月29日。 私が長崎に居た頃、一番の繁華街は、浜町アーケードだった。 そして、「夕月」は、浜町アーケードから脇に入ったビル2階にあった。 調べてみると、「夕月」は、2016年2月26日に移転されている。 現店舗は、ベルナード観光通り側のアーケード内。 喫茶ウミノ跡地にできた瀟洒なビルの1階だ。 訪問を果たし、メニューを拝見。 その途端、引き込まれるものがあった。 ベースとなる「夕月カレー」530円。 これに、茹でタマゴをトッピングしただけの「タマゴカレー」590円。 中高生の小遣いでは、なかなか豪華なトッピングには手が出せない。 そんな中で、空腹を満たすべくチョイスしていたメニューだ。 これを、ミニサラダ、ドリンクとの「セット」790円でお願いすることにした。 カレーのビジュアルが、もう、たまらない懐かしさだ。 鮮やかなオレンジ色。 ライスを取り巻く、三日月形の盛りつけ。 この、色と形が、店名「夕月」の由来だ。 カレーを、口に、そして味わう。 その瞬間、舌先から、記憶野へと刺激が繋がった。 私の記憶力は、若いころから良くなかった。 今では、Rettyに記録しておかないと、昨日食べたものを忘れてしまう。 ましてや、味覚となると言葉にもできないあやふやなものだ。 そんな私だが、これだけは、間違いない。 記憶の根底に、こびりついていたあの味わいだ。 スパイスではなく、感動に痺れる。 「夕月」の創業は、86年前だ。 スパイス感はあるが、流行りのスパイシーなカレーではない。 スパイスを包み込む、まろやかな優しさこそがかなめ。 私が言えるのは、このまろやかさが、小麦粉や、溶け込んだ野菜由来のものだということぐらいだ。 「夕月」の2代目が、初代の味を守り続けてくれていたことに感謝する。 「夕月カレー」の色あいと味わいの秘密を知っているのは、2代目だけだという。 店内の壁面に、旧店舗のモノクロ写真が飾られていた。 カレーとともに蘇る、やさしい記憶。 中高生の時、「歩け歩け大会」に参加した時のことを想い出す。 長崎の海岸を、一夜かけて歩いた。 その夜は、満月。 その月は、幻想的なまでに鮮やかなオレンジ色だった。 10代の私が見たオレンジ色の月と海へ向って、60代の私が叫んだ。 でも、記憶力に欠陥があるので、何と叫んだか思い出せない。

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東京都

ラーメン

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「巖流島の決闘」より、408年。 小次郎は、武蔵に、果たし状を送った。 「巌虎」のリベンジマッチである。 「彼を知れば再戦殆うからず」 小次郎は、武蔵について調べた。 「麺屋武蔵」、1996年5月創業。 「シングルブランド」と「ダブルネーム」の二刀流である。 「シングルブランド」は、「麺屋武蔵」の看板店。 一方、「ダブルネーム」は、店名とは別に屋号を持つ個性的なラーメン店である。 「巌虎」は、その屋号のひとつ。 2010年3月31日のオープン。 武蔵を「虎」のイメージで捉えているのだろうか。 一方、小次郎は、「巖流」や「岩龍」とも名乗ってきた。 龍虎が、再び相まみえることとなる。 小次郎は、果たし状に、昼食時を指定した。 しかしながら、意図的に遅刻し、夕食時に訪問した。 腹を減らしておくためである。 前回、武蔵による意図的な遅刻で、焦らされたことが敗因のひとつだった。 神田川を渡って、「巌虎」へ向かう。 小次郎は、3尺もの長さがある野太刀の使い手である。 前回、武蔵は当然二刀で来るものと思って、備えていた。 ところが武蔵は、野太刀より長い木刀を作ってきた。 巖流島に向かう舟の中で、艫を削って作ったのだ。 これも、敗因のひとつだった。 そこで、今回小次郎は、野太刀ではなく、箸を握って戦いに挑むこととした。 肝心なのは、メニューの選択だ。 これを誤ってはならない。 目を奪われがちなのは、限定メニュー。 これまで、「巌虎」は、様々な話題のメニューを提供してきた。 タマノイの3種の酢を使った「ブラックスッパーら~麺」。 1杯にニラ3.5束相当が凝縮された「ニラざんまいら〜麺」。 スープも麺もコショウまみれのつけ麺「つけペッパー」。 花畑牧場のラクレットチーズたっぷり「ラクレッドカレーつけ麺」。 ケバブ×つけ麺×ラクレットチーズの「ツケバブ」。 この日の限定メニューはというと、見るからに真っ赤な「七味つけ麺」。 乗せられてはならない。 辛さが苦手な小次郎にとって、この選択は敗北必至となる。 王道で勝負だ。 「巌虎濃厚つけ麺」1,170円をチョイス。 麺の量を問われる。 「並盛」、「中盛」、「大盛」が同額なのだ。 弱腰は見せられない。 茹で前300gの「大盛」を指定。 「ダブルネーム」の武蔵は、店舗ごとに個性を持つ。 「巌虎」の特徴は、デカいチャーシューベーコンだ。 特製ダレに豚バラ肉を数日漬け込み、スモークしている。 これを、鉄板で焼いてから出す。 それだけでもインパクトがある。 ところが、脇にはバラチャーシューまで載っているではないか。 更には、味玉、小葱、そして、たっぷりのモヤシ。 麺は、歯ごたえも強力な極太ストレート。 つけ汁はどろりと濃厚で、海苔が添えられている。 負けるわけにはいかない。 次々と繰り出される麺と具を、腹に納めていく。 昼食を抜いたことが功を奏した。 勝てるのではないか。 小次郎の怒涛の攻めに、僅かな隙が生じた。 その瞬間、武蔵がここぞとばかりに大技を繰り出してきた。 つけ汁の中に、大量のバラチャーシューとメンマが隠されていたのだ。 誰にも教わらない、無手勝流であること。 それが「武蔵」の店名由来だという。 やってくれる、それでこそ我が宿敵。 だが、小次郎も、400年、辛酸をなめた胃を持つ。 卓上の「ライム酢」と「タバス粉」の出番だ。 思いが勝った。 遂に、割りスープの入ったポットへ、手を伸ばす。 小次郎は、快哉を叫んだ。 「武蔵、敗れたり!」

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東京都

ラーメン

南 たすく

■種田山頭火とは 自由律の俳人。 明治15(1882)年、山口県佐波郡に生まれた。 禅僧として、行乞の旅で各地を巡る。 そのさなかに、数多くの句を残した。 《生まれた家はあとかたもないほうたる(蛍)》 ■らーめん山頭火とは 昭和63(1988)年、北海道旭川市にて開業した。 創業に際し、店主は、「何かよい店名はないか?」と、飲み屋で兄に相談した。 「おまえは酒好きで、女好きで、放浪癖があるから、山頭火はどうだ?」と言われた。 飲み屋のママ達からは 、「どうせなら3月10日(さん・とうか)にオープンしたら?」と言われた。 そこで、4月のオープン予定を繰り上げたという。 当時、旭川ラーメンは醤油味を主体としていた。 これに対し、「山頭火」は、塩味ベースの豚骨ラーメン。 これが、人気となった。 現在、日本各地の他、北米や東南アジアにも店舗を展開するに至っている。 《酔うてこほろぎと寝ていたよ》 ■種田山頭火と風来居 昭和13(1938)年、56歳になった風来坊、 山頭火。 山口市湯田温泉街に庵を結んだ。 そして、「風来居」と名付けた。 [昭和15(1940)年、58歳で他界。] 《けふもいちにち風を歩いてきた》 ■らーめん風来居 旭川の山頭火本店で修行した方が、独立する。 その店名は、山頭火のオーナーに付けて貰ったという。 新宿店は、2000年1月オープン。 渋谷店は、2004年オープン。 そして、此処、神田秋葉原店は、2014年3月17日オープン。 《山へ空へ摩訶般若波羅密多心経》 ■人気「トロ肉しおらーめん」1,050円 山頭火系の塩豚骨。 クリーミーで濃厚。 でありながら、すっきりしていて、くどさはない。 鮮度の高い豚骨に、鱈の身と香味野菜を加え、2日間かけて仕上げる。 麺は、暖簾と木箱に書かれているように小林製麺。 札幌から毎日直送されてくる。 細めのちぢれ麺で、スープに絡み、確りとした歯ごたえがある。 振りかけられた白ゴマの風味が良い。 別皿で、トロ肉6枚、メンマ、キクラゲ、刻みネギ。 霜降り肉を厳選しているというトロ肉は、口に入れた途端、とろけていく。 丸ごとのキクラゲも良く合う。 《へうへうとして水を味ふ》 ■名物「玉子かけごはん」210円 白飯に、鰹節、細かく刻んだチャーシュー、玉子、そしてタレ。 国産豚のチャーシューは、毎朝3時間ほどタレで煮込んでいる。 タレは、創業時からの継ぎ足し。 確りとかき混ぜていただくと、たまらない美味しさだ。 《こころすなほに御飯がふいた》

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東京都

定食

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「天将」は、十条銀座商店街、アーケードに入ってすぐの左手にある。 当然、最寄りは「十条駅」。 しかしながら、この日、私は東十条駅に降り立った。 まず、「十条富士神社」に立ち寄ってから、「天将」へと向かったのだ。 「天将」は、終戦間もない昭和22(1947)年の開業。 吉田類の酒場放浪記でも取り上げられたことがある。 店舗基部の装飾は、ドイツ積みのレンガで、二階はモルタル。 その白い壁面浮かぶ、立体文字が素晴らしい。 黒で大きく、「大衆食堂」。 赤で小さく、「天将」。 その下にある看板に再度「てんしょう」の文字。 その左に「和食」、右に「洋食」とくるのだから、たまらない。 店頭に加え、店内にも食品サンプルケースが置かれている。 このスタイルが懐かしい。 看板は、「大衆食堂」だが、「大衆酒場」の雰囲気を持つ。 午前中に訪問したのだが、多くの席が既に埋まっている。 そして、皆、もう呑んでいる。 ちゃんと、「ライス並」170円や、「みそ汁」50円が付けられる。 だが、皆、単品でたのんで、注文を追加しつつ、呑んでいる。 あいにく、私は呑めない。 「ナポリタン」400円と、「いりぶた」350円を、お願いした。 このお店の訪問は、 #昭和のナポリタン を追い求めてのものでもある。 此方の「ナポリタン」は、価格が安く、皿が小さい。 一見して、これは酒のアテなのだと分かる。 具は、赤いウィンナーと緑のピーマンだけに見える。 スパゲッティの太さと、ぶよぶよ感がたまらない。 ぶよぶよが、たっぷりのケチャップに包まれている。 「いりぶた」は、十条名物。 豚肉のこま切れと玉ねぎを、塩コショウとケチャップで炒めてある。 ポークチャップではなく、「いりぶた」と呼ぶのが十条的だ。 キャベツの千切り、ポテトサラダ、そしてパセリが添えられている。 パセリが大きくて、存在感がある。 その苦みが、「いりぶた」の甘みを引き立ててくれる。 パセリの緑が、先程拝見した「十条富士」を被う樹々を想い出させる。 江戸時代、明和3年頃に築山された富士塚。 ちょっと階段を昇れば、もう富士山頂だ。 社殿等は無く、小石祠が頂上に安置されている。 「富士講」、「山岳信仰」、「修験道」と想いを馳せる。 目の前に座っているオジサンが、修験道の開祖、役小角に見えてきた。 白い鬚など生やしているからいけない。 何と、「オムライス」で生ビールだ。 南條範夫の文庫本片手に、愉しんでいる。 私の連想は、「修験道」から「陰陽道」へと至る。 そう、「十二天将」だ。 「十二天将」を式神として使役していた人物が、店に入ってきた。 安倍晴明だ。 大黒様のような恰幅のよい人物に、化身している。 「ごめんよ」と、声をかけて、役小角の奥の席に座ろうとしている。 役小角は、座席を前に引きながら、「通れる?」と尋ねる。 安倍晴明は、「だいじょうぶ、やせてるから」と言いつつ奥へ。 何とも懐かしいやり取りだ。 私は、女将さんに尋ねた。 「このお店の名前は、どうして天将というのですか?」 女将さんは、「分からないんだけど……」と首を傾げる。 「うちのお母さんの名前が、将代だったから、他のどこからか、あと一文字借りてきたんじゃない」 その途端、私の頭の中で、役小角と安倍晴明が、近所のオジサン達へと戻った。 (私の「MyBest」は、私の暴走度ランキングとなっておりますので、あしからずご了承ください。)

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とんかつ

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神田小川町の「とんかつ六九」は、2014年8月15日オープン。 「六九」と書いて、「ろっきゅー」と読みます。 しかしながら、そのホームページアドレスは、「http://www.wewill69.com/」。 「We will we will rock you」 店内BGMまで、Queenです。 現在、Queenの映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒット上映中。 タイムリーなお店を再訪(前回訪問2017年7月12日)です。 そんな、ロックなお店。 開店以来の売りは、690円でいただける「ロースかつ定食」と「ヒレかつ定食」でした。 ところが、昨(2018)年、これが720円となります。 食材の値上げが相次ぐ中、止むを得ない判断でしょう。 でも、みんな、心の中で密かに思ったはずです。 「なに(72)~! それじゃ『とんかつ六九』じゃなくて『とんかつ七二』じゃないか」 そして、今(2019)年、店頭に新メニューが貼り出されていました。 「串(94)カツ定食」690円です。 私の心の中に、くし(94)くも、フレディの歌声が響きます。 「Is this the real life? Is this just fantasy?」 (これってホント? それともファンタジー?) ロックですね。 「串カツ定食」690円と、「季節限定 牡蠣フライ単品(2個)」300円をオーダー。 ご飯は、「茨城県産コシヒカリ」100%。 しかも、「なるしまファーム」の減農薬栽培米。 味噌汁は、シジミ入り。 この二つは、セルフでおかわり自由です。 香の物は、40年間受け継がれてきた「ぬか床」による大根。 揚げ物に添えられるキャベツは、手切りに拘っています。 ボリュームのある柔らかな「串カツ」。 一本は、肉大-肉-ネギ-肉-ネギ。 もう一本は、ミニトマト-肉大-ネギ-肉-ネギ。 「牡蠣フライ」もデカイ。 「2個で300円だよね、いいの?」と、確認したくなります。 更に、 玉ねぎを揚げたものまで添えられます。 ここは、ソースが2種類あります。 串カツも牡蠣フライも2個づつなので、使い分けてみました。 皿の左側が、ソースポッドに入っていた「定番とんかつソース」。 右側が、甕に入っていた「醤油ベースの和風ソース」です。 「とんかつソース」も美味しいのですが、「和風ソース」が魅力的。 粗めの玉ねぎをコトコト煮込んで香味野菜で仕上げてあるそうです。 私の年齢だと、ご飯のおかわりはできません。 でも、若い方なら、「串カツ」だけで、おかわり確定ですね。 「六九」は、西新宿にある「山海楽酒およよ」(2008年10月1日オープン)の系列店です。 「およよ」で有名なビフテキランチも、500円から600円になったようです。

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東京都

そば(蕎麦)

南 たすく

【モーレツ社員 立志編】 「野むら」の店頭には、青地に白文字で大きく「スタンドそば」と掲げられている。 「立ちそば」ですと、胸を張るような心持ち。 昔、「モーレツ社員」は、イスに座って食事する間もないほど忙しかった。 だから、「立ちそば」。 ……でも、パチンコ台に座り込み、軍艦マーチを聴く余裕はあった。 昔、「モーレツ社員」は、「生麺」を茹でる間さえ待てなかった。 だから、「茹で麺」。 ……でも、雀荘に座り込み、「もう、半荘」と粘る余裕はあった。 「立ちそば」店は、「モーレツ社員」の胃袋。 これなくしては、バリバリ働けない。 だからこそ、「立ちそば」店は、競い合った。 如何に短時間でそばを提供するかを……。 如何に「茹で麺」を美味しく食べさせるかを……。 浅草橋CSタワーは、1991年の竣工。 「野むら」は、その1階で、1992年から営業している。 店主は、「立ちそば」チェーンで修行を積まれた方だ。 カウンターの向こうに、揚げ物類の入ったステンレスバット。 バットの前に立てかけられた木札。 そこから揚げ物をチョイスするシステムだ。 おお、イカ天がひとつだけ残っている。 「かけそば」320円+「いか」150円+「きつね」70円を口頭オーダー。 現金と引き換えに、丼を受け取る。 この辺りの「立ちそば」のツユは、とんでもなく黒い。 そのため、暗黒醤油と呼ばれる。 そして、「野むら」のツユは、その中でも、ひときわ深い闇だ。 オープン以来継ぎ足しのツユは、闇の深淵に揺蕩う。 塩分強めで、甘みが素晴らしい。 かつお節、宗田節、昆布を使ったダシ。 その闇の力は、太い茹で麺を染め上げるほど。 イカ天も、油揚げも、丼を覆うほどの大きさ。 ともに、暗黒醤油を溜め込んで、その権化と化している。 殊に、油揚げの美味さは、尋常ではない。 一度、その尋常ならざる暗黒面に取り込まれると、もはや光の元に還ることはできない。 「モーレツ社員」は、意を決して、丼を飲み干す。 底知れぬ暗黒のパワーを、己が内に取り込む。 よし、これなら、24時間戦える。 競馬も、競輪も、競艇も、負けることはない。 そして、小川ローザとともに叫ぶ。 「Oh!  モ~レツ!」と。