南 たすく

南 たすくさんの My best 2017

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スイーツ

南 たすく

京都にいたころの友達に、在原業平ってえのがいるんだけどね。 そいつが、京都本社から東北支社へ左遷されるっていうんで、隅田川まで送ってったんだ。 隅田川は、向島まで行ったら、「ユリカモメ」が群れててね。 いわゆる「都鳥」。 するとね。 業平の奴が、いきなり、男泣きに泣きはじめやがった。 「おーい、都鳥。名前通り、京都のゴシップに詳しいんだろ。俺の恋しいあの人は、元気かな」 マジ泣きだよ。 困っちまってさ。 宥めながら、「言問団子」に入ったんだ。 ここは、黙ってても、緑茶の付いた「三色セット」630円が出てくる。 こういう時は、ホントありがたいね。 江戸末期創業の老舗。 池波正太郎、幸田露伴、野口雨情、そして竹久夢二も通った。 串にささないっていう、団子の原点を守り続けてる。 団子は、色違いの三個。 業平は、最初に、米の粉を餅状にした小豆餡の団子を口にした。 しっとりとした高貴な甘みが、伝わってくる。 「ああ、あの黒髪を思い出す。高子~っ!」 「その名前を口にしちゃだめだって。二条后だろ。禁忌の恋なんだから」 業平は、次に、米の粉を餅状にした白餡の団子を口にした。 たおやかで上品な甘みが、たまらない。 「ああ、あの白いやわ肌を思い出す。恬子~っ!」 「その名前は、もっとやばいだろ。斎宮なんだから。それで左遷になったんだろ」 業平は、最後に、白玉粉を餅状にしたものをクチナシよりとった色粉で青黄色にして、みそ餡を入れた団子を口にした。 才気溢れる個性的な甘みに、惹かれる。 「ああ、きつつなれにし唐衣、褄の色を思い出す。有常の娘~っ!」 「だから、やばいって……あっ。奥さんだから、問題ないか」 何しろ、業平はイケメンの優男。 しかも、宮仕えに必要な漢文はからきしだが、恋文に沿える和歌だけは天才だ。 モテモテの恋多き男を、困った奴だと思いながら、車に押し込み、言問橋を渡った。 #友達の在原業平君と団子を食す

南 たすく

【赤井救命士の救急出動報告より抜粋】 2017年3月13日12時51分、神田神保町で出動要請あり。 中高年の男性が、倒れているとの通報。 現場に駆けつけると、スプーンを握りしめ、路上に前のめりに倒れている。 担架に乗せ、救急車両に移し、聴診器をあてる。 お腹が、ギュルギュルと鳴っている。 そして、朦朧とした意識で「ウィンナー」と繰り返している。 赤井は、男性の耳元で呼びかける。 「確りして! ウィンナーは、ピンクですか、それとも赤ですか」 男性は微かな声で「……あ……か……」と喘ぐ。 男性の年齢からみても、日本において赤ウィンナーが考案された昭和中期以降に、少年期を過ごしたと判断される。 典型的な「赤ウィンナー依存症」であると診断。 急性か? いや、この状態から考えて、慢性を我慢したあげく、拗らせている。 緊急性は高い。 中高年の男性は、依存対象がピンクのウインナーではなく、赤いウインナーであることを、隠す傾向がある。 そのため、命に関わる問題であることを知りながら、ギリギリまで摂取を我慢してしまうのだ。 救急車両の運転席から、上司が赤井に聞いてくる。 「この辺りで、『赤ウィンナー依存症』の緊急搬送先と言えば、どこだ?」 「『ライスカレーまんてん』です」 「よし、『カレーライスまんてん』だな」 「いえ、『ライスカレー』です」 「この緊急時に、どちらでもいいだろう」 「いえ、重要なんです。『赤ウィンナー依存症』の投薬として、『ライスカレー』は『カレーライス』の3倍の治癒力があるとの報告が、厚○省より出されています。そして、昭和56(1981)年の創業以来、神保町の学生達に安くて旨いカレーを提供し続けてきたお店『ライスカレーまんてん』の治癒力は、データシート上『まんてん』です」 「それは、認識不足だった。救命を急ごう」 上司は勢いよくサイレンを鳴らし、赤色灯を回転させる。 神田神保町を白い車体で駆け抜ける。 『ライスカレーまんてん』に到着するや、男性患者を運びこむ。 赤井は、救命士として注文を決め、お店に処方箋を渡す。 「ウィンナーカレーを、ウィンナー3倍で」 通常の「ウインナーカレー」は、ウィンナー3本だが、特別にこれを3倍とすることを求める。 冷水のグラスに、カレー用のスプーンを突っ込んだものが出される。 コップの中で、スプーンを回し、滅菌する。 ウィンナーが9本も並ぶと、「ライスカレー」は、さすがに壮観だ。 ウィンナーそれぞれに、包丁で格子状の切り込みが入れられている。 赤井救命士は、その切り込みにスプーンを立て、一口サイズとする。 そして、ルーとライス、更には適量の福神漬けを加える。 そのルーは、ひき肉たっぷりで、どろりと濃く、そして辛い。 赤井救命士は、スプーンを患者の口に運ぶ。 患者は、もぐもぐと口を動かす。 やがて、ウィンナーに気が付くと、自らスプーンを取り、摂取する。 途中から、猛然と摂取する。 そして、一口ごとに容態が回復していく。 小さなカップに入った、冷たいブラックコーヒーには、辛さを緩和する効果が認められている。 こうして、赤井救命士により、男性患者の命は救われた。 通常の「ウインナーカレー」は600円。 メニューにない「ウインナー3倍カレー」の治療費は、800円だった。 ちなみに、先端医療につき、保険適用外である。 ■患者の『ライスカレーまんてん』通院歴 前回 2015年9月24日 #食の劇場 #神田界隈のカレー #赤ウインナー依存症治療記録

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ハンバーグ

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私は、スマホで検索した、ビーバーの生態に関する文章を読みながら、ランチに向かった。 ■ビーバーについてのネット記載(1) ○ビーバーは、河川、湖、池などの周囲にある湿原に生息する。 ○ビーバーは、家族群を形成し生活する。 ■前項とは全く関係がないが、まず、お店の基本データを紹介 「キッチンビーバー」は、神田紺屋町にあります。 江戸時代、このあたりには紺屋(染色業者)が多く、町内を流れる藍染川と呼ばれる水路で、晒しの作業を行っていたことが、その町名の由来です。 昭和35(1960)年5月3日創業の老舗洋食店です。 現在の大将は、2代目。 初代となるご母堂が創業された際、同様に洋食店を営んでいる親戚達が、皆、動物名を店名としていたことから、この店名にされたのだとか。 ■ビーバーについてのネット記載(2) ○ビーバーは、持って生まれた本能的な行動で、ダムを作る。 ○ビーバーは、自分の生活のために周囲の環境を作り替える、ヒト以外の唯一の動物であるとも言われる。 ■前項とは全く関係がないが、お店に着いたので、店頭の様子を紹介 私は、前回訪問時(2015/11/18)、趣きのある店構えと、食品サンプルの入った棚に見とれて、入口にそそり立つダムの段差に躓きました。 この店舗は、裏口側より、正面入口側の道路が低くなっています。 店舗は、裏口側の道路に併せて水平に造られており、そのため、入口はその前の道路より、かなり高くなっているのです。 ダムは、レンガで形造られ、踏み台も用意されています。 前回訪問時には、多くの人のつま先で生じたであろう、ひび割れがありましたが、これは補修されたようです。 ■ビーバーについてのネット記載(3) ○ビーバーは、日に2キロもの、木の葉や草、木の皮などを食べる。 ○木をかじり倒すことも多く、これを材料にダムを造る。 ■前項とは全く関係がないが、本日のランチを紹介 前回は、「ナポリタン」700円をいただきました。 「ビーバー風ステーキ」1,000円や、「ポークソテー」1,000円も美味しそうです。 しかしながら、今回は、書き出された「日替りランチ」800円としました。 今日の「日替り」は、何と、「チキンストロガノフ」と「カレーピラフ」です。 この理屈ではない感銘を、お伝えするのが難しい。 まず、「ビーフストロガノフ」ではなく、「チキンストロガノフ」ですよ。 更に、これをかける先が、「ライス」でも「バターライス」でもなく、「カレーピラフ」ですよ。 いただくと、「ストロガノフ」に、懐かしい日本のカレーと同じ、小麦粉由来のまろやかさ。 そこへ「ピラフ」から来るカレー感が加わり、初めていただくメニューなのに、懐かしいこと、懐かしいこと。 茹で玉子半分と、キャベツの千切りが添えられています。 ドレッシングなどないので、これを卓上のソースでいただくのですが、これがまた懐かしい。 卓上には梅の酢漬けが置かれており、添えられたスプーンでこれを取ります。 カップスープが付いてくるものの、ドリンクメニューが一切ないところにも、こだわりを感じます。 ■ビーバーについてのネット記載(4) ○ビーバーは、ダム湖を造ることで、多くの命を森に呼び込んでいる。 川が池になることで渡り鳥もやってくる。池にはたくさんの水草も育ち、様々な生物で賑わうようになる。 ○数十年経つと、池は栄養たっぷりの土砂に埋り草が良く育つ。 広大な草原となり、森の草食動物の貴重な食事場所になる。 ■前項とは全く関係がないが、店舗内の様子を紹介 店内も、椅子が真新しくなったこと以外は、創業当時そのままの風情です。 天井のコルク。 柱や、カウンターの木材。 年代は感じさせても、頑丈に設えられています。 入口のダム部分だけでなく、店内壁面や、カウンターの足置き部分にも、今はもう製造されていない本物の煉瓦が用いられています。 煉瓦は、長い年付月を経て角が丸くなっています。 水場を求める野鳥や動物のように、多くの常連客が通ってくるお店です。 そんなお客に支えられ、ダム湖は、57年に渡って、養分を含んだ水を蓄えてきました。

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とんかつ

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「井泉 本店」は、昭和五年の創業。 場所は、東京都文京区湯島にございます。 以前は、下谷同朋町の名称。 そう、下谷花柳界の只中。 「下谷」は、「新橋」「柳橋」に次ぐ格式と規模を誇っておりました。 粋な黒塀、見越しの松、柳もなびく。 横丁を、人力車が行き交う様にも、風情がございました。 趣のある日本家屋を、二つ繋げた様な造り。 土曜日は、十一時半の開店。 私共夫婦が、その品の良い暖簾を潜りましたのは、開店数分後のこと。 私共は、調理場の前の席で、三代目の手際を拝見出来るのではないかと期待致して居りました。 ところが、一階は、疾うに満席では有りませんか。 皆様、列を成して、開店を待たれて居られたのでしょう。 二階奥の御座敷への御案内と、相成りました。 帳場の脇から、もう一つの建物に入ります。 そこには、ニ代目が考案されたという豚のマークが、立像となって飾られてございます。 一階奥の座敷を横目に、下足を脱いで、下足箱へ。 とんとんとんと、緋毛氈が敷かれた階段を上がって参ります。 途中、中二階にも座敷。 奥座敷は、部屋二つと廊下を繋げ、一つにしてございます。 手前の天井は、網代編みで、奥は平板。 柱や、障子の桟は、年季を帯びた濃い色合い。 対する壁は、鮮やかな鬱金色でございます。 或る方の手記を拝見し、此処へやって参りました。 注文もその方と同じものに、させていただきました。 二人とも、「三色サンド」千三百五十円と 、「とん汁」二百円でございます。 此方は、二つのことで知られております。 一つは、初代が創り出した「お箸で切れるとんかつ」。 もう一つは、初代女将発案の「かつサンド発祥の店」。 芸者衆の口が汚れないようにと、かつをパンにはさんで小さなサンドを創られたのでございます。 「三色サンド」を、一つづつ味わいます。 「たまごサンド」は、たまごの濃厚なふわふわ感に驚かされます。 「かにと胡瓜のサラダサンド」は、一転、しゃきしゃき。 そして、「かつサンド」の柔らかなこと。 間違いなく、お箸で切れましょう。 「とん汁」、これが何と、サンドウィッチに良く合います。 よくよく考えてみるに、豚肉にパン粉を付けて揚げたものに合う「とん汁」が、サンドウィッチに合わないはずがなかったのでございます。 豚肉、人参、牛蒡、ネギ。 特に、厚く輪切りにされたネギの加減に、たまらないものがございました。 昭和三十年代までは、此の奥座敷で芸者衆が踊っておられたそうでございます。 更に、毎月、鎌倉から師匠にいらして頂き、やはりこの座敷で、長唄と荻江のお稽古が行われておりました。 その日に居合わせれば、長唄を聴きながらの食事ができたことでございましょう。 #元祖を訪ねる

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カフェ

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男「ちょっと、お尋ねします。『タッチ』の浅倉南さんがバイトしている『南風』という喫茶店を探してるんです。練馬の駅前だと聞いているんですが、ご存じありませんか?」 女「ああ、それなら、ここですよ」 男「えっ、『アンデス』って書いてありますよ」 女「ほら、そこで愛犬の『パンチ』が『オン』って鳴いてますよ」 男「あっ、ホントだ」 女「ところで、私もお尋ねします。『東京喰種』の金木研さんが働いている『あんていく』という喫茶店を探してるんです」 男「ああ、それなら、ここですよ」 女「だって、『アンデス』って……」 男「対策局の捜査官に見つからないように、偽装してるんですよ」 女「そうなんですか」 男「ところで、お互い一人のようですし、ランチをご一緒しませんか?」 女「はい、対策局の目を逸らすためにも、カップルを偽装した方が良いかもしれませんね。」 男「南ちゃん、居ないようですね。上杉達也くんの試合の応援かな」 女「カネキ君、居ないようですね。捕まったりしてないよね」 男「僕は、スパゲティーナポリタン(600円)と、ブレンドコーヒー(370円)を」 女「私は、ハンバーグライス(780円)を、紅茶で」 店「ナポリタンは、普通の皿になってしまいますが、宜しいですか?」 男「鉄皿じゃないんですか?」 店「テレビで紹介されてから、鉄皿が足りなくなって、鉄皿は4時以降にさせていただいているんです」 男「タッチの逸品が……残念ですが、それを」 女「この店、内装やアンティークが素敵ですね。対策局への偽装は、どういう設定なんですか?」 男「こちらのビルは、昭和45(1970)年11月竣工。お店の創業は昭和46年(1971)年。漫画家のあだち充先生や、石田スイ先生が、打ち合わせ等で、良く利用されているそうです。こちらの名物ナポリタンは、もっちりとした麺に絡みつく、濃厚なケチャップ感が特徴なんです。昭和のナポリタンですね。コーヒーも、はっきりとした苦味が懐かしいです」 女「おや、口元が、ケチャップで真っ赤ですよ。そう言えば、喰種は人間の血肉以外受け付けないけど、コーヒーだけは飲めますよね」 男「……」 女「……」 #昭和のナポリタン

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寿司

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その日のランチタイム、ひとりの男が、店の暖簾をくぐった。 ボサボサの髪、ヨレヨレのコート、安葉巻をくわえた、猫背の小柄な男だ。 上目遣いの奇妙な目つきで笑いながら、「うちのカミさんがね……」と切り出す。 「……やっこさんのね、謎を解いて来いって言うんですよ。」 ヨレヨレのコートから、これもまたヨレヨレのメモ紙を取り出す。 「うちのカミさんがね、言ってることを、メモしてきました」 「ひとつ」と、指を立てる。 「やっこさん、『神田の鮨屋』なのに、『名古屋すし』だっていうじゃありませんか」 「ふたつ」と、ブイサインをひらひらさせる。 「やっこさん、『名古屋すし』だっていいながら、『伊勢うどん』があるっていうじゃありませんか」 「うちのカミさんがね、このふたつが繋がる答えがあるはずだって言うんですよ」 「あたしゃね、その謎を、解き明かしに来ました」 【ヒント:答えは、1枚目の画像の中に】 ここまで、しゃべって、席に座りこむ。 「ひとつだけ、いいですか?」 「いや、そうじゃなくて、『伊勢うどん+にぎり3カンセット』(900円)を、ひとつだけ、いいですか?」 『にぎり』は、まぐろ、いか、玉子。 こころもち丸みをもって握られている。 お椀は、もちろん名古屋の赤だし。 『伊勢うどん』は、長時間かけて柔らかくゆで上げられた太い麺。 薬味の刻みネギと、削り節だけが載っている。 黒く濃厚なタレを麺に絡める。 全体をよくかき混ぜ、均一化する。 このふわふわな食感がたまらない。 タレの濃い色合いにかかわらず実に、ま、ろ、や、か……! 男は、ハッと、片手を額にあてる。 何かに気が付いたようだ。 「今の見たね」 「証言してくれるね」 「おーい、今の見たね」 そして、卓上の醤油を手にする。 「濃厚なコクと甘み。独特の香り高さ。後味のまろやかさ。」 「やっこさん、『たまり醤油』ですね」 「『たまり醤油』は和歌山が発祥。そして、三重県(伊勢)、岐阜県、愛知県(名古屋)が主な産地です。」 「やっこさん、『名古屋すし』の紫にも、『伊勢うどん』のタレにも、この『たまり醤油』を使っているね」 かくして、『名古屋すし』と『伊勢うどん』を繋ぐ謎は解明された。 どこからともなく、トランペット、続いて指笛のような(オンド・マルトノという電子楽器による)印象的なメロディーが聞こえてきた。 男は、そのメロディーとともに、軽やかな足取りで立ち去った。 #「神田の鮨屋」なのに「名古屋すし」って言いながら「伊勢うどん」 #食の劇場

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そば(蕎麦)

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A「よっしゃ、今日は、『味自慢』だ」 B「だから、店名は『岩本町スタンドそば秋葉原店』なんだって」 A「看板見ろよ。『味自慢』って書いてあるだろ。どこにも、『岩本町スタンドそば』なんて書いてないぜ」 B「味が自慢な『岩本町スタンドそば』なんだよ」 A「それを言うなら、岩本町にあるスタンドそば屋の『味自慢』だろ」 B「こないだ行った『六文そば 須田町店』と同じ、黄色い看板だ。」 A「なんだか、黄色い看板の立喰店って、みんな旨そうだ」 B「ここも、世間様から取り残されちまったような店だろ。昭和55(1980)年の創業だってよ」 A「奥に向かって、カウンターが伸びてるね」 B「途中に3段、段差があって奥が高くなってるのが面白いだろ」 A「カウンターを挟んで、客席側と調理場側の両方に階段があるんだな」 B「手前に6席、奥に6席ってとこか」 A「さて、ど、れ、に、しようかな、っと」 B「他であまり味わえないのは、『オキアミ天』なんだけど……」 A「なんだけど?」 B「オキアミって、鯨の食糧だろ。捕鯨の副産物でオキアミも捕れるらしいんだけど、このところ入ってないそうなんだ」 A「もっと早く来て、喰っとくんだったな。他は、何がお勧め?」 B「全17種の天ぷら、カレーライス、かつ丼と、『味は自慢』だ」 A「じゃあ、ミニカレーセットだ」 B「かきあげそば付の550円だな。俺も、そいつで」 A「おやじさん、それ二つね」 B「勘定は、俺が1,000円札出すから、100円玉1枚出してくれ」 A「いいのかよ」 B「『六文そば』で出してもらったからな。100円玉は、そん時、誤魔化された分だ」 A「……おっ、ここのそばもまた、つゆが真っ黒だね」 B「……話、替えたな。そばが興和物産で、つゆが暗黒醤油ってところまで、『六文そば 須田町店』と一緒なんだ」 A「カウンターの、鷹の爪を入れてっと」 B「天ぷらの厚めの衣にね、この暗黒醤油をどぷっと吸わせて、これがたまんないんだ」 A「カレーの色合いと粘度が、また懐かしいね」 B「小麦粉の入ったやつだよな。ちゃんと、ここで作ってるんだぜ」 A「しかし、そばの暗黒面は怖いな。一度、暗黒面に落ちたら、戻れそうにないね」 B「浅草橋『野むら』、『そば千』東神田店と、この辺りは暗黒面の支配下だ」 A「怖いな(ズズーッ)。怖いな(ズズーッ、ズズーッ)。ホント、怖いな(ズズズズズーーッ)」 B「喋るか、喰うか、どっちかにしなよ。それに、口では『怖い』って言いながら、嬉しそうなこと」 A「ゴチ。このへんで、お茶が1杯怖い。どっか、サテンで休もうぜ」 【追記】この投稿は、全3編の中編となっています。以下のタグから入って、前編、後編もご覧いただけると嬉しいです。 #黄色い看板の暗黒醤油 ○前編 六文そば 須田町店 2016/12/19投稿 ○中編 岩本町スタンドそば秋葉原店 2017/06/30投稿 ○後編 そば千東神田店 2019/03/11投稿

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喫茶店

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神田須田町「高山珈琲」は、1994年のオープン。 マスターは、以前、九段下にあった「カフェ ルグラン」におられた方です。 独立して、このお店を始められました。 建物の古い雰囲気を残し、植栽に覆われた入口部分。 入ると右の2階へと続く階段を登った先に、8席。 1階手前にテーブル3卓12席。 1階奥に、カウンター5席と、テーブル2卓8席があります。 ここは、厳選された豆を2 〜3年乾燥熟成させた、オールドビーンズのお店です。 ブレンドは2種類で、各500円。 マイルドな「プラージュ(仏語で浜辺)」と、苦みのある「メール(海)」。 「プラージュ」と、「シナモントースト」550円をお願いしました。 ■シナモントースト トースト類には、小さなグラスに入ったアップルジュースが付いてきます。 コーヒーを、トーストとは別に味わえるようにということでしょう。 シナモンシュガーが、たっぷり振り掛けられた、分厚いトースト。 そして、これまたたっぷりのホイップクリームが添えられます。 香りが高く、しっとりとした甘みです。 ■プラージュ 寡黙に作業をこなす、マスターの所作が美しい。 洗ったスプーンを、グラスに入ったスプーンに加え、くるりと指を回します。 すると、スプーン達は、グラスに沿って円形に整列し、幾何学的な模様を成します。 ネルドリップで抽出したコーヒーを、イヴリックから、温めたカップへ。 カップ&ソーサーは、棚に並んだコレクションから、マスターが選択。 私のものは、ウェッジウッドのレースピオニーでした。 芍薬(ピオニー)をはじめとする、小さな花のモチーフがちりばめられています。 プラージュは、浜辺に寄せるさざ波のように、まろやかで角のない優しい味わいです。 お店の建物について、マスターのお話しをうかがうことができました。 1945年の東京大空襲を焼け残った古い建物であることは確か。 しかしながら、調べても築年数は分からないそうです。 3軒続きの木造モルタル。 この建物が気に入り、お店を始めるにあたり全面改装されました。 内装もご自身で考えられたとのこと。 大変だったそうです。 しかしながら、建物は確りしており、2011年の東日本大震災の時も、揺れはしたものの、棚からカップひとつ落ちることは無かったそうです。 オールドビーズが齎す幻想。 建物ごと、空襲を凌ぎ、震災を耐え、時の狭間へ。 時の海(メール)を漂い、時の浜辺(プラージュ)へ流れ着きます。 #時が撓む喫茶店

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カフェ

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店舗正面と向き合う。 重厚な扉以外、何もない。 いや、小さな照明の下に、小さなプレート。 繊細な書体で記された「蕪木」の文字が、読み取れる。 扉のかたわら、足元にも、小さな板が立て掛けられている。 屈み込むようにして読み取る。 黒い板の殆んどを余白とする、小さな文字で、「営業中」とだけ記されいる。 此処は、台東区鳥越にある、珈琲とチョコレートのお店なのだが、そんなことは、何処にも書かれていない。 扉を押し開ける。 珈琲焙煎師であり、チョコレート技師である店主が、静かに出迎えてくれる。 店主は、珈琲、カカオ、チョコレートの研究・開発・指導に携わって来られた方。 此処は、そんな店主が、2016年11月7日に開いた店舗。 錬金術の工房、若しくは、主人と客が向かい合う茶室と言って良い趣き。 珈琲、若しくはチョコレート色に沈み込む店内。 奥行きのあるカウンターを挟んで、店主と相対する。 僅かな照明の下、焙煎機や、磨き込まれた金属器が、光を放っている。 流れるピアノソロは、無音以上に静か。 ブレンド珈琲三種から、メニュートップの、「オリザ」650円を選択。 これに合わせる「無垢チョコレート」200円も三種あるのだが、その選択は、店主にお願いした。 カウンター上に、金銀銅の三色に輝く茶筒状の金属器が置かれている。 これに、ブレンド珈琲三種の豆が、入っている。 豆を、木皿に取り出し、検分する。 音の静かな電動ミルに通し、ネルドリップ。 湯は、注意深く注ぎ込まれる。 珈琲の粉が、湯を吸ってネルの中を上がって来る。 しかしながら、珈琲は、ネルの中にとどまり、下のサーバーには降りて来ない。 ところが、ネルの中身が、その縁に達し、更に膨れ上がろうとした瞬間、堰を切ったように溢れ出してくる。 カップを温めていた湯を切り、布で拭う。 珈琲をサーバーからカップへ注ぎ込む。 そして、客へと差し出す。 その所作には、一切の無駄がない。 繊細で、優雅。 珈琲を口にした瞬間、目の奥に、華やぎのある鮮やかな色彩を感じた。 目を閉じると、今度は、色彩ではなく、凛とした余韻が広がる。 店主が選んでくれた「無垢チョコレート」は、「果香」。 一切れを。口に含み、歯を立てる。 割れる瞬間、赤みがかった光が見えた。 鮮やかな酸味。 次の一切れは、口中で溶かしてみる。 カカオ分が70%もありながら、木苺のような味わいが滑らかに広がり、満たされる。 芳醇な至福の時。 願わくは、この甘美たる安らぎが、とこしえたらんことを。

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カフェ

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アラビア半島で広く飲まれていた珈琲が、1600年頃、ヨーロッパへと伝わります。 イスラムの国からやってきた、黒い飲み物。 「悪魔の飲み物」、「飲むと悪魔にとり憑かれる」と恐れられました。 「魔性の味」ときて、しかも「オンリー」。 その名に惹かれ、南千住の店舗にうかがったのは、2016年5月4日のことでした。 オープンした昭和45(1970)年当時の意匠を保つお店。 そして、地元に支持されるお店でした。 そこで、「オンリー」が、3店舗あると知りました。 「魔性の味」の虜となった私。 その耳元で、「三店舗全てを巡礼すべし」と囁く者がいます。 いてもたってもおられず、2016年5月21日に、西浅草合羽橋本通りの店舗にうかがいました。 浅草千束通りの「オンリー」本店から移ってきた創業者が、昭和30(1955)年にオープンさせたお店です。 そのため、3店舗で提供される「魔性の味」は、この合羽橋本通りの店舗で調合……ではなく、焙煎されています。 そして、いよいよ、浅草千束通りの本店を訪問しようとした私。 そこで、試練が課せられます。 本店は、日曜日が、定休なのです。 私は、訪問の度にそれを忘れ、日曜日に行ってしまうのです。 三回にわたり、閉ざされたお店の前に佇む私。 そして、本日、土曜日。 四回目にして、閉ざされていたその扉が開かれました。 浅草千束通りの本店は、昭和27(1952)年の創業です。 創業者が、合羽橋本通りの店舗に移った後は、弟が引き継ぎました。 現在、その奥様や娘さんが、お店に立たれています。 不思議なことに、本店は「Coffee Bar Only」の店名だけで、他の二店舗にある「魔性の味」という謳い文句が見当たりません。 娘さんにお聞きしたところ、そう書かれた立看板が老朽化により無くなってしまったのだそうです。 ◼︎コーヒー420円 「魔性の味」は、コロンビア、モカ、ブラジルサントス、グアテマラ、ホンジュラス、ジャバの6種類の豆のブレンドです。 コク、酸味、苦味が 、どれも強めなのに、後味は、すっきりしています。 ◼︎トースト320円 オンリー三店舗のトーストに使われているパンは、浅草の人気老舗パン屋「ペリカン」(1949年創業)のもです。 厚めにカットされたものが、二枚も。 バターが、たっぷり塗られています。 香ばしく、もっちりとした味わいです。 試練を乗り越えた私に、至福の時がもたらされました。 ある時、ローマ教皇クレメンス8世が、「悪魔の飲み物」を口にします。 教皇は、「こんな美味しいものをキリスト教徒が飲まないのはもったいない」と言い、珈琲に洗礼を施します。 珈琲は、この時、キリスト教徒の飲み物として認められたのです。 至福に満たされた私は、その勢いで「ペリカン」を訪問します。 ところが、そんな私に突き付けられたのは、「本日完売」の張り紙でした。 またしても、扉は閉ざされたのです。 #純喫茶 #オンリー3店舗