南 たすく

南 たすくさんのMy best 2016

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#クラウンエース3部作 第1部「上野店」 何と言ってもクラウンでエースなのだ。 悪の組織ジョーカーに対抗できるのは、クラウンでエースな奴だけなのである。 赤いテントは、正義のマント。 アメ横、上野直前の高架橋下。 南北にのびる線路。 その東西両側に出入口がある。 もし、いずれかの出入口からジョーカーが襲ってきたら、反対側から客を逃がせる仕組みだ。 食品サンプルを、そして券売機を見る。 「チキンカレー」や「ポークカレー」は400円。 最も高い「カツバーグカレー」で600円。 この価格は、国家が何と言おうとも正義である。 ジョーカーの戦闘員に、贅沢者として目をつけられそうだが、「カツバーグ」を選択。 きっとクラウンでエースな奴が護ってくれる。 並盛でも、かなりの量。 こってりとしたスパイシーなカレー。 カツとハンバーグが、そのデカさ故に、重なるように載っている。 カツもハンバーグも、デカイ割にペラペラだが、そんなことは、価格の正義の前には、些細なことである。 更に、脂身が多かったり、スジが歯に引っかかったりするが、そんなことは、価格の正義の前には、些細なことである。 赤い福神漬、黄色いらっきょう、そして、緑の青紫蘇の実漬。 この三色を利用して信号を送る。 悪に対抗する新兵器、金属のノズルに驚く。 横の黒い部分を握るだけで、コップに冷水を注ぎ込めるのだ。 先程、「翼をください」がかかり、今、「メリー・ジェーン」がかかっている。 しかしながら、最大のBGMは、上を電車が通る度に響き渡るゴウゴウという振動だ。 ここにクラウンでエースな奴の強さの秘密が隠されている。 今、地下にある秘密基地から、ゴウゴウという音に合わせ、巨大ロボットが!! ■風雲急を告げる第2部「茗荷谷店」は、2016年11月5日投稿。 #スタンドカレーここに立つ

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#クラウンエース3部作 第2部「茗荷谷店」 [先に、第1部「上野店」(2016年08月30日投稿)をご覧あれ] 「カレー専門店 クラウンエース」には、かつて多くの同志がいた。   上野店を本部とし、茗荷谷店、飯田橋店、神田鍛冶町店、小川町店、水道橋店。 かつては、「クラウンエース戦隊」として、ともに悪の組織ジョーカーと戦ってきた。 しかしながら、戦友は次々と閉店、今は上野店と茗荷谷店を残すのみ。 ジャックは、茗荷谷店の隊員である。 モニタールームで、茗荷谷店内と、世界の、監視任務中。 日々の任務を遂行しつつも、ジャックは、嘗ての仲間を、その熱い想いを、忘れていない。 自分だけは、それを忘れてはいけないと思っている。 ……いけない、店内監視に集中しなければ。 店主ご夫婦が頑張っている。 女将は「らっしゃい!」「三番、大盛カツカレ〜」「あーした!」と、威勢がいい。 ご主人は、これに黙々と従っている。 お客が一人、入って来た。 券売機の前で迷いまくっている様子で、いちげんさんだと分かる。 「コロッケカレー」540円、「フランクフルト」100円、そして「生玉子」50円。 小さめだが厚みのあるコロッケ。 フランクフルトは、太くて短めのものが2本。 生玉子は、別の器で出される。 オレンジ色の福神漬と、らっきょうを取る。 そして、何かを探している。 上野店に置いてある青紫蘇の実漬は、ここにはない。 日本人なら誰もが好きな昭和の味わいと、スパイス感の両立を堪能し…… その客が、ふと顔を上げた。 モニター越しで、こちらが見えていないはずであるにもかかわらず、明らかにジャックと目が合った。 あっ、と思った時には、その姿が掻き消えていた。 その時、店内に、スクランブルを知らせる警報が響き渡った。 ジョーカーが、上野不忍池に出現したという。 通信機の向こうで、上野店のキングが怒鳴っている。 本部は、上野店の地下に眠る巨大ロボット「クラウン」の出動を決定した。 上野の高架橋がゴウゴウと開き、茗荷谷へ向けて「クラウン」が射出される。 ジャックは、これに呼応し、屋上からパイルダー「エース」を発進させる。 そして、「クラウン」の頭上に輝く王冠に、パイルダーオン。 Uターンして、上野公園、不忍池へと向かう。 ■怒濤の完結編となる第3部「上野店再び」2016年11月11日投稿へと続く #スタンドカレーここに立つ

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#クラウンエース3部作 第3部「上野店再び」 [先に、第1部「上野店」(2016年08月30日投稿)、及び第2部「茗荷谷店」(2016年11月5日投稿)をご覧あれ] 「カレー専門店 クラウンエース 上野店」の2階には、かつて「喫茶室」が存在した。 驚くことに、喫茶室への入口、喫茶室の丸い食品サンプルケース、そして1階と2階の店内通路等が、ほぼそのまま残っている。 1階は「食券形式のスタンドカレー」で、2階は「喫茶とアラカルトのカレーメニュー」だったという。 つまり、1階はスタンドであり、2階はスタンドでなかった。 その今は閉鎖された喫茶室に、キングとクイーンが居た。 キングは言う。 「我々スタンドカレーは、何者と戦って来たのか」 それは、傍らのクイーンにというより、自身に問いかけるようであった。 「スタンドは、stand stool (スタンド・スツール)の略。つまりは、高度成長期を支えた若き企業戦士達が、限られた時間で、ひょいと腰掛け、次の戦いへのエネルギーをチャージする場。我々は、そんな場所を守るために戦ってきたのだ。」 「あれを、見ろ」と、大型モニターを指差す。 そこには、上野の不忍池が大映しになっている。 不忍池の水面から、巨大な泡状のものが立ち上がって来た。 「あれは、バブルだ」 「企業戦士を狂わせ、全ての努力を水泡に帰させる、バブルだ。あれがジョーカーの正体だ」 上野店地下では、ジョーカーを倒すべく、巨大ロボット「クラウン」を開発してきた。 そして、茗荷谷店屋上では、その操縦席となるパイルダー「エース」を開発してきた。 茗荷谷店のジャックが乗ったクラウンエースが、今、ジョーカーの前に立ち塞がる。 ジョーカーが、泡の中から冷水を噴射。 「いかん。どんなに熱いカレーでも、水の前には中和されてしまう」キングが、動揺する。 それを、クイーンが優しく、いたわる。 「大丈夫。 わたし達には、ニュークラウ●エー●パウダーがあります」 説明しよう。 ニュー●ラウン●ースパウダーとは、日本の誇る●●●食品のスパイスブランドである。 巨大ロボットクラウンエースが、そのスパイスパウダーを噴射すると、日本中の企業戦士パワーが集約されるのだ。 先ほど「唐揚げカレー」500円、「フランクフルト」100円、「生卵」50円の食券を提示したお客がいる。 唐揚げは、3個。 茗荷谷店のフランクフルトは短い2本を焼いてあったが、上野店では長い1本を茹でてある。 玉子が、別の器で出されるところは同じ。 福神漬を取り、らっきょうを取り、そして嬉しそうに青紫蘇の実漬を取る。 どうやら、何処かで、青紫蘇の実漬にありつけなかったらしい。 そして、一息つくと、今度は無我夢中でパクつく。 旨い。 クラウンエースのカレーが嫌いな日本人がいるだろうか。 カウンターに並んだお客全員と共に、スプーンを振り上げ、叫ぶ。 「メンチカツパンチ」 「ハンバーグキック」 「トドメだ! カラアゲブラスター」 不忍池に、水柱があがり、水蒸気がたちこめた。 今、ジョーカーによる世界恐慌は、回避された。 ありがとう、クラウンエースよ永遠なれ。 #スタンドカレーここに立つ

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そば(蕎麦)

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秋葉原駅の改札を抜け、山手線と京浜東北線が並走するホームへ昇った。 すると、更にその上のホームへ昇ろうとする人物の後ろ姿に、目がとまった。 山手線及び京浜東北線のホームの上には、十字状にクロスする形で走る総武線のホームがある。 そのうち、千葉方面に向かうホームへの階段だった。 その人物が羽織るコートを見て、得心が入った。 あれは、若い頃の自分が、一寸ばかり無理をして買ったトレンチコートだ。 当時、私は千葉方面に住んでいた。 私は、その後ろ姿に続いて、昇る予定のなかった階段へ足を踏み入れた。 若い頃の私は、その階段を昇りきった先、総武線ホーム手前にある「新田毎」の前で、メニューの貼り紙に目を奪われている。 名物の「ステーキカレー」。 通常は1,100円だが、火木土日のお客様感謝デーでは、690円で食べられる。 当時の私の感想が伝わってくる。 「週7日のうち、4日が感謝デーって、お客様に凄く感謝してるんだな」 私は、当時から皮肉屋だった。 若い頃の私は、割に食べる方だった。 そして、食事にかけられる金額は、多くはなかった。 今日は、火曜日だ。 「これは食べるしかないな」と思ったことを覚えている。 若い頃の私は、券売機へと向かった。 若い頃の私に気付かれないよう、食品サンプルケースを覗き込むふりをする。 (「ステーキカレー」サンプルのビジュアルが、実物より数段素晴らしい。) そして、あれは何年前の自分だろうと考える。 このお店は、昭和58(1983)年から営業しているという。 33年前だ。 現在、店名表記が「田毎」となっているところと、「新田毎」となっているところがあり、統一がとれていない。 では、当時の店名がどうだったかというと、まるで覚えていない。 若い頃の私が、「ステーキカレー」を受け取って奥へ進む。 その様子を確認してから、券売機の前へ。 券売機のボタンに「カレーを作って40年」と書かれている。 新が付く前の「田毎」からだと40年ということなのだろうか。 カレー専門店「ふくてい」が姉妹店で、こちらの有楽町本店は昭和30年からやっているという。 「ステーキカレー」を受け取ると、若い頃の私の背中を見ながら、最奥の席へと向かう。 ステーキについて、「マイルドサーロイン80g」と明記されている。 ミディアムに焼かれ、スプーンで食べやすいよう、予め一口サイズに切り分けられている。 胡椒が振られ、赤みが魅力的に見える。 脂身等はなく、満足のいく柔らかさ。 カレーの方にも、ちゃんと肉が入っている。 添えられた福神漬けの赤が鮮やかだ。 当時の「ステーキカレー」は幾らだったのだろうか。 これも、どうしても思い出せない。 若い頃の私は、早食いでもあった。 早々と、席を立つ。 満足げな表情で総武線のホームへ向かう、自身の後ろ姿を見送る。 そして、「ステーキカレー」を、ゆっくりと堪能する。 その後、先程昇ってきた階段の方へと戻る。 山手線及び京浜東北線のホームへと続くその階段を、一歩一歩踏みしめるように下った。 #食の劇場 #神田界隈のカレー

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そば(蕎麦)

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利休の茶の湯は、無駄なもの一切を排したものでした。 大手町の「港屋2」を訪問し、根源を同じくする日本的美意識を感じました。 西新橋の「港屋」は、2002年のオープン。 行列が絶えないと聞き、恐れをなし、未訪問。 ところが、2016年8月10日オープンの「港屋2」には、行列がないと聞いての訪問です。 マップアプリで表示される建物の周りを、うろうろ。 夜だったこともあり、そこにあるはずの店舗が見つかりません。 看板どころか、一切の表示が見つかりません。 ガラスで出来た建物の外壁に、自動ドアが紛れていました。 その自動ドアを隠す、黒い箱。 回り込むと、券売機らしきもの。 ボタンは、ひとつだけ。 1000円札を吸い込み、一枚の食券を吐き出します。 提供されるメニューは、ひとつしか無いのです。 従って、ここでいただくものに、名前は不要です。 自動ドアを開けると、漆黒の店内。 中央に、黒光りする御影石の長テーブルがひとつ。 祭壇のようです。 それとも、モノリスと言うべきか。 立食という言葉は適切でないと感じました。 椅子さえ不要と判断されたのです。 食券を渡し、呼ばれたら、正方形の膳を受け取ります。 その膳を、テーブルに置こうとして気が付きました。 テーブルに刻まれた正方形の文様と、膳のサイズが揃えてあるのです。 当然、テーブルの正方形に収まるように膳を置きます。 正方形をひとつ飛ばしに膳を並べると、ちょうど人の肩幅が収まります。 二畳の茶室に、亭主と客が収まるような感覚。 極太の冷たい蕎麦。 その上にたっぷりの煮込んだ豚バラ肉と胡麻。 その上にたっぷりのネギ。 その上にたっぷりの刻み海苔。 蕎麦汁は、ラー油入り。 生玉子と、蕎麦湯が添えられています。 テーブル上には、天かす。 麺には、強い個性を放つ噛み応えがあります。 以前、港屋インスパイアで食べた強過ぎる噛み応えとは異なります。 潔い節度のようなものがあります。 天かすを加え、玉子を加えます。 その度毎に、驚くほど味わいが変化して行きます。 最後に、蕎麦湯。 湯呑みのような器に入った蕎麦湯を、蕎麦汁の器へ。 すると、2つの器が、正に適切な容量であることに気づきます。 この味わいが、また、染み渡ります。 店舗を出て、建物を回り込むと「星野リゾート」の「星のや」。 「星のや」には、小さいながら屋号の表示があります。 同じコンセプトが貫かれた美しいビルです。 店舗も、味わいも極まっているなと感じました。

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そば(蕎麦)

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A「えっと、六文そば、須田町店っとくらぁ」 B「あった。あった。ここだ。ここだ」 A「こりゃ、また、趣きがあるね」 B「今時ないよ。世間様から取り残されちまったような店だろ。昭和46(1971)年の創業だってよ」 A「五差路の角地に、外観そのまんまのL字カウンター。たまんないね」 B「おっと、ごめんよ。ちょっくら、ここへ入れてくんな。」 A「凄いね。人通りが多い場所でもないのに、店内いっぱいだね」 B「昼時は、いつもこんなだよ。イスは八席だけど、カウンターないところで、丼持って喰ってる奴がいるからね」 A「所狭しと並んだ天ぷらが旨そうだ。どれにしようかな」 B「ここへ来たら、いかゲソ天そば400円だ」 A「400円!よっしゃ、今日は俺のおごりだ。でも、財布がカバンの奥なんだ。喰ってる間に出すから、ちょっくら、出しといてくんな。」 B「いいけどよ」 A「おやじ、いかゲソ天そば、二つくんな。勘定は、こいつだ」 B「六文そばって元は十店舗以上あったらしいんだけど、店閉めちまうとこが相次いでてさ」 A「時代の趨勢ってか」 B「おっ、来た、来た。早いね」 A「凄いね。ツユ、真っ黒だね」 B「六文そばって、各店でツユを作ってんだって。店ごとに味がちょいと違ってて、ここのは特に濃いんだ。暗黒醤油って呼ばれてるらしいぜ」 A「かーっ、旨いね。ここのが一番。(他、喰ったことないけど)」 B「昔風の工法で、手造りで鰹・鯖節からとった本ダシだってよ。興和物産のそばは、どーって訳じゃないけど、このツユで喰っちゃうだろ」 A「ゲソ天だって、でかくて、厚みがあって、大き目のゲソがたっぷり入ってて、こりこり旨いぜ」 B「このツユに浸かると旨いんだよな」 A「でも、何で六文そばって名前なんだい」 B「表のマーク見たろ」 A「ああ、ありゃ江戸を流してた夜泣き蕎麦だね。担ぎ棒が付いてるやつ」 B「だから、二八で十六、蕎麦の値段、十六文の六文だろうよ」 A「十は、どこ行ったんだよ」 B「他にあるかよ」 A「真田家の家紋、六文銭じゃねえのか」 B「十が、真田十勇士になっちまったってか」 A「ちげーよ。信濃が蕎麦の産地だからよ」 B「代金なんじゃねーかな」 A「代金と言やあ、財布出たぞ」 B「まとめて800円だ」 A「よし、百円玉だ。一、二、三、四、五、ここ何て店だっけ」 B「六文だよ」 A「七、八っとくらぁ」 B「……」 A「……」 B「やると、思った」 A「まあ、お決まりだからな」 【追記】この投稿は、全3編の前編となっています。以下のタグから入って、中編、後編もご覧いただけると嬉しいです。 #黄色い看板の暗黒醤油 ○前編 六文そば 須田町店 2016/12/19投稿 ○中編 岩本町スタンドそば秋葉原店 2017/06/30投稿 ○後編 そば千東神田店 2019/03/11投稿

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カレー

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「吉田カレー」 について、申し上げておきたい。 行く手に立ち塞がる障害を排し、訪うべきお店であると。 【第一障害】 お店を見つけ出さねばなりません。 お店に電話しても絶対に出ないので、自力で探します。 1階のシャッターは全て閉ざされた建物。 店舗がある二階へ続く階段のシャッターすら、半分閉ざされています。 看板は、ありません。 階段上の壁面に、15cm四方のプレート。 そこに小さく「吉田カレー」とあるだけです。 【第二障害】 シャッターを潜り、階段を登りきると、掲示があります。 「一見さんお断り」 更に、「当店はお客さんを選びます 気に入らない方には売りません」 別のボードに「やってると思いますか」 大丈夫です。 恐れることはありません。 後ろの扉を押し開けてください。 【第三障害】 店主は、このお店を2011年10月26日に開きました。 カレーに対する真摯な姿勢の一方で、自らを「人見知りです。無愛想です」と言い切ります。 店内には、席に着くのは呼ばれてから等、様々なローカルルールがあります。 でも、ドアを開けて「こんにちは」と挨拶すれば、大丈夫です。 恐れることはありません。 【第四障害】 あとは、注文するだけです。 しかしながら、此方の店主は、食べ物を粗末にするやつが大嫌い。 理由のない食べ残しは別途処理料金となるので、慎重に。 辛口、甘口、そしてMIX。 MIXでも、結構辛いと言います。 甘口にしました。 大はご飯400gで750円 、並300g650円、小200g600円です。 これは、並で行けます。 そして、トッピングを選択。 キーマ350円、青ネギ150円、温泉卵100円。 そして、限定トッピングの北海道産クリームチーズ150円を。 最後に、バナナミルク200円をお願いしました。 此方のカレー。 これまでも様々なカレーをいただいてきましたが、それ等とは違う何かです。 無添加無化調。 小麦粉も使っていない。 そして、脂、バター、塩分も控え目。 ルーに溶け込んだ、国産肉、野菜、果物の味わいのみが、そこにあります。 優しく、フルーティー。 清々しいまでに。 ご飯は、青森県産まっしぐらの五分搗き。 ご飯の上に載ったキーマは、三重県産松坂ポークを使い、卵黄が上に。 クリームチーズを掬って直接口にしてみたら、その美味しさにスプーンが止まらず、カレーに混ぜる分が少しになってしまいました。 そして、バナナミルクの素材感。 カレーの素材感と呼応しあっています。 だからこそ、重ねて申し上げておきたい。 立ち塞がる障害を排し、食べるべきカレーであると。

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喫茶店

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植草甚一、石川淳、斉藤茂吉、草野心平、中野重治等多くの作家・文化人に愛された茶房「きゃんどる」。 昭和8(1933)年に創業し、店舗については3つ目です。 1つ目の店舗は戦火で焼失し、2つ目の店舗は神保町地区再開発のため取り壊されました。 3代目となる現店主の尽力により復活され、2002年からは神田神保町の東京パークタワー1階にあります。 真っ白な壁、以前から使われていた樫の椅子やテーブル、照明器具、暖炉等が配され、以前の雰囲気が再現されているそうです。 樫の椅子の背凭れには、その椅子が製作された年が彫り込まれています。 1947と刻まれているものと、2002と刻まれているものがあるようです。 自分が座った椅子の背を見ると、2002です。 店主に申し出て、1947の席に移動させていただきました。(子供っぽくってスミマセン) 「ハウスブレンド」600円、「トースト(バター)」250円、「ケーキ」350円をお願いしました。 すると「トーストとケーキ、どちらを先にお出ししましょう」と訊いてくれます。 細かな配慮が嬉しいですね。 どれも美味しくいただきましたが、特に素晴らしかったのは「ケーキ」です。 メニューに「今週のホームメイドケーキ」と書かれており、今週は栗のケーキとのこと。 なめらかな舌触りのケーキに、砕いた栗が入っており、上品な味わいです。 1947の椅子に乗ってのタイムトリップ。 日本国憲法が施行され、古橋選手が400m水泳の世界記録を作り、GHQの指示で学校給食が開始された1947年。 危うく帰ってこれなくなるところでした。 #時が撓む喫茶店

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その他

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現在「秋葉原UDX」がそびえ立つ場所には、昭和3(1928)年から平成元(1989)年までの61年間、神田青果市場(やっちゃば)がありました。 (現在は移転し、「大田市場」となっています。) その頃から続いている「場外」の食堂として、「かんだ食堂」[2015/05/11訪問]が有名です。 「かんだ食堂」は、昭和33(1958)年創業ですので、58年続いていることになります。 本日の訪問は、「あきば食堂」です。 「かんだ食堂」と「あきば食堂」、どちらも、ひらがな3文字で、対になっているような店名です。 「あきば食堂」は、創業約50年で、店主は2代目とのこと。 営業は、昼のみで、日曜・祝日は休みです。 まず、ここで、お店に辿り着くためのハードルが高くなっています。 「あきば食堂」がある路地裏へと続く両側の路は、どちらも、秋葉原独特の喧騒の中にあります。 ところが、「あきば食堂」がある路地裏にだけは、見えないバリアでも張られたかのように、誰も入ってこようとはしません。 「あきば食堂」の入口前には、意味不明な事務机が置かれています。 何しろ、この事務机により、入口の半分が塞がれているのです。 ずいぶん前から置かれているようで、かなり錆びついています。 恐らく、路地裏入口に続く、二つ目の侵入防止バリア発生装置に違いありません。 入口の向かい側には、立て看板が置かれています。 その両面には、「日替わり定食」をはじめとするお勧めメニューが書き出されています。 その上部には、ひときわ大きく「定食」と書かれています。 そころが、その片面にある「定」の文字は、「うかんむり」の下の横棒がありません。 この看板も、この状態のまま、もう長いこと使われています。 藍染に白抜きされた「お食事処」の暖簾。 その文字は、裏表のまま懸けられていました。 中に入ると、テーブルが4卓。サイズは同じなのに椅子の数は、4つのものと2つのものが2テーブルづつ。 そして、何よりインパクトがあるのは、4卓のテーブルは同じものなのに、イスは1脚ごとにバラバラで、全く統一されていないことです。 日替わりの「ピーマン肉詰め」にも惹かれるものがあります。 私が時々病的に食べたくなる「ウィンナー炒」もあります。 しかしながら、こちらで人気の「ハムカツ」(400円)「定食」(+200円)をお願いすることにしました。 店主は、作り置きはせず、注文を受けてから調理に取りかかります。 「ハムカツ」に使われているハムは、外側が赤い色をしている四角いタイプのものです。 それを2枚使い、ハムとハムの間にチーズを挟んでから、二分し、揚げてあるところが、この店の特徴です。 同じ皿に、「キャベツとカイワレ」、「マカロニサラダ」、そして「ひじき」が載っています。 「キャベツ」と「ハムカツ」にソースをたっぷりかけて、いただきます。 揚げたてで、衣はサクサク、中はとろりとして、なかなかの美味しさです。 お新香は、胡瓜、カブ、そして柴漬け。 味噌汁は、ワカメ、油揚げ、ネギで、濃い味わい。 飾り気はないものの、良心的な内容です。 そして、路地入口と、店舗入口に、二重に設置されたバリアを、突破してくる強者達がいます。 高い対バリアスキルを持ったお客が、一人、また一人と、この場所に辿り着くのです。 彼らは、まず、自分が座るべき椅子を選ばなければなりません。 #レトロ食堂

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それは、越生のだいぶ山奥でした。 ちょっとまごついて、どこへ行ったらよいのか分からなくなってしまったくらいの山奥でした。 「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。 そして玄関には「ギャラリィ&カフェ 山猫軒」という札がでていました。 当軒は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」をイメージした建物です。 そのため、文体も変わっていますが、どうかご承知ください。 入口の扉から、それはもう恐ろしい形相の山猫が、「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」お出迎えです。 カメラマンのご主人とコピーライターの奥様が、開いたお店。 町田で初代、そして越生で二代目の「山猫軒」。 その足跡は、奥様がにより「山猫軒ものがたり(麦秋社)」という本にまとめられています。 現在の建物は、約3年かけてセルフビルドされました。 ウッディで自然あふれる創り。 猫などをモチーフとしたたくさんオブジェ。 更に、様々な作家のギャラリー展示。 グランドピアノに、JBLのスピーカー。 森の中にある山猫の隠れ家です。 ■古代米野菜カレー 1200円 無農薬ゆうの胚芽米、赤米、黒米。 褐色の古代米に、優しさと力強さがあります。 使用している野菜も無農薬有機栽培。 ヨーグルトも付きます。 環境も食事も、自然に溢れています。 ■アイスコーヒー 500円 豆は、ロースター大島潮氏のオリジナル。 その挽きたてに、天然水使用。 まろやかな苦みです。 奥様は逝去され、ご主人がお店を守っておられます。 ご主人の声に見送られ、お店を後にします。 すると、室はけむりのように消え、草の中に立っていました。 草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 心が安らぐのを感じました。 #宮沢賢治ワールド ●Kitchen cafe CRANBON/東松山[2018/06/05投稿] ●ギャラリィ&カフェ 山猫軒/越生[2016/10/15投稿] ●七つ森/高円寺[2016/07/24投稿]