秋葉原、伝説の店「牛丼専門 サンボ」。 秋葉原の語部達は、かく語った。 【第一部 黎明期】 昭和54(1979)年創業。 その立地は、中央通りを挟み、神田青果市場(やっちゃば)と向かい合っていた。 10年後の平成元(1989)年、市場は大田区へ移転する。 (跡地は、「秋葉原UDX」が2006年3月9日にグランドオープンするまで不可触領域となった。) 一方、秋葉原は、1990年の「LAOXザ・コンピュータ館」オープンを契機に、家電の街からコンピュータの街へと変遷する。 そして、よりマニアックな客層を呼び込み、秋葉原戦士(≒おたく)の街へと変貌する。 ここに、伝説が生まれた。 市場で培われた「ムッシュ」と「マダム」の接客が、この店の味とボリュームを求める戦士達と激突するのである。 【第二部 伝説へ】 「サンボ」には、鉄の不文律があった。 ○荷物を空席に置くべからず。 ○携帯電話(通話・メール)、写真撮影をすべからず。(バイブレータを含む) ○音楽プレーヤー(イヤホン)は使用すべからず。 ○注文はお茶が出された時点で行うべし。(それより早くとも遅くとも不可) ○「つゆだく」「ねぎだく」「特盛り」という言葉を口にすべからず。 ○食後は即座に席を立つべし。 不文律は、その味とともに口伝され、多くの秋葉原戦士が戦いに臨んだ。 戦いは熾烈を極めた。 不文律を犯した朋友の屍を乗り越え、戦士達は「サンボ」へ向かった。 何故なら、そこで得られる至宝「牛丼」は、懐かしく温かさに満ち溢れたものであったからだ。 付記するなら、何も知らぬまま入店してしまった者の多くが、尊い犠牲となったことは言うまでもない。 戦いは2004年のBSE問題にまで波及し、大手チェーンからの供給が断たれる中、更に多くの戦士が「牛丼=ポーション」を求めてこの聖地へと向かった。 【第三部 そして現在】 「サンボ」は、2008年11月14日から、突然の長期休業となった。 同年12月20日から営業が再開される。 そして、「ムッシュ」及び「マダム」から、「ギャルソン」への世代交代が起こる。 鉄の不文律は消え去り、「牛丼」の写真撮影も可能となった。 私も彼の地を巡礼し、牛丼(並)470円+玉子50円+味噌汁50円をいただいた。 丼の上に分厚い層を成す、牛肉と玉ねぎ。 しかも玉ねぎより牛肉が圧倒的に多い。 玉子をかけていただくと、やさしさに満ちた、柔らかな至福に包まれる。 そして、「紅しょうが」も、美味しい。 着色されていない本来の色合い、そしてサクサクとした本来の食感と味わい。 味噌汁、味噌も、油揚げも、豆腐も、素材の旨さが正面に出た真っ当な味わい。 本当に、この価格で良いのかという思いにかられる。 まさに「牛丼専門」と掲げる通り、牛丼への愛情と真摯さに満ちている。 そして、お店の方々の対応にも優しさがあった。 それでも、秋葉原の語部達は伝える。 伝説の時代、その丼の盛りは、神々しいものであったと。 [完] ※自身の暴走を止め切れず、大仰な文体でお送りしています。 ※文中に登場する店舗や人物は架空のものであり、例え実在する店舗や類似する人物があったとしても~