入院前の最期の昼餐に行った松風庵 この頃開店時刻12時きっかりに入らないとお客さんを大分待たせることがあると、ご主人から伺って居ましたが、金曜日12時を10分過ぎた頃到着したら、本当に机席は満席で、普段座ったことの無かった座敷席に入れていただきました。ご主人はてんてこ舞いで注文を取ったり膳を運んだり忙しそうでした。注文はそのうち取りにいらしていただけるだろうと、気長に座敷席から見える周囲の額を眺めて居たら、事務机の壁に陶淵明の勧学の最後の四行が読み返点付きで額に入れて飾ってあるのを見つけたといふ話 盛年は重ねて來らず、一日再び朝(あした)なり難し、時に及んで、まさに勉励すべし、歳月は人を待たずと謂うやつです。 若い元気な年は、再び来ない。一日のうちの朝も再び来ることは難しい。 だから、楽しめる時は思いっきり楽しむべき。歳月は人を待ってくれない。 勉励すべしとは勉強しなさいと謂ふ意味と若い頃は思って居ましたが、充実した時を過ごしなさいと謂ふ意味だそうです。 句の前半では「人生には植物の根のような拠り所が無い。風に舞う路上の塵埃のようなものだ。分散して元の姿を保ち得ない。この世に生まれてきたからには、全ての人が兄弟のようなもの。血縁に拘る必要もない。嬉しい時には、楽しくたっぷりの酒を近所の人たちと飲もうと謂ふのですから、時に及んでまさに勉励すべしとは楽しめる時は思いっきり楽しみなさいと謂ふ意味だと今は理解して居ます。 然るにここのご主人はこの四行を勧学として掲げているところを見ると、陶淵明は64歳で亡くなって居て、ご主人は70歳を優に超えていらっしゃると見受けられるのにまだまだ盛年のつもりで勉学に励もうと謂う気かしら。と微笑ましいやら、その癖今年になってまだ2日しか店開けて居ないのに疲れたと青息吐息なのを観ると、このお店も門前仲町の浅七や足立市場の武寿司同様閉店になってしまいはすまいかと心配になりました。前は原始キリスト教やら仏陀の直接の教えだの説明されて困惑しましたが、最近はネコに小判だとわかったのかそう言う話はして頂かなくなったけど、相変わらず研究しておられるのだろうなぁ。 と謂うようなことを考えて蕎麦が出てくるのを待つのも楽しいものでした。 お蕎麦は基本のせいろ二枚重ね1300円、江戸細切り800円、田舎800円をいただきました。江戸細切りが間奏曲のように甘く繊細な歯触りで、いつも通り個性的で美味しい2種類の蕎麦を橋渡ししてくれ、手術前に好物を思う存分堪能できて良かった。二枚で一人前見当です。後から追加注文しても忙しいと忘れられちゃうかも。初めに頼んでおく方が良いです。 でも本当はがらんと空いてゐて、この空間を贅沢に独り占めする中で蕎麦を手繰りたかった。昔あった常陸秋蕎麦を打つ成田の末広庵みたいに。