Giacomo Casanova

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好きなお店です

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excellent

池袋駅

カフェ

窓際の席に座った。店内には程よい間隔で机と椅子が配置されていた。椅子も机も、空間を際立たせるために低いものが選ばれていた。人はまばらだった。静かなおしゃべりが重なり合った音となって、この空間の幾何学の中で響いていた。その音の人間らしさが幾何学をどこか柔らかいものにしていて、心地よい調律だった。 話したいことを話したい人と話せているときのことは、何度も思い返す特別な時間になる。その時間を思い出すときには、そのときの記憶が、人生の時間軸から離れたところにある、1つの独立した場所にぽつんとあるもののように感じる。 大したことを話したいと思ったわけではなかった。誰かが誰かに同じことを聞いていても聞き耳をたてることもないような、ありきたりで平凡な質問。特別な場所の中にあるものであっても、あるいはそれは本当にただの平凡な質問だったのかもしれない。その質問の中に狂気はなく、それ以上の意図もなかった。しかしありきたりなものであっても、自分にとってなんらかの意味を持ち得るということを思い出したのはこのときだった。 窓の外を見ると芝生の薄い緑が見えて、その奥に樹木の濃い緑が見えた。空はとても晴れていて、太陽の明るさを緑たちが跳ね返していた。そのときにふと、子供のときに公園で水遊びをしていたときのことが想起された。水風船に水を溜めて、僕はともだちに投げたりじぶんで潰したりして遊んでいた。同じように太陽が痛いほどに晴れた暑い日だった。 幼年時代の記憶の糸を辿っていくとき、その記憶は、やはりバラバラに独立した場所の中にあるのだった。そしてその中にある全てが、平凡で、ありきたりで、特別なものだった。

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雨が降るとここへ行きたくなる。窓際の席の、外の景色がよく見える椅子に座る。暗く曇った空があり、そこから落ちてくる雨粒があり、その2つが収束していく川がある。空に光はないし、雨粒は大きくて生々しい。川は濁っているし、背景にはビルがひしめいでいる。 1つの雨粒が川へ落ちるたびに、その周りにほんの僅かな波を起こす。しかしその波は、後から隣に落ちた1つの雨粒の波によって掻き消されてしまう。濁った川ではあるが、その波の美しさを隠すことはできない。 料理が運ばれてきた。木製のお盆の上に白く美しい陶器があり、その中に料理がある。それは程よく焼かれた鶏肉だったり、卵かけご飯だったり、あるいはただの白米だったり。メニューの多くは和食で、味付けはささやかで、量もそれほどないのもいい。 その時の僕の目の前にいた人も、ちょうどこのお店の景色と料理みたいに、世俗のなかでささやかであり続けている人だった。 彼女の中に、1つの雨粒ではなく、波の美しさを見出そうと試み続けていれば、もう少し違ったことを言えて、聞くことが出来ただろうか。

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もう随分と長い間、ここを利用させてもらっている。その期間の中で、僕自身にもいろいろな変化があったし、僕を取り巻く環境にも、大きな変化があった。でも、このお店は変わらずここにあり続けた。通う場所や付き合う人間がガラッと変わって、僕が正反対に振れてしまうというような変化をした後でも、このお店は、そうした僕の変化を見続けてきた。このお店に来るといつも、変わらないでそこにあり続けるものと、絶えず変化を余儀なくされるものとが、過去の具体的な事例とともに、バラバラに想起される。僕から離れてしまった人々、関係が断絶してしまった人々。このお店が変わらずそこにあり続けるからこそ、僕にとって不本意な変化がいっそう際立っている。 誰にも、そういうお店ってあると思う。長い間そこに通うことによって、記憶と感情がかなり密接に結びついてしまったお店が。そういうお店はその人にとって、これからの変化を阻む障壁となってしまうのか、あるいは忘れてしまった過去を思い出させてくれる大切な場所になるのか。その2つの違いはあまりにも少なく、隔てている壁はあまりにも薄い。気をつけていないと、感情を失ったままルーティンを繰り返す怪物になってしまう。自分自身が受け入れるべきものとしての変化の可能性に出会っても、それを頑なに拒否し続けることになってしまう。 夕方の混雑の後、少しづつお店が空いてきた時間帯の、静かな店内。そこで本を読んだり日記を書いたりすることが、いったいどれほど僕にとっての救いになったことか。本の中や日記の中から送られてくる様々な啓示がなかったら、僕の人生はもっと悲壮なものになっていたかもしれない。ここで過ごしていると、自分の過去だけでなくそうした可能性までもが、あるいはそうした必然性までもが、僕が知覚できないほど大きくて不明瞭なダイナミクスの中の一つの小さな歯車であるかのような気がする。

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吉祥寺の繁華街を抜けて住宅地に入り、一点透視の絵画の中のような道を五分ほど歩くと、山荘然とした佇まいのこのお店に出会う。店内の奥には本棚があって、変わったレパートリーの本が置いてある。料理が来るまでのあいだ、気になって手に取った本との出会いが僕を待っている。お店を出る時にその本と別れなければいけないことは分かっている。その前提に立った上で交わされるその本との会話は、なにか凄く貴重なもので、ここ最近自分が悩んでいた問題に対して突然の啓示を与えてくれるもののような気がした。 僕が手に取ったその本は、ひらひらしたしおりが付いているタイプの本だった。もしそのしおりが示しているページが、このお店の常連さんが読み進めているページだったらという想像をしてしまって、僕は自分が読み進めているページにしおりを挟むことができなかった。店員さんは気にしないで使ってくださいと言ってくれたが、やはりできなかった。 しばらくすると、その店員さんが料理と一緒に付箋を渡してくれた。成す術もなく身動きが取れなくなっていた僕の気持ちを汲み取った上で、そのように配慮してくれた。このお店には、まだ僕が気づいていないだけで、きっとそうした繊細な心遣いがたくさんあると思う。ぼんやりと歩きながらお店に向かうとき、今回はこのお店のどんなところに気付けるのだろうといつも思ってしまう。お店に行くたびに毎回小さな発見があって、そのことが他の何よりも、このお店に僕を向かわせる引力になっている。

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冬の朝、誰もいない店内に鍵を開けて入る。冷え切った外気と共に店内に入ると、クローズの人達の残した暖かい空気が、僕を歓迎してくれているように感じる。鼻腔を通るドーナツの香りが、脳を甘くたぶらかす。静寂が支配するまだ暗い店内に、孤独に耐えかねたセコムが鳴り響く。仕事の開始を伝える合図が、鳴り響く。 このお店はビルの一階の角に位置していて、外側が全面ガラス張りになっている。時間帯や天候、入っているお客さんのタイプなどによって、お店の表情は様々に変化する。その変化を見知ったつもりになっても、時が経って自分の視点が変われば、また様々な表情を見せてくれる。 晴れた日の透き通った空がレジから見えたときに、店内が、その蒼さによって完全に調和していたように感じられた。蒼い暖かさに包まれた店内、朝のひと時を過ごすお客さん、心の凪を味わう店員。日常の中に、また小さな幸せを見つけた。たまに訪れるそうした啓示が、とても愛おしかった。 常連さんの顔が、1人づつ、浮かんでは消えていく。僕が知っているのは、目の前で注文をしてくれる時の彼らだ。そうじゃない時の彼らは、いったいどういう声で話して、笑うのだろう。そのことは僕には知りようがないし、彼らもまた、僕について知りようがない。僕らが直接会話をするのは注文の時だけ。接客をするたびに、その短く儚いコミュニケーションの中で、どれだけ相手を想像できるのかということを問われている気がする。 長い間、お世話になりました。 #Rettyビギナー