Giacomo Casanova
池袋駅
カフェ
窓際の席に座った。店内には程よい間隔で机と椅子が配置されていた。椅子も机も、空間を際立たせるために低いものが選ばれていた。人はまばらだった。静かなおしゃべりが重なり合った音となって、この空間の幾何学の中で響いていた。その音の人間らしさが幾何学をどこか柔らかいものにしていて、心地よい調律だった。 話したいことを話したい人と話せているときのことは、何度も思い返す特別な時間になる。その時間を思い出すときには、そのときの記憶が、人生の時間軸から離れたところにある、1つの独立した場所にぽつんとあるもののように感じる。 大したことを話したいと思ったわけではなかった。誰かが誰かに同じことを聞いていても聞き耳をたてることもないような、ありきたりで平凡な質問。特別な場所の中にあるものであっても、あるいはそれは本当にただの平凡な質問だったのかもしれない。その質問の中に狂気はなく、それ以上の意図もなかった。しかしありきたりなものであっても、自分にとってなんらかの意味を持ち得るということを思い出したのはこのときだった。 窓の外を見ると芝生の薄い緑が見えて、その奥に樹木の濃い緑が見えた。空はとても晴れていて、太陽の明るさを緑たちが跳ね返していた。そのときにふと、子供のときに公園で水遊びをしていたときのことが想起された。水風船に水を溜めて、僕はともだちに投げたりじぶんで潰したりして遊んでいた。同じように太陽が痛いほどに晴れた暑い日だった。 幼年時代の記憶の糸を辿っていくとき、その記憶は、やはりバラバラに独立した場所の中にあるのだった。そしてその中にある全てが、平凡で、ありきたりで、特別なものだった。