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マッキー牧元

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フレンチ、和食

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味の手帖編集顧問タベアルキスト

一年三六五日600外食を続けるタベアルキスト おすすめ度基準 東京からおよびその地方の水準以上の美味しい:★★ そこに個性や特筆すべき点があること:★★★ 日本最高レベル:BEST

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渋谷駅

和食

初鰹である。 渋谷 「かつお食堂」へ初鰹(初来店)である。 カツオ頭にまとめた髪に、きりりとねじり鉢巻をしたカツオちゃんか一人で切りもる食堂は、朝8時過ぎに訪れた。 出来ますものは、削りたてかつお節かけご飯の定食のみである。 毎晩クラブ通いをしていたカツオちゃんが、実家に帰った時に、祖母がカツオ削りする姿を見て、真の美しさとは心がきれいなことだと気づいたという。 それからカツオな日々を送って5年目に、カツオ食堂を作った。 注文すると、ごはんを装い、鰹節を削ってご飯の上にこんもりとのせる。 熱々ご飯の上で、かつお節が身悶え、踊る。 ああ、愛おしい。 香ばしさが顔を包んで、幸せが体の奥底からせり上がってくる。 そのまま食べれば、柔らかなうまみが、ごはんを押し進め、醸して付けたカビの、かすかな品のある酸味が、後押しをする。 もう、塩もカツオ醤油もいらない。 素のままで、熱々ご飯をワシワシと掻き込んでしまう。 途中で黄身を落としてもらい、塩ガツオかけた後、追いがつおをしてもらった。 もうやめて。 「カツオに対する感謝をさらに感じるため、来月に日戻りのカツオ船に乗せてもらえることになりました」 カツオちゃんが、嬉しそうに笑う。 「鰹節を削るときはイライラしててはいけない。雑念が入ってもいけない。それが同じ鰹節でも味に影響してしまうんです。だから私は、開店前にプリンとか甘いものといった好きなものを食べて、自分をにこやかにさせます」。 「今月は、高知県土佐市宇佐の村田さんの鰹節です。来月は、鹿児島県枕崎の一本釣りの希少な鰹節を使います」。 まいった。こりゃあ戻りガツオするしかないな。

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神楽坂駅

ハンバーガー

江戸川橋の「マティーニバーガー」に出かけた。 NY出身東京在住のアメリカ人が作った、ハンバーガーショップである。 店の名がついた「マティーニバーガー」は、100%牛肉のパテを、イングリッシュマフィンに挟み、バターとハーブソースを加えられている。 一口食べた。 ん。ん? パテもマフィンもソースもいい。 いいが、なにかこう、食欲に訴えてくるものが少ない。 連れは、「マフィンの頼りなさがパテと合わないんじないか」と述べたが、いや課題は別のところにあると推察した。 そこでマフィンを外し、パテに塩胡椒を振ってマフィンを戻した。 連れに食べさせると、「うまい」と言って目を輝かす。 マフィンのせいじゃないことを証明するために、普通のバンズを使い、ゴーダチーズとチェダーを交互に乗せ、アイオリソースをかけた「五番街」を頼む。 こちらも塩胡椒をしていただく。 どうも我々庶民には、塩胡椒をして少し下品にしていただいた方が、口に合う。 肉の良さが引き立つ。 さらに「アストーリア」という亜種も注文してみる。 これは羊肉である。 そこにミントとキュウリのヨーグルトソースと赤玉ねぎが加えられている。 おお。お羊様の香りが爆発する。 イスタンブールでトルコ人が始めた、モダンバーガーといった風で、実にマニアックなのであった。

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中野坂上駅

寿司

中野坂上「鮨 与志乃」にようやく出かけることができた。 「京橋 与志乃」時代には、数回ほど出かけたことがある。 ご主人石塚信一氏は、名高い「与志乃 本店」出身で、「すきやばし次郎」小野二郎氏の兄弟子にあたる職人である。 お酒が好きな方で、お客さんと意気投合すると、店を閉めてから銀座を飲み歩き、最後は自分の中野坂上の家まで連れていくこともあったという。 石塚氏からこんな話を聞いた 「いやこの間ネ。朝起きたら隣に知らねえ野郎がグースカ寝てやがるン。カミさんに、おい、コイツはどこのどいつだ? て聞いたんでさ。すうってえと」 「ヤダねえお前さん、あんたが昨日の晩に、おい、コイツ今日知り合ったんだけどネ、いい奴でねえ、よし最後は俺んちで飲もうじゃねえかって、連れてきたんじゃないの」。 落語を地でいく人だった。 京橋時代、初代、息子、孫と三代で切り盛られていて、大抵は息子が切りつけ親父が握り、孫が燗をつけるなど、酒周りのことをしていた。 ある日僕がぬる燗を頼むと、しばらくして孫が持ってきて親父に渡した。 すると親父は徳利を持った瞬間に言う。 「これは熱燗じゃねえか。こちらさんはぬる燗って言ってんだからダメだろう。しょうがないねえ。こいつは俺が飲んじゃおう」。 落語である。 ある日はスミイカを見た途端に、その姿の良さに切りたくなったんだろう。 「今日は俺が切るわ」と、息子からもらう。 包丁を当てようかというその瞬間に、また口を開く。 「やっぱり、イカは滑って危ないん。お前がやりな」とイカを息子に戻したのである。 もう親父さんはいない。 息子さん(といっても僕と同い年だから60すぎ)とお孫さんが二人で切り盛りしている。 江戸前の仕事が施された握り寿司を噛み締めながら思う。 また親父さんに会いたいねえと。

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武雄温泉駅

イタリア料理

佐賀弁で「わけのしんのす(意味は、この時間帯では書けません)」と呼ばれて愛されるイソギンチャクは、一般的には味噌で煮て食べられるという。 牡蠣の肝のような食感と、さざえの身のような食感があわさっていて、肝の微かな甘味が滲み出る。臭みがあるので、肝を半分ほど掃除してやるのがコツだという。 一方のエツの子は、魚自体にうま味があって、骨周りにうま味がある。そいつを噛み締める楽しさがあって、フリットながら、ぬる燗が欲しくなった。 この日一番の傑作は、「緑茄子とバジリコのトロフィエ」。煮溶かした茄子の優しい甘みが、てれんとトロフィエにまつわりつく。それ小麦粉が少し溶けるような食感のトロフィエと同化して、なんとも穏やかな気分を呼ぶ。 佐賀県武雄温泉のイタリアン「souRce」梶原大輔シェフの作る料理は、地の食材への愛に満ちていて、その誠実さが心に響く。 前菜の「あなきゅう」ならぬ、「地穴子と夏野菜」は、5時に締めたと言う穴子の刺身と有明産のクラゲを海老という、異なる食感の魚介に、胡瓜を主体としたガスパチョを合わせる。佐賀県小城氏の熊太郎トマトは、甘みだけでなく酸味もしかとあってブラッティーナの豊かさと見事に合う。 大浦のウニの柔らかな甘みに佐賀牛が寄り添う皿。 ウチワ海老の優しい甘みに、地元産フクユタカ豆の甘みが共鳴する皿。 ジャガイモと海苔の甘みが溶け合うニョッキ。 佐賀牛ハツの凛々しい鉄分を、きめ細やかな肉質を持つビーツの土の香りが鼓舞する皿。 果肉の穏やかな甘みと皮の酸味を備えた、珍しいシャポチカバという地元産果物とフルーツのテリーヌ、レモンのセミフレッドとチュイル、ルバーブのソースが織りなす、ドルチェ。 自然派ワインを中心としたグラスワインのペアリング。 巧みな有田焼皿と料理との出会い。 ううむ。これは季節ごとに訪れなくてはいけません。

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武雄温泉駅

ラーメン

「焼き2でぇす」。「焼き4でぇす」。 次々と焼き餃子の注文が入る。 ここは武雄市民のソウルフード、「餃子会館」、愛称「もしもしラーメン」である。 休みの昼には家族連れやカップルで行列が出来る、人気店である。かのホワイト餃子で修行を積み、武雄で店を開いたという。 ラーメンと餃子、ビールを頼んだら、「ビールは一緒にお持ちしますか?」と、ビールのタイミングをきかれ、餃子の注文だけを先に通した。 すると餃子ができる寸前に、ビールが来て、一杯目を飲んだ頃合いに餃子が運ばれる。 王将もこの辺りを見習って欲しい。 「私は家でテレビを見てるわ」と、妻に言われたのだろう。 父と息子連れ、中年男1人が多い。 隣の推定50歳男性は痩せているが、飢餓状態なのだろう、みそラーメン大盛りに餃子2人前という猛者である。 タレは、醤油と酢にラー油の定番が多いが、隣の猛者は、小皿に並々と醤油だけを入れて、たっぷりつけてたべている。隣の親子連れは、酢醤油にゴマを振り入れている。酢コショウは見当たらず、まだ九州には広まっていないのかもしれない。もしもしラーメンは、電話型器に入れられるのでも、頼むと店員が「もしもし」と言葉を返すのでもない。 電話をしながらラーメンを作るのても、NTTの経営でもなかった。 少し臭みのあるトンコツラーメンである。麺は柔く、やや太く、博多の人には認められないタイプである。いわゆる焼いたというより、揚げたに近いホワイト直伝の餃子は、その丸い形と、ガリッとした皮以外に、個性はない。 地元の人がやるというのを真似て、最後の一個をラーメンに入れてみた。しばらくおいて食べると、皮にスープか浸透してふにゃりとなり、かつガリッととした部分はわずかに残っている。その微かなプライドと、柔くなった頼りなさが、どうにもわびしくて、うまかった。