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akira iさんの My best 2022

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岐阜県

炉端焼き

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【 ラ・リスト1000の10位という事 】 ミシュラン二つ星。世界で最も有名なファインダイニングランキング。続く評価基準としてあるのが世界ベストレストラン50で、これはシェフやライター、フーディ業界の人男女同数、1000人による選出で独自色を出す。こちらはかなり、先鋭的なレストランに評価を出している。 2015年にフランス政府のお墨付きで登場した「ラ・リスト」は、世界各国の600以上のガイドや格付け、レビューなどの情報を集積し、独自のアルゴリズムに基づきコンピュータで解析したものであり、その計算方法は非常に透明性が高い事を売りにしている。2019年に、柳家は世界10位と言う得点を獲得した。この年の100位までをざっと見てみれば、なるほど世界的に有名なお店がズラリ、である。(2021も変わらず30位以内にランキングされている。世界で、である。) 「本日はこちらの方にご案内いたします」 やあやあ、これが新館かと外観の写真を撮ってから、柳家本館の入り口で待っていたら、なんと、まだできたばかりであるその、柳家岐山へと案内された。玄関には大きな屋久杉で作られた飾り棚。11月にようやく使い始めたばかりで、新築のため熱を使うにはじっくりと、この木自体にも熱をかけてゆかねばならぬと言う。フル稼働させると木が割れる、そうで、基本は一日一組、だそうだ。聚楽壁、、京都の西陣あたりでとれる、特殊な土で作られる塗である。 新築祝いに作ってもらったんですぜひどうぞ!と、白木の美しい枡のお土産をいただいて、久々の、柳家がスタートした。 前回訪問時(2017)から季節としては丁度1ヶ月後。究極の田舎料理は、たったの一ヶ月の違いで、食材のポテンシャルが変わる。明確に違うことに、驚く。明らかに、鴨も猪も鹿も、太っている。 冬なのだ。12月の初めは冬の始まり、そこからぐんと冷えてくる一ヶ月。特に四つ足は、その為にしっかりと、栄養を蓄えていたのである。 2度目の柳家。私は同じ季節に来たつもりであったが、山の一ヶ月はもっと劇的な変化をしていたのである。熊が出る12月も捨てがたいが、この、1月の素材の劇的なパワーもまた、大変な魅力であって、なるほど柳家の本質とは、我々が思うよりももっとずっと、季節が反映されているのだ。なんと素晴らしい事だろうか。 このお店が無くなってしまえば、ある種の文化すら消えてしまうのではないか、と思うほどに、伝統的な瑞浪の田舎料理である。それも、極めて洗練された。 とにかくシンプルである。組んだ炭火で肉を炙り焼き切る。が、それはもうあらゆるピースがきちんと揃っていなければこんなに突出して美味くなどならないのだ。 瑞浪から阿智の方、山深い方へ。駅から車で30分もかかる山の中の、1番奥の急な坂を登り切ったところに柳家はひっそりとある。静かなこの場所で炭が爆ぜる音を聞きながら、この山で取れた幸をいただく。これは、命の、恵みだ。 その70年と言う柳家の歴史の中で新しく、柳家岐山という別棟が出来、これからの未来へと、この瑞浪の文化を受け継いでゆく準備が整った。時代の流れにもちゃんと寄り沿いながら、柳家はそこにある。 この数日後、家で使っていない大きな平皿がでてきた。勿体無いから使った方がいい、どれどれ、と皿の裏を見るとそれは瑞浪焼きだった。 柳家はもともと、この窯業で栄えた瑞浪の人たちの為のハレの場、だったそうである。

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兵庫県

ビストロ

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【 唯一にして無二である事 】 彼らが目指しているというか、譲れない部分や大事にしている事が、本当の意味で最近腑に落ちている。彼らは三つ星でも働く技術があるし、現代的なテクニックも当然のことながら持ち合わせているが、そういうものを一旦超えてきて、彼らが出した料理人としての答えが、今、皿の上にある。 そういう事がとても腑に落ちている。過去にこのレストランで食べた全てのお皿を思い出す事ができる。お伺いする前にそれらを眺め、今日また、こうしてその日の記憶を羅列する。それらの料理は一期一会であり、昨日の料理はもう、今日は無い。それらがことごとく、常に前回を超えてきているのも感動的だ。 一人で店を始めたシェフが、兄弟子が加わりシェフ2人体制になり、1年が経った。1年の月日で、人は一人では面白く無いのだ、ということを肌で感じた、その料理の闊達さが経過を表している。面白く無い、というのは、人は一人の想像力に限界があるのだ、それは絶対的に。それは、1+1=2という数学ではなく、人は1+1=3だとか、そういう意味で。もちろん、最初の頃からこのお店はすごかった。ランチを食べてすぐにディナーを予約したぐらいの衝撃があった。しかし、振り返ればずっと、来るたびにそれを超えてきている。 「私、何度か泣きそうになりました」と、2件目に訪れた、どうでもいいワイン居酒屋で彼女は言った。 ナチュラルワインの勉強がしたいから一緒にどこかよい、お勧めのお店に連れていってください、と年末にお願いされた。彼らは東京浅草で、2021年に日本に2件しか無いクルド料理のレストランを始めたところで(日本人のクルド料理店はだから1件だけだ)ひょんなことから、お店でナチュラルワインを出す事になった。ちょうど新年の良いタイミングだからと、私にとってもとても大切で、刺激的であるレストラン、トレフルを予約して、4人で訪れたというわけである。 お皿の上は訪れるたびにシンプルになった。ハーブもほとんど散らさない。奇をてらった料理を作るわけでは無いし、ソースを描くわけでも無い。だがその料理の佇まいは本当に美しく、愛おしい。そして、この不思議な味わいはなんだろうか。どうしたらこうなるのかわからないほど、その味わいは定点がなく、かつ安定しており、無限であり収束した一点である。様々な要素がきっちりと一つに同化していて、様々な要素が際立っている。 料理を食べて泣く事がある。そこには料理人の料理への真摯な取り組みや、情熱があるからだ。彼ら二人が作る料理は、ただ官能的であるだとか、そう言ったことでは無い。彼らが積み重ねてきたあらゆる事の結果のディティールがそのまま、そこに存在している。 私、何度か泣きそうになりました。 彼女の言ったその一言は、このレストランへの最大の賛辞に違いないし、彼らが料理を通じて表現したい事が、ちゃんと伝わった証なのだと、思う。正直万人向きなお店では無いかもしれない。決して、わかりやすいお店でも無い。だが、彼女は人一倍の感受性で、それらをちゃんと感じ取れる人であった。 そんな心を震わせてくれるレストランがあって、私の大好きなシェフ2人が、今日もひたすらパリっぽい、美味しい料理を作っている。なるほど、彼らの料理はもう何かの延長線上にあるのではなく、彼ら自身のお料理になったのだ。ミシェルブラスでもセプティムでも、シャトーブリアンでももう無い。トレフル、という料理。それは彼らがたどり着いた、彼らなりの料理の本質というものが、ゆるぎなく存在しているからである。 だから、心が震える料理がそこにあるのだろう。

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【 コンテンポラリーベトナミーズの世界 】 その、ハノイで最後に訪れたレストランが素敵すぎて未だに驚きを隠せないでいる。訪問する前に少し写真を見ただけでシートを一つ確保したが、それは、私の想像を軽く超えて素晴らしい食の体験だった。 ヘッドシェフでファウンダーのMiss Sam Tran. いずれハノイを代表するようなシェフになることは想像に難くない。若くて可愛らしいシェフは紛うことなき天才で、豊かな感性と確実なセンス、そしてエンジニアリングに長けており、まさかこれほどの料理の質のものを、これだけ若いチームとシェフで作り上げているとは夢にも思わなかった。 そのレストランはまだオープンして1年程だが、相当に鍛え上げられたワールドスタンダードのチームがいる。ドアオープンから店を出る時まで、驚くべきほどのクオリティで仕上げられていて全く隙がない。建屋は100年を超えた古民家のリノベーションで広く美しく存在し、スタッフは全員が完全に英語を話す。そして、それらのサービスが極めて”個が存在”しており、一人で食事を楽しむ私が退屈することがない。 そういえば、私のテーブルにだけ、旅の雑誌が2冊置かれていた。それは多分、美しいテーブルを飾る一つのパーツとして置かれていたのだろう、4人がけに一つだけのテーブルセットでは美しくない、という、そういう配慮に他ならない。 そこまで突き詰めれるレストランが、これほどまでにグローバルスタンダードであるレストランは、日本にはどれだけあるだろうか。私の目の前には自由闊達に、ベトナムの地方色豊かな食材や料理が、様々な形で展開されてゆく。全てが整えられたディナーは、ハノイの今、の一つの側面を映し出す鏡だ。 本当に、これほど若くて伸び伸びとしたチームで成立しているレストランは見たことがない。それはもう全てが清涼だ。食事の最後の方にキッチンプレゼンテーションがある。そこで初めてシェフのミスサムトランと出会う。彼女は”きょうの料理は全てわたしがつくったのよ!”と素敵な笑顔でキッチンに迎え入れてくれ、最初のプティフールを出してきて、甘いものを食べて少しお話ししましょ!と言って来る。 ーーーー — トロピカルアーモンドのタルト - 幼少期を思い出すひとくち。何世代にもわたって愛着があるシンプルなおやつの一つは、口に入れるとサクサク甘くプルプルな味わいの若いトロピカルアーモンドです。 今回の秋メニューでは、あの味を全く違うスタイルで再現しました。 サクサクのタルトに、脂ののったチーズで包まれた柔らかいトロピカルアーモンドがきれいに乗せられています。 この料理のハイライトを作るために、キャビアを上に加えます。 私たちはあなたの目の前に、小さい頃の思い出の空が見えると信じています。 この特別な味を求めてGia'sに寄ってくれる? — Gia Restaurant 61 Van Mieu, Dong Da, ハノイ ーーーー それにしても、だ。出されたペアリングのワインは全てブラインドで、デキャンタージュされて出てきたのだが。割と自信満々で答えていたのだが、かすったのは一つ目のシャブリをイタリア北部のシャルドネ、と言ったことくらいだった。まさかハノイでフランケンのツヴァイゲルトが出て来るとは、、、、

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大阪府

イタリア料理

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【 多田さんのペルシュウ 】 ペルシュウは日本に多田さんが作るものしかない。いわゆる生ハムというカテゴリーに属するが、生ハムと一括りにするにはあまりに広義である。多田さんは、日本で唯一、本物のパルマハムを作れる人であり、パルマではその認定されたハムのことをペルシュウ、と呼ぶ。 その、絶品なる味は、大阪ではここトムクリオーザと、スガラボでしか食べることができない。逆に言うなればトムクリオーザではそのペルシュウを、”スライサーのフェラーリ”と呼ばれる凄いスライサー(ベルケルという唯一無二の会社のマシン)で、ごくごく薄くスライスして出してくれる。 ペルシュウは、ただの生ハムではない。スライスや提供するすべにおいて、多田さんからのイエスがでなければそれは提供することができない。それほどまでに大切に作られた生ハムである。その、味。 まるで雲をつかむような、、、夢から覚める直前のような。淡くて甘く、フワフワで消えゆく官能、とでもいえばいいか、、、、いや、言葉で表すことができない。 これはもはや”体験”である。551の蓬莱である。あるとき〜ないとき。ではない、食べたことがあるかないか。そういう話だ。驚くべきほど薄くスライスされ、しかもそれはほころびもせず存在し、油の溶解温度が低いためほんとうに、とろけるように消え去ってしまうその、瞬間の濃密。時間の軸すら歪みそう。そんなペルシュウが、お皿いっぱいに、一人前で出てくるのはある種の恐怖でもある。 しかも、お代わりまでした。後先見ないお代わりなど滅多にしない私は従順にこうべを垂れ、まるであたかもメディチ家の長男のごとく、私は2皿目に手をつけたのだ、それは、拒絶だとか思考だとかとは無縁の、直接的な、全ての要素が介在しない規定されたストーリーであり、世の中にはそのような抗いがたい魅力や魅惑や桃源郷があることを示唆した。 スガラボは量が少ないのよねえ。 そう、隣りに座る友達はこぼした。もはや私にはどういった量が適切なのかは理解しがたいが、この圧倒的な味の前ではおよそ、全ての思考は無駄である。とにかくこれは、体験したか、体験していないか。そういう類の話なので、興味がある人は一度、試してみるべきであろう。わたしもペルシュウのはなしは色々聞いてはいたが、実際聞くと食べるとでは全く人生が異なる、ということに気がついたところだ。 もちろん、トムクリオーザがすごいのはこのペルシュウに負けないすごい料理があるからだ。スターターのコーンはイタリアの夏を思わせてくれる。オランダ人とイタリア人と席を共にしたカステルフランコの愉快な夜だ。シャンパーニュの左端にはドンペリニヨン氏のご尊顔が見える。そしてシャンペルシュウ、、、、世界はここで終わるのかという夕焼けのような味がするが、そんなことを言っているとキャビアがたっぷりと乗った甘鯛との冷製カッペリーニが出てきて、脳の血管が弾けそうになる。 そして、この日の驚くべき鮎。ああ、、、、、なんと清涼なことか。6時間コンフィにしたというそれに添えられた、青トマトと蓼のソース。蓼の独特の味わいが清涼な川の流れを想起させる、鹿児島の限界集落の向こう側の香り。瑞々しく美しく、極彩色の原色な、夏。 サマートリュフ。南半球の。そこには濃厚な味わいを放つオマールエビがたっぷりと隠れている。凄まじい味わい。スロベニアのソーヴィニヨンヴラン。フリウリあたりの濃厚な、独特の香りを持つ濃い味。羊の炭火ローストに根セロリ。ことごとく楽しい素材感で、飽きさせるところはない。 最後に、空輸されてきたフレッシュポルチーニ、、、、、肉厚のそれ、、、、タリアッテレ、、、、!!! 誘惑と恐怖とはないまぜで隣り合わせである。何も知らないできたらもう、覚悟しかない。稜線すれすれを走るようなヒリヒリ感を感じていたら、最後にペルシュウアゲインで完全に打ちのめされる。パインとパッションフルーツのソルベ、、、、 ミシュラン星一つといってもその差は凄まじい。さすがというか、すごい満足感だ。トムクリオーザはペルシュウが有名だが、そのほかも全てがそれとがっぷり四つである。

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愛知県

イタリア料理

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【 ヴィエ・ディ・ロマンスの会 】 スロベニアとの国境にほど近い、フリウリの丘陵地帯にそのメゾンはある。北イタリアの至宝と言われる白ワインは鮮烈だ。5Lのマグナムボトルから注がれる黄金色の液体を口に含むと、ドロミテ渓谷から流れてくる涼冷な風が、垣根作りの畑を吹き抜ける香りがする。それがヴィエ・ディ・ロマンスのシャルドネだ。凝集された果実味は紳士的で、素直で余計なデコレーションがない。シンプルで実直なる農業の産物である、とそのワインは言う。 柳家のイタリアンの個室には、沢山のグラスが美しく並べられている。ヴィエ・ディ・ロマンスの会は、北海道産ウニのカッペリーニから幕が開けた。実は、北海道の南端とフリウリの緯度は丁度同じだ、とソムリエが言う。私はシチリア名物の、ウニのパスタのことを思い出していた、タオルミーナという美しい断崖絶壁の街の名物だ。 料理もワインも、そのどちらも”土地”を知っている方がさらに味わい深いと思っている。風景が異化する話を少し前に書いたが、これはワインの特性なのかもしれない。果汁を圧搾するという、極めて土地の個性が反映される酒でもある。ここは、名古屋であってフリウリでもあるのだ。私のイタリアで過ごした幾ばくかの記憶は、味の構成要素の一部を支える、知識による肉付けとなる。 ワインは土着品種のフリウラーノが注がれ、続いて、ピノグリージョの飲み比べとなった。ヴィエ・ディ・ロマンス2019のものと、テルチッチの2017。同じフリウリで同じぶどうの、そこにある明確なる差を楽しんでいると、この日最も印象的な一皿がサーブされた。 ヴェネト産白アスパラゴ、ホタテのカダイフと生ハム、サマートリュフ。 私はヴェネトでアスパラを食べたことがないが、そこは一時期、足繁く通った町である。この季節のドイツといえば、出荷禁止時期を開けた”シュパーゲル”がそろそろ町のマーケットに出て来る頃だろう。人々はその解禁日を待ち望み、良い白ワインを買い寝かせ、その日を楽しみにする。ドイツより南に位置するヴェネトでは、少し出荷時期が早いのであろうか、ヴェネトの北、パッサーノデグラッパは、グラッパ以外にもこの、シュパーゲルが名物なのだ。(そして、ディーゼルのデニムも有名である) そうした夢のような一皿がふるまわれ、ワインはソーヴィニヨンヴランの2019と2009の飲み比べ、という垂直に、平行にと自由に行き交う。封じ込められているのはテロワとそれに付随する時間軸だ。桜エビ、そしてウサギ。 最後に抜栓された白ワインは、ドゥトゥン。ラベル違いからスペシャルキュベであることが明示されている。なるほど、これは最初に飲んだシャルドネと、先のソーヴィニヨンブランがそれぞれ50%のアッサンブラージュだった。 これは、完全にソムリエの勝利であり存在価値であろう。これだけの構成をするのに輸入元もかなり頑張ってくれました、とのことだが。我々はヴィエ・ディ・ロマンスの核心を体感しているのだ。様々な方法で立証されていくのは、現当主であるジャンフランコ氏の人そのものである。 この会を開いてくれた友人は、大阪の当時カンティネッタバルベーラの森ソムリエがジャンフランコ氏と親交が厚く、一度飲んで完全に惚れ込んでしまって今に至るのだそうだ。私の大好きなワインをみんなが好きになってくれると嬉しい、と話してくれた。この、森ソムリエこそ現、森サンジョベーゼのソムリエであり、イタリアワインの普及に尽力されている方である。 今は作られていないピノネロ、そして最後にルーチェのマグナムボトル。イタリアの現代的象徴、スーパータスカンが抜栓され、テーブルの上はそれはまるでイタリアの、何かとても良いことがあった日のホームパーティのようだな、と思った。

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【 薄っぺらなコンセプトとは本気度が違う 】 昔ラスベガスによく行ってた頃、お気に入りのアートホテルがあった。そのロビーバーがあまりに美しく、徹底的なゴシックホラーテイストであり、ベガスの一夜を彩るのにこれほどしっかりと作り込まれたインテリアは他になかった、ラスベガスブルバードにあるハリボテとはわけが違うのである。 あの、素晴らしいホテルを思い出した。僕らはこのホテルのサウナがサウナシュランというランキングにおいて、3年連続全国1位で殿堂入りした、というのを見るために泊まりにきた。前回武雄訪問時に、”想像を絶するほどいい”と聞いていたからだ。 特徴的な御船山の麓にホテルはあって、まず最初にラグジュアリーホテルではエリア随一の竹林亭が見える。もう少し上がっていくと古ぼけたエントランスが見えるが、いらっしゃいませ。と先ず、その扉が開いて驚く。一面暗闇の中に明滅する無数のランプが、完全に外界とホテルとを遮っていた。もはや、一種のトランス状態であり、世界が一瞬で反転するような感じだ。 それでもまだ、ホテル内にある5つの作品もお楽しみください、というのを全くといいほど理解していなかった。僕らはロビーの最初の作品をどちらかというと”一番いい作品であろう”と勝手に思っていたのだ。 現実はそうではない。それは全くただの導入部分であり、とにかく僕らは廃墟エリアの作品群に立ち会って、これは大変なことになっていると思った、多分チェックアウトまで相当時間が足りないことを感じた、というわけである。 部屋もきっちりと改装されており、破綻がない。夕食の料理も、地産地消で、ありきたりなメニューでもないし、ちゃんと工夫が凝らしてあって、素材感を際立たせるし抜け目がないメニューで佐賀の酒が進む、要するに鍋島など、である。 そしてこの圧倒的なサウナ、、、。サウナというかスパ施設なのだが。これはもう入った人にしかわからない凄みというか、圧倒的な美しさと快楽を完璧にデザインされた空間に落とし込んであった。 このホテルがすごいのは、よくモダンホテルにあるどこかの歪み、というか、デザインしきれていない部分というか、そういう隙が一切感じられないところだ。いや、そういうホテルはあるのだけれど大抵価格に見合わない、場合が多い。写真映えばかりで実際にはスペースの取り方が狭くて安っぽいだとか。 そういう部分を一切感じることがない。ただひたすらにラグジュアリーだが、1泊2食付きでも全く高価ではないのが凄い。こういうホテルは止まらないとその素晴らしさが全く伝わないと思うが、とにかくこの”らかんの湯”にある薪サウナの気持ちよさは圧倒的に時間の感覚を狂わせるし、チームラボの巨大な作品群は、世の中にあるアートとホテルの融合のそのほとんどを笑い飛ばしてしまうほど、現実的に圧倒する迫力を持って僕らを魅了する。 これほどのホテルには、なかなか出会えない。 これが本当のアートホテル。チェックインからチェックアウトまで、もう勝手にスケジュールがぎゅうぎゅうになってしまほど滞在が楽しいが、それでも僕らは有名な喫茶室、にまでは辿り着けなかった。 ミシュランガイド福岡佐賀2014においてホテル部門で4パビリオンなのだが、実はサウナ施設は2021年にさらに拡大してこの、凄い薪サウナが出来上がったのだ。まさに私から言わしてもらえば”わざわざ出かけてそれ自身が目的地となりうる”素晴らしいホテルである。 これほどの湯屋には、なかなか出会えまい。

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北海道

寿司

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【 創業80年を超える老舗の寿司が。 】 もうすぐ創業90年にもなろうとする老舗であって、そこには頑なに守らねばならぬ味もあるはずであろうとおもっていたが、この寿司は、どうだ。 なんという現代的な料理であろうか。三代目は笑いながら「握り寿司の歴史自体が浅い」と言った、確かに全くもってその通りである。一つ目の鯛の握り。我々関西人は鯛の味にうるさいのは、瀬戸内や明石の海域の鯛の質が非常に高く、その他のものを食べるとどうにも、味や食感に劣るのだが。 目が覚めるような鮮烈さだ。それは、見た目の美しさ通りの。あまりにも美味いので「あまりにも美味い、これは、、、、」と声が出た。大将は、「3日間かけて皮目を下にして、そこにじっくりと旨味を移すんです、その皮目を本当にさっと炙ったものです」と言った。 いわゆる仕事がしてあるネタである。ただ一律してそれぞれに熟成を重ねましたであるとか、そういうことではない。熟成したから美味いのではなく、もっと原点に立ち返って、その素材がどのようにすればもっと上手くなるかをずっと考えていて、それを何度もトライとエラーを繰り返した今日の寿司、である。 ヒラスズキ。7日間雪に突っ込んでいたという。雪の中は7日間、ブレなく0度に保たれており、サーモスタットでオンオフを繰り返す冷蔵よりも温度管理として適切である、ということだ。北海道、札幌の冬ならではのヒラスズキの、強い甘味とふくよかさ。2カン目で、私はこの寿司の虜となった。 私が頼んだのはお任せ12カン、4400円だ。このお店に行くなら是非とも、お任せを頼んで欲しい。とにかく、ゆっくり食べなければもったいない、一つ一つへの仕事がたくさん施されており、そういうのを感じて、紐解いてゆくのが楽しみでもあるだろう。 三つ目のホタテ。手で割いている。包丁で切ると金属の味が移るのだそうだ。さて、この手のお寿司は私の最も好みとするところである。一つ一つが論理的かつ、新しい試みが加えられており、これほど食べるのが楽しいお寿司もそうはないだろう。ぶどうのツルやくるみ、漬けの方法の革新的手法、食感の振り幅の魔法。ネタバラシを全部してもしょうがないので、あとは食べて、楽しむべきだと思う。 とにかく、これだけの老舗でありながらこれだけ自由な寿司を握り、かつ、それが素晴らしく寿司として昇華されておりまた、纏め上げられていることに感銘を受けた、寿司は、料理だ。そして、これだけの寿司がこの価格帯で出てくることにも驚きである。札幌で寿司を食べるなら、ぜひ一度はこちらのお店に出向いていただきたい。 とにかく、これほど個性的な寿司を食べたら、私は他でも食べようとおもっていた寿司がどうでもよくなってしまった、確かに有名な1500円でお値打ちだとかそういう、札幌っぽい寿司屋のランチはたくさんあるのだが、絶対的に満足度が違うことは明白だからだ。 道外の人を相手にしているわけではないので、道内のネタは3-4割ぐらいですよという。要するに、地元の客がついて離れないということである。 サロマの汽水の牡蠣。86度のミ・キュイで生の食感を残しながら澄み渡るクリアな味わいに仕上がっている。あまりに素晴らしい出来栄え、技術に私は、ため息を漏らす。 私はバスクにある三ツ星レストランで牡蠣のミキュイされたものを食べて自分でも再現したことがあるのだが、要するにその解説(三つ星レストランなのでレシピを公開している)の通りの瞬間加熱をしたとて、実は同じ味にならない。当然そういう単純なものではないのだ。 随分とトライアンドエラーをね、なんども何度も繰り返してきましたからね。と三代目は言った。

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愛知県

バー

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【 アシタの、残像 】 「今日は予約でいっぱいなんです」と断られた。 お店の前を通りかかった時に客が一人もいないのでてっきり、入れるものだと思っていた。お店の前には興味深いワインボトルが転がっている。すでに夕ご飯を済ませた私は、ワインを飲むのを楽しみにしていたし、自分の舌が、他のものに切り替わらない。ネットで検索をしてみるものの、いまひとつピンとこない、全てが。 なのでもう一度、お店の扉をあけて店主の方に「すいません、この辺りでどこか、こういうワインを飲めるお店をご存知ないでしょうか」と、忙しいのに申し訳ないが、訪ねてみる。 やはりあまりぱっとした答えが返って来ず、、、、そこでぽろっと、私が、私の友人がよくここで飲んでいるのをSNSで見ていたのでとこぼしたら「なんとかしましょう、この狭いスペースでよければ。」と言ってくれた。スペースなんぞ、無くてもいいぐらいである。なぜなら、このお店には、ここから半径いくばくかのキロメートルを検索したとて、飲めないであろうワインがあるからだ。 かくして、私はこのお店で本当に白を2杯ぐらい飲んで終わりにしよう(ご迷惑をおかけするのも忍びないし)と思っていたのだが、あまりに素晴らしく終わりにすることができず、結局最後の客となってしまった。なるほど、彼女がこのお店を本当に大切にしているのがよくわかる。 彼女とは4年前に柳家であった。それはある意味食の欲望の強い人たちの集いであり、私も紛れていた一人であったし、彼女もまたその一人であった。きっと”柳家とはいかなるものか”という興味の一点だけで、見知らぬ人の中に飛び込んできたのだろう。 そういった人が、足しげく通うワインの立ち飲みバーであるとすれば、それは俄然私も興味深いし、そしてそれはおそらく、私の想像以上に居心地がよく、ある意味最高のおもてなしと歓待を受けたのである。 オーナーソムリエの木元氏、あだ名はジョン。気さくで、実直。ワンオペでこの1Fの立ち飲みと2Fのテーブル席を仕切っている。ので、大変である。狭い階段を上り下りしながら。私は上機嫌で彼女にメッセージを送る。 「本当に最高のお店だね、そして、本当に満席で、ワンオペすごすぎる」 「そうそう、ワンオペでワーーってなっているのを眺めながらよく飲んでるんですよ、ジョンさん最高ですよね!」 「うん、本当に、最高だ。」 「食事もね、最高なんです。」 「うん、キッシュを頼んだんだけど、これはすごい出来だ」 彼女も、この位置でこうしてよく飲んでいるのだろう。そうこうしてメッセージをやり取りしながら飲んでいるうちに、隣の人と話が弾んだり、奥の人と話が弾んだり。結局最後は、1Fの全員が色々話し出したりして。ああ、いい。本当にいいバーだ。こんないいバーが、新幹線の発着する名古屋駅の、しかも新幹線側にあるだなんてね。 店名のashitabaの由来を最後に聞いた。それは本当にゲラゲラ笑ってしまうくらいいい加減な事でついた屋号で、それをそのままジョンさんは使い続けている。 今日はキャンセルが出てどうしようかと思ってたんだけど、結局また予約が入ったりで、満席でしたよかった、とジョンさんは言った。そりゃあ、こんな素敵なお店、満席にならない方が、おかしい。 発光体、か、、、、、。 ーーー ベリーA 発光体  2021 ーーーー 種類:赤 生産者:レヴァンヴィヴァン 生産国:日本 長野県東御市 品種:マスカットベーリーA(山形県産) 醸造 :野生酵母、亜硫酸無添加 無補糖、無補酸、無濾過、無清澄 このワインは10月12日に仕込み始めました。ベリーAの中にガメイを見たあの日からボジョレーヌーヴォーと同じ造りでベリーAのヌーヴォーを造ってみたいという思いがありました。幸いボジョレーの造り手の元で勉強できる機会を得て、ようやく実践できることができました。出荷日が決まっているボジョレーヌーヴォーを短期間で毎年しっかりと仕上げてくる造り手たちには本当に頭が下がります。尊敬しかありません。そんな彼らに敬意を示した1本です。 ーーーーーーーーー 翌日、彼女からメッセージが届いた。それは添えられた言葉が一切ない、一枚のワインボトルの写真だった。 レ・グランド・ザット アレクサンドル・バン 2018。ソーヴィニヨンブランとは思えないほど味わい深いそれを、彼女も楽しんでいるようだった。

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富山県

ワインバー

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【 富山のサローネ、或いは文化センター 】 アルプは静かな裏通りにひっそりと存在した。が、扉を開けるとほぼ満員の熱気である。手前のバリックテーブルでは二人の男が立ち飲みをしている。狭いけどカウンターで、と通してもらえた時点で、満席となった。 さて、どうだこのワインバーの格好良さは。もう非の打ち所がなくかっこいい。店の程よい狭さ、カウンターの席数、その奥にあるカチッと作られた、ターンテーブルとミキサーを収納する家具、そしてしっかりと回されてゆくレコード。 ワインはナチュール。フランスで醸造の経験もあるザックさんがお店もレコードもクルクル回す。その、きちんとひとつひとつ、選ばれてゆく音。確かにこの店内を満たし埋める、JBLのスピーカー。 これはパリか。パリのシテルージュあたりの、モデルがゴロゴロいるような粋なワインバーとか、ああいった感じの。完全に文化として成り立つこの空気。 入店してから退店まで、ずっと私はこのお店の全てにメロメロにされていたのである。私たちの街にこんなお店がなくてよかった、あったら嫉妬でおかしくなるか、毎夜ここで過ごして自滅してしまうだろう。 イタリアの太陽のように真っ赤なビアンコ、ピエモンテ、トリンケーロのアユートから始まった宴。美しいタスカンの目が覚めるような味わいに、ジパニーズシンクロシステムのハイタッチ。 サントスが必ず頼んだ方がいい、と言ったビターなプリンと共にある貴重な、文化遺産。緩やかにほぐれてゆく時間の豊かさ。気がつけば、12時という具合だ。 富山の名店。なるほど、富山とは交易の港があり、収入高く、幸福度が高い街である。そういう街だからこそ、こう言った文化を理解する人間がおり、夜毎にそのサロンは開かれるのだ。 ワインは1人で飲むな、とは誰が言ったか。抜栓されたそれらをシェアしてゆくワインバーならではの面白さは、インテリジェンスであり、全ての客を疎外感なく包み込んでゆく不思議な力がある。

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大阪府

スペイン料理

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【 おいしいもの 】 娘と行く店について考える。美味しいものってなんだろう。それは人それぞれの中にあるものだけれど、共感を促すような装置である方がいい。前回はフレンチだったが、意図や本質が見えにくい料理だった、それが提示するズレというか、そういうところも理解はもちろんできるのだけれど。 食育であるならばもっとストレートで、わかりやすい料理がいいだろうと選んだのがアサドール、いわゆるバスク料理の中でも窯焼きをメインとするお店である。昨日たまたまホリエモンのエントリーを読んでいて、今年の6月ごろにエチェバリを訪れていた。世界ベストレストランで3位につける、バスクにあるアサドール料理店。スーシェフは日本人、という店だ。アサドールといえばエチェバリ、ぐらい有名になったので、私はそのお料理を楽しみにしていた。 チャコリ。オンダラビアスリを醸した酒のエスカンシアからスタートして前菜。シェフ出身の糸島のものがあしらわれている。季節感たっぷりにイカやウニ、コーンにワタリガニ。自家製のロースハムに茄子やピスタチオ。シェフはワインが有名なリオハで学んできたらしい。リオはは、バスクにほど近く料理も似ているのだという、まさにその通り。 スペイン料理という大きな括りの中にある、バスク料理のストレートな旨さ。ただし、それは退屈ではなく、新鮮な驚きをどこかに隠している。ガスパチョなんかは見た目はトマトだけれど、味わうと実に深い。聞けば、様々な要素を介入させてバランスを取っている、野菜だけで10種類は入っているだろうか。乳化はパンを使った、チーズと桃。スペインの夏。 白アマダイのサルサベルデ、アスパラガス。バスクの伝統料理。うろこの一部をピンセットで抜いて食感をよくするといったことをさらりとやってのけている一皿。手間がかかっている。 次に伝助アナゴ。太い。マデラ酒で。崩すと鮮やかに隠された赤や緑が混じる。見た目にも美しい。 そう、魚がふた皿連続で出てきたのだ。これは楽しい。次に小猪、岡山のもの。皮目がパリッパリで、そこに脂が乗ってきてる。これはすごい味わい。じっくりと釜で長時間加熱されたそれの、緋色の肉の味わいがビネグレットとスパイスでさらに厚みを増している。釜は既製品をま改造したものらしい。 鹿児島の牛。完璧な焼き加減。これ以上ないほどシンプルなメイン。最後にワタリガニがゴロゴロ入った炊き込みご飯。お代わりもできる。 デザートのチーズケーキがドロドロで、ラビーニャのチーズケーキを思い出す、チーズは5種類ほどを混ぜているのだとか。 娘と行く店について考える。カウンターに座り料理を見ながら、シンプルに調理された、しかしよく仕込まれたそれらを食べながら話をする。奇をてらわない、そしてストレートで素直な美味しさ。わかりやすい、ということはいいことだ。娘にとってのスペイン料理のスタンダードの一つにアサドール。スペイン料理とは、パエリヤやオムレツや、生ハムが本質じゃないんだよ。