南 たすく

南 たすくさんの My best 2020

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東京都

コーヒー専門店

南 たすく

珈琲とチョコレート「蕪木」。 店主は、珈琲焙煎師、そしてチョコレート技師。 珈琲、カカオ、チョコレートの研究・開発・指導に携わって来られた方です。 2016年11月7日、鳥越の工房兼喫茶を開店。 2019年3月12日の営業をもって、鳥越の店舗を移転のため閉店。 2019年12月18日、三筋にて、営業を再開されました。 鳥越のお店も、何度か訪問させていただきました。[2017/05/13投稿] お店の在りよう、店主の姿勢に、深い感銘を受けました。 期待の新店舗です。 オープンを、心待ちにしてきました。 新店舗は、期待を凌駕する完成度でした。 梅森稲荷の向い。 年季の入った古い店舗建築。 そこに、手を入れてあります。 以前は、シャッターがあった箇所。 そこに、開口部を設け、奥は壁となっています。 開口部の右手前に、小さな表札。 「蕪木」。 開口部の左手奥に、古い椅子。 その足元に立て掛けられた、小さな小さなプレート。 「珈琲チョコレート 営業中」。 そこがいかなる場所であるかを示すものは、それだけです。 「蕪木」の存在を知らなければ、開口部に足を踏み入れ、プレートを覗き込むことすらできないでしょう。 歩み寄って、「営業中」のプレートを確認。 すると、自然に、右奥へと延びた、薄暗い空間へと目が行きます。 そして、歩み寄るまでは見えなかった場所に、重厚な扉が出現しています。 1階は、工房と、レジ。 大きなロースターが据えられています。 案内に従って、2階への階段を登ります。 廊下があって、そのまた奥に、再び重厚な扉。 開くと、喫茶室。 店主が丁寧に出迎えてくれます。 店主とスタッフは、黒いゆったりとしたシャツを着用しています。 すっきりとした、清廉な空間。 必要なものだけが、あるべき場所に配されています。 白壁で、一切の装飾がありません。 白い塗色に残る刷毛跡は、意図して残されたものでしょう。 重厚で、奥行きがあるカウンター。 カウンターの向こうは、客側より一段低くなっています。 その高低差も、計算しつくされたものと感じます。 グラスに入った白湯が差し出されます。 メニューを拝見。 「無垢チョコレート」(200円)4種から、「かもがや」をチョイス。 これに合うブレンドコーヒーもお願いします。 「羚羊(かもしか)」(700円)とのことでした。 ブレンドコーヒーは、3種。 ブレンドの豆は、それぞれカウンター上に置かれた金・銀・銅の茶筒に入っています。 豆を木皿に取り出して、視認し、香りを検分。 電動のミルを回します。 ネルを布巾で叩き、ドリップ作業へ。 コーヒーをお客に差し出すまでの一連の所作。 無駄なく、淀みなく、繰り返されます。 繊細で、優雅。 茶道のお点前が、想起されます。 大倉陶園のカップ&ソーサー。 先日訪問した神田の老舗喫茶店「ショパン」も、大倉陶園でした。 カップを満たす「羚羊」は、深煎り。 芳醇な薫香、濃厚なコクと苦味を持つと案内されています。 すーっと喉を通り、余韻が広がります。 傍ら、金色の小皿に、さりげなくチョコレートが3片。 「かもがや」は、ナッツのような香ばしさと果実味とのご案内。 舌に載せ、口腔に挟み込むと、ゆっくりと溶けだします。 その移ろいを愉しみます。 3片あるチョコレートの合間に、コーヒー。 冷めていくとともに、コーヒーの味わいも変化していきます。 席を立ちます。 店主から、またしても丁寧なご挨拶。 レシートを渡され、1階での清算となります。 レシートは、くるりと丸めて、銀色の輪に嵌めてあります。 仮に、長年放置されたあばら屋があるとします。 朽ちるのを待つばかり。 そこに、茶人がひとりやってきます。 一輪の花卉を置きます。(花束であったとしたら、華美に過ぎまます) その瞬間、あばら家が茶室へと変容します。 ただ古いだけだったものが、おもむきを放ちます。 そんな場所です。

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そば(蕎麦)

南 たすく

オジサンが、駅の出口に仁王立ちしている。 がっしりとした体格。 振り上げた両手を握りしめている。 でも、表情はにこやかだ。 綿入れ半纏。 角刈りの頭に、ねじり鉢巻きが、きりりと決まっている。 「今日も元気でガンバって参りましょう!」 駅を出て、職場や学校へと向かう人々を、大きな声で励ましている。 冬の朝。 場所は、浅草橋駅の東口だ。 どうやら、この駅の日常であるらしい。 若い女性ですら、恐れる様子はない。 むしろ、自ら拳をあげて、オジサンと拳を合わせている。 オジサンは、「ガッツ!」と、にこやかに声をあげる。 その浅草橋駅東口を回り込んだ高架下。 「ひさご」は、小さな「立ちそば」店だ。 私は、旅の終着点に辿り着いたような心持ちだ。 「暗黒醤油」とたとえられる下町の「そば汁」を求める旅だ。 神田須田町の「六文そば」に始まり、岩本町の「スタンドそば」、東神田の「そば千」。 そして、台東の「川一」、同じ浅草橋の「野むら」から、此処へ。 位置関係を思い浮かべていただくと分る。 中央・総武線各駅停車の鉄路に沿って、秋葉原から浅草橋へと向う旅。 その短い距離を、年月をかけて、「ひさご」へと進んできたのだ。 女将さんの先代が開いたお店。 前の東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年にはオープンしていたという。 「立ちそば」店として、都内最古参の1つであることも、旅の終着点を実感させる。 大将は、手も動かすが、口も達者だ。 この方が、名物大将の「八ちゃん」だ、と嬉しくなる。 今年のオリンピックに向けた、浅草橋駅整備の話しをしている。 と思うと、そこから唐突に、秋元議員のニュースへと話しは飛ぶ。 常連さんも、新規さんも、わけ隔てない。 話しの途中で、新たに入ってきたお客も、出ていくお客も、お構いなし。 誰彼なく、にこやかに話し続ける。 「八ちゃん」と、お客との距離感は、とんでもなく近い。 それは、ガッツオジサンと、浅草橋駅利用者との距離感のように近い。 「天ぷらそば」370円に、「玉子」50円を載せてもらう。 二階への木製階段下に、古い製麺機が置かれている。 毎朝、そばとうどんを、粉から練って、製麺している。 早朝なので、茹でたて。 柔らかく、優しい麺だ。 ツユは、かつお節などを丁寧に引いた出汁に、濃い目の返しの「暗黒醤油」。 優しい甘みが、冬の朝の枯れた喉を潤す。 天ぷらは、干しエビが入ったかき揚げ。 これもカラッと揚げたてで、そのままでも、ツユを吸わせても美味い。 ツユまで完食。 それを見せて、「オイシかったです」と丼を返す。 「八ちゃん」と女将さんの笑顔に、元気をもらって店をでる。 ガッツオジサンも、一緒に背中を押してくれているようだ。 (アッ、完食の証拠、空の丼画像を撮り忘れた) 追記:後からネットで調べてみました。 ガッツオジサンは、「おさかな本舗 たいこ茶屋」の大将。 週1回ほど、朝ガッツ活動を続けておられるそうです。

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喫茶店

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【昭和オジサン放浪記】 一人前のムサイ=オジサンたる者、新橋駅の西側に降り立ったら、「ニュー新橋ビル」に立ち寄らねばならない。 それができなきゃ、まだまだワカイ=オニイサン扱いされてしまう。 (東側なら、「新橋駅前ビル」ね) なんったって、オジサンのためのビルだ。 だから、土曜日の昼ともなれば、大半、ど~んとシャッターが降りている。 半ド~ンってね。 オジサン、今日は、地下の「喫茶フジ」にレッツラゴー。 あっ、きょう日、「半ドン」とか「レッツラゴー」って言わないよね。 「フジ」は、イイネ。 なんったって、日本一の山だからね。 ドンピシャの昭和感。 壁一面の富士山が、バッチグー。 大きいことはいいことだ。●永 エー●チョコレート、っとくらあ~ あっ、きょう日、「ドンピシャ」とか「バッチグー」って言わないよね。 オジサンビル……じゃなかった、「ニュー新橋ビル」は昭和46(1971)年竣工。 そして、「喫茶フジ」も同い年。 49歳だから、立派なオジサンだ。 オーダー? そりゃ、もう、昭和のナポリタン……って、オヨヨ、メニューからドロンしてる。 ナポリタン食べたい人は、1階の「むさしや」(2019/06/03投稿)に行っちゃうのかな。 あっ、きょう日、「オヨヨ」とか「ドロン」って言わないよね。 気を取り直して、グンバツなのをオーダー。 そりゃ、もう、富士宮焼きそばだよ。 なんったって、B-1日本一の山だからね。 サラダとドリンクのセットで870円だ。 ぷりっぷりの、富士宮やきそば専用麺。 「肉かす(油かす)」だって、ぷりっぷり。 キャベツに、仕上げの青のりと削り粉でパーペキ。 あっ、きょう日、「グンバツ」とか「パーペキ」って言わないよね。 セットのコーヒー、苦味走ってるね。 菅原文太か、渡哲也か、舘ひろしかってね。 カップ&ソーサー、オリジナルだよ。 1,650円で販売してるみたい。 イカすね~。 よく見たら、喫煙ブースできてる! Wi-Fiも、USB電源(一部の席)も! 良いね。 良いことだけど、昭和は遠くなりにけりって思っちゃうね。 ロートルだから。 あっ、きょう日、「イカす」とか「ロートル」って言わないよね。 許してチョンマゲ。 ※私の「MY BEST」は、BESTなお店でなく、私の暴走度ランキングとなっておりますことを、悪しからずご了承ください。

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トルコ料理

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【トルコライス奇譚】 16世紀半ばのトルコ。 スレイマン大帝は、オスマン帝国を最盛期に導いた。 その日、各国から、大帝の元に、多くの食材が献上された。 大帝は、命じられた。 「我がトルコの『ピラフ』を中心に、これ等の食材を大皿に盛り付けよ」 直径が人の身の丈ほどもある銀の大皿が持ち出された。 調理人が、十数人がかりで調理し、盛りつける。 救援要請に応えインド洋に艦隊を派遣した、インドのグジャラート・スルターン朝から貢がれた「カレー」。 インドネシアのスルタンからの要請に応じてマラッカ海峡に艦隊を派遣した経緯により、中国の明王朝から貢がれた「とんかつ」。 プレヴェザ海戦でスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊を破り、地中海の制海権を得たことから貢がれた「スパゲティ」。 大帝は、運ばれてきた大皿をご覧になり、「何か足らぬな」と首を傾げられた。 暫し思案されたのち、はたと思いつかれ、そして命じられた。 「大皿中央、『ピラフ』の山に、我が帝国の旗を立てよ」と。 かくして、大人のお子様ランチ「トルコライス」が誕生したのである。 以上、ウソです。 全くのデタラメです。 何より、イスラム圏では、豚肉を食べません。 「トルコライス」は、長崎のご当地グルメ。 発祥と由来については、諸説あります。 やってきたのは、「長崎トルコライス食堂」。 2018年12月15日にオープン。 フレンチ出身シェフが手掛ける「トルコライス」専門店です。 場所は、秋葉原「CHABARA」。 日本全国の逸品が集められたショップの一角です。 そのため、ここの「トルコライス」には、長崎の食材が集結しています。 オーダーは、「和牛メンチカツが主役のハヤシトルコライス」1,000円。 これを「長崎を堪能できるSET!」としたので、1,500円(税別)となります。 正統派なら、ポークロース、特製デミソース、雲仙ハムカレーピラフにナポリタンです。 でも、長崎和牛「メンチカツ」の誘惑に負けてしまいました。 分厚いメンチカツにデミグラスソースがかかり、その下に、ナポリタン。 メンチカツにナイフを入れると、肉汁が溢れます。 その脇では、バターライスに特製ハヤシソースがかかり、半熟玉子が載っています。 トッピングのチョイスは「長崎名物揚げかまぼこ」。 イカとサラダ揚げの2種。 味わいと食感の違いを楽しめます。 サービスで「長崎じゃがいものポテトサラダ」まで。 正に、大人のワンダーランド。 たまりませんね。 添えられる本日のスープは、「焼あご麦みそ汁」。 「あごだし」は、長崎・五島列島の名産です。 具の人参にまで、旨味が浸透しています。 セットドリンクは、「BANZAIサイダー」をチョイス。 明治37(1904)年)の日露戦争開戦時から約15年間、長崎港近くのレンガ造り倉庫で造られていた幻のサイダーを復刻したものです。 香り高く、清涼感があります。 この日のデザートは、長崎文明堂総本店のカステラ。 ……と思ったら、その脇に、梅月堂の半熟カステラまで載っています。 シースケーキで有名なあの梅月堂です。 こちらのメニューを見ると、長崎の名産品だらけ。 長崎出身者として、再訪確定です。 さて、天正18(1590)年7月21日のこと。 九州キリシタン大名の名代としてローマに派遣された遣欧少年使節が、長崎に帰ってきた。 その際、時のオスマン帝国皇帝ムラト3世より下賜された「トルコライス」のレシピが伝来したことは、知られていない……って、ウソです。 これも、全くのデタラメです。

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ラーメン

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【風魔外伝】 末広町(外神田)に、 風魔の隠れ里があるという。 忍びの心得なくば、辿り着くことはできぬという。 拙者は、「背脂を堪能したいところだが、残念至極」と呟いた。 すると、拙者の影の中から、むっくり起き上がる者がいる。 すわ、「曲者!」 大音声にて、秋葉原内のオタク軍団を呼ばわらんとする。 それを、「あいや、待たれよ」と、押しとどめられた。 「それがし、風魔小太郎と申す。里へ案内せんと、まかりこした次第」 かくして、『背あぶらの里』へと足を踏み入れるに至った。 風魔は、戦国時代、天正年間から歴史の裏で暗躍してきた。 しかしながら、『背あぶらの里』は新しく、2020年4月9日の開闢だという。 「場所は、口外せぬように」と脅された。 匕首を喉元に突き付けられたのだから、剣呑なことである。 ただ、筋違門から、御成道を江戸城外堀に抜けたところだとだけ言っておこう。 券売機の前に立つ。 流石は、乱波集団、風魔である。 「死神」や「蠍」などという物騒なボタンもある。 「死神」は、キャロライナ・リーパー入り。 「蠍」は、トリニダード・スコーピオン入り。 どちらも、激辛の唐辛子である。 「太肉(ターロー)麺」1,030円を所望。 「煮干し」「味噌」「塩」も選べるが、「醤油」を選ぶ。 席に着くと、背脂の量を訊かれる。 少なめ、普通、多め、鬼脂。 鬼と切り結んで、勝てる気がしない。 弱腰と言われようが、「多め」とする。 肉の太さに、おののく。 スープに沈んでいるので、箸で持ち上げると更に驚く。 それが、2個だ。 「風魔小太肉(ターロー)か!」 ネギ、モヤシ、メンマ。 他の具も、たっぷりだ。 麺を引き出して、更に驚く。 黄色みがかった極太の縮れ麺だ。 背脂が絡むこと絡むこと。 太肉が手ごわい。 ホロホロと剥がれて食べやすく、味わいも良い。 しかしながら、量が尋常ではない。 太肉はじめとする具と、麺は完食できた。 だが、背脂入りのスープが、喉を通らない。 背脂ラーメンの魅力は、スープのとろとろとした喉越しだと思う。 なのに、蓮華が進まない。 何とも、不甲斐ない。 あと10年、いや20年若ければと思う。 暫し、放心状態。 すると、ポンと煙が立ち、向かいの席に座る者がいる。 「頭目の風摩(かざま)と申す」 天正年間、風摩一党は、山賊、海賊、強盗、窃盗の四隊、計二百人から成っていた。 その頭目である。 異様な風貌だ。 身の丈七尺二寸(約2.2m)の巨漢。 大きく裂けた口から、4本の牙が突き出している。 「なるほど」と、合点がいった。 これなら、「太肉麺」も一口である。

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埼玉県

定食

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この食堂に、一目惚れした。 だからこそ、この文章を投稿するか否か、懊悩した。 私が、この食堂について、愛おしいと感じているあれこれをそのまま記述すると、多くの方々は、それをネガティブに感じるのではないか、と思ったからだ。 だが、私は、その全てを愛していると断言したうえで、敢えて包み隠さず書き記すこととした。 その敷地は、コンクリート塀と、高い生垣に隠されている。 これを左に見ながら歩くと、通用門らしきものが出現する。 「庭内食堂」の文字。 多くのサイトに、この店名で登録されている。 でも、たぶん、庭の内側に食堂がありますよと言っているだけだ。 入ってみようとすると、扉に「関係者以外立入禁止」とある。 「これは、困った」と更に進んでみる。 すると、塀が終わるところに、やはり「庭内食堂」の文字。 こちらには、「立入禁止」の貼り紙がない。 「しめた」と思い、ノブを掴む……が開かない。 完全に締め切られているようだ。 止むを得ず、引き返し、「立入禁止」のドアノブを掴む。 こちらは、すんなり開いた。 ここは、「さいたま市食肉中央卸売市場」の敷地だ。 多くの業務用車両が庭を埋めている。 作業服を着用した関係者が、行き交っている。 庭内に、実に風合いのある木造の建物がある。 赤錆びたトタン尾根に、塗装の剥げかけた下見板。 建物の端に取りつけられた「でんわ☎でんわ」の看板は、文字がひっくり返っている。 以前は、この食堂にピンク電話が設置されていたのだろう。 アルミサッシに置き換えられた入口に、三つの看板。 「大宮食肉買参事業協同組合」。 「売買参加者休息所」。 そして、「大宮市食肉中央卸売市場 食堂」とあるのが正しい店名だろう。 現「さいたま市」ではなく、旧「大宮市」となっている。 この看板自体、オープン当時からのものだろう。 市場の業務開始は、昭和36(1961)年12月15日。 この食堂も、市場と同じ59歳なのだろうと推測する。 中に入り、ご主人に、市場関係者ではないのですが食事できますかとおたずねした。 快く、問題ない旨の返事をいただいた。 入口脇に、券売機がある。 けど、どう見ても電源が入っていない。 ご主人が、カウンター上のホワイトボードを指さす。 この中から注文するようにとの案内だ。 価格は、どこにも書かれていないが、一律650円とのことだ。 浅学ゆえ、左端のメニュー「回●肉」が読めない。 ●は、金へんに、口と大だろうか? 「鍋」のくずし字だろうと判断し、「ホイコーロー」くださいと言ってみたら、注文が通った。 セルフで、湯飲みに水をとるよう案内された。 ウォーターサーバーが2台ある。 ご主人が指ささなかった方の、入口傍の古いサーバーを試す。 やはり、稼動していない。 勿論、座席脇の新型は問題なく作動していた。 席に座って見回す。 テーブル4卓に、小上がり2卓。 関係者の皆様が、テレビを見ながら、大声で冗談を言い合っている。 壁面の鏡を見ると、「大宮屠場食堂さん江」と書かれている。 店主に呼ばれて、トレイを受け取る。 そこには、「ホイコーロー」一皿だけが、デ~ンと載っている。 セルフで、ご飯と味噌汁を取るよう案内された。 どちらも、食べ放題らしい。 見ると、炊飯器が二つある。 大きな業務用炊飯器を開けたら……空だった。 小さい炊飯器を開け、業務用の大きなしゃもじでよそう。 タイミングにより、炊飯器を使い分けているのだろうか。 味噌汁には、油揚げが入っていた。 「ホイコーロー」を見る。 野菜のカットが、豪胆だ。 断面が年輪状になった玉ねぎが、ゴロリと入っている。 肉の仕入れ先が気になるが、特に説明はない。 食べる。 やはり、そうだ。 白飯を何杯もおかわりする方々向けの、濃いめの味つけだ。 「こうでないとね」と、強く納得する。 ところで、食肉中央卸売市場については、見沼区への移転が予定されているようだ。 「2028年をメドに」と、さいたま市が発表している。 この食堂は、どうなるのだろうか? 最後に、重ねて追記する。 この文面については、愛情故とお目こぼし願いたい。 また、興味を持たれた方あれば、訪問は密やかに願いたい。 ※私の「MY BEST」は、私の暴走度ランキングとなっています。悪しからず御了承ください。

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東京都

コーヒー専門店

南 たすく

【天孫降臨を先導した『神の名は?』】 神代の昔、邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢において、猿田彦命が出迎えた。 それは、猿田彦命と天宇受売命の出会いの物語でもある。 その日、とあるオジサンが秋葉原駅に降り立ったとき、atré1において、猿田彦珈琲が出迎えた。 オジサンは、スタッフのホスピタリティあふれる対応に感じ入った。 atré1は、秋葉原駅の電気街口、高架下にある。 南へ出ればラジオ会館等、北へ出ればUDX等に続く立地。 常に、アニメやゲームとのタイアップイベントが行われている。 ガラス面には、そんな画像が溢れている。 atré1及び猿田彦珈琲のオープンは、8時。 若干早く着いたオジサンは、天岩戸……じゃなかった、atré1の扉の前で待つことにした。 すると、それに気づいた女性スタッフが、招き入れ、オーダー方法を案内してくれたのだ。 案内により、「すぐでるコーヒー(モーニング)」340円と「チョコチップクッキー」250円をチョイス。 割引が発生するらしく、支払いは580円となった。 「すぐでる」とは言っても、きちんとドリップされている。 そして、もちろん、スペシャルティコーヒーだ。 それはもう、バランスがとれていて、ふくよかな美味しさだ。 クッキーの味わいにも、優しさが感じられる。 テイストといい、スタッフの対応といい、オーナーの姿勢が徹底されていると感じる。 「たった一杯で幸せになるコーヒー屋」がオーナーの信念。 店頭に置かれた本に、オーナーの笑顔。 タイアップしたジョージアのテレビCMで拝見したあの笑顔だ。 猿田彦珈琲は、平成23(2011)年6月8日オープンの恵比寿本店が始まり。 「アトレ秋葉原1店」は、2019年6月27日のオープン。 伊勢神宮の隣にある「猿田彦神社」から、名前をいただいたとのこと。 ロゴマークをデザインしたヒロ杉山氏の提案だ。 「猿田彦」と言えば、思い出されるのは手塚治虫の「火の鳥」。 異なる人間であるにもかかわらず、黎明から未来まで、いかなる時代にも登場してくる猿田彦。 それぞれの強烈な個性と、才能と、生き様に感動したものだ。 特に「鳳凰編」の我王(=猿田彦)は、強く記憶に残っている。 そして、今の時代。 「猿田彦」は、ちゃんと存在している。

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カレー

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あっ。 ちょっと待って。 1枚目の画像で、この投稿をスルーしないで。 貼り間違えました。 2枚目の画像を、最初に貼るはずだったんです。 こちらの店主さんがね、彫刻家オーギュスト・ロダンの大ファンらしいんですよ。 そんなことを「考え」てたらね。 間違って、「考える人」を貼っちゃったんですよ。 上野国立西洋美術館の庭園にあるやつです。 「ロダン」の店舗があるのは、上野じゃなくて、八丁堀。 2008年3月1日のオープン。 オープン当初は、「手造り創作 カレー堂」という店名でした。 2011年に、現在の店名となっています。 板張りの外観からもう、たまらなく魅力的。 「創作カレー」と書かれた黄色い提灯も良いですね。 店内には、キース・ジャレットのピアノソロが流れていました。 「2種盛りカレー」1,600円と、決めてきました。 でも、どの組み合わせにするかで、暫し「考える人」。 一つは「特製ロースカツカレー」を。 すると、2種盛りの場合、健康への配慮から「赤身肉」となるとのこと。 迷いに迷ったもう一つは、「グリーンパクチーカレー」としました。 「カツカレー」の特製ソースに描かれた前衛的曲線が、印象的。 濃い茶色のカレーに、鈍い黄色の取り合わせが美しい。 「カシューナッツソース」で描いてあるそうです。 コクのある「欧風中辛」カレーです。 確りスパイス感もあります。 赤身カツ、燻製卵の半割、馬鈴薯の半割。 卓上のシュガーポッドに、福神漬け。 欧風カレーの伝統を踏まえた組み合わせですね。 これが、それぞれに美味い。 これに対し、「グリーンパクチーカレー」は「タイ式大辛」。 オーダー時に迷ったのは、私が辛さに弱いから。 でも、食べてみたいという誘惑に抗えませんでした。 パクチーに加え、小エビとチキンが入っています。 一口目から、ガツンと辛い。 レモングラス、バイマックルー、グリーンチリ等が入っています。 「グリーンカレー」があまりに辛いので「カツカレー」が救い。 「カツカレー」もスパイスが効いてるんですが、「グリーンカレー」の後なら救いとなります。 「辛い」「美味しい」「辛い」「美味しい」……「辛い」「美味しい」 気が付くと完食です。 なになに、辛さにヤラレて「最後の画像も貼り間違えてるぞ」って。 いや、「カレーの市民」画像は、意図的に貼ってみました。 カレー好きなもので。 あっ。 ちょっと待って。 カレー違いだからって、呆れてタイムラインに戻らないで。 せめて、「いいね」を押してって~。

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居酒屋

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【朝日はまた昇る】 また、やらかしてくれました! 「良心的な店 あさひ」は、センベロの人気店だったお店。 店主は、会って実感していただくしかないほど個性的な方。 十代の頃から様々な職を転々としてこられたそうです。 お店を構えてからも、次々とチャレンジされる(やらかす)方です。 1998年のオープン当時、「あさひ」は、ボロボロなお店でした。 2016年2月、唐突に閉店。 完全閉店だと、誰もが思いました。 ところが、2016年7月25日、シレッと、リニューアルオープンします。 建て替えし、小奇麗になっていました。 2018年1月、唐突にランチのラーメン300円を始めます。 食べてみると、ナナナンと、インスタント。(2018/01/30投稿) これが、また、それなりに人気だったりしました。 2019年5月、唐突に業態変更します。(2019/05/24投稿) 多肉植物を取り扱う「グリーンあさひ」というお店。 その後、いつの間にか、金魚も扱い始めていました。 2020年3月、気が付くと、「立呑み」ができるお店になっているではないですか! 射的 ?円 金魚すくい 和金100円/流金300円 立呑み サワー160円/樽生180円(当時) でも、私は下戸なので、店内に入れません。 そして、2020年5月、というか、今日のこと。 お店の前を通りかかると、こんな手書きボードが出ています。 「コーヒ 焼きそばセット 500円」 一方、多肉植物や金魚は、現在、展示のみで販売されていない様子。 これは、中に入ってみるしかありません。 コロナ対策で、扉は開放。 カウンター席に改装されています。 でも、ガンダム等の自作フィギュアが飾られた棚は、健在です。 「焼きそば」は、塩味。 これでもかとモヤシがたっぷりで、肉だって入っています。 上部には、半熟の目玉焼きまで乗っています。 「コーヒ(コーヒーではありません)」は、エスプレッソとのこと。 カップの趣味が、ス・テ・キ。 昼呑みも可能とのこと。 店内には、おつまみメニューも貼りだされています。 「焼きそば」は、300円……。 ちょっと、ちょっと、ちょっと! 「コーヒ」は、150円ですよ。 で、セットは500円……。 これは、オイシイ。 いや、味ではなく、値段設定がネタとして、オイシイ。 私は、ニンマリ笑って、500円をお支払いしました。

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割烹・小料理屋

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【夢うつつ幻のサバ味噌煮】 神田明神下「あさ野」。 昭和3(1928)年創業の割烹・小料理屋。 創業者は、現女将さんのお母さん。 現女将さんも83歳ぐらいになられているはずです。 「サバ味噌煮」が「あさ野」の人気料理。 ある日、それを調理していた板前さんが、くも膜下出血で急死されます。 女将さんは、常連客に味を確かめてもらいながら、1年がかりで、その「サバ味噌煮」を、再現されました。 「あさ野」のランチ営業は、火~木の週三日で、11:30~12:30の一時間だけです。 そのランチに、月2回だけ、「サバ味噌煮」が登場します。 ありつくためのハードルが高くなるのも無理ありません。 この「サバ味噌煮」、煮込むのに10日もかかるのです。 ランチのメニューは、「魚定食」のみ。 そして、お客は、常連さんばかり。 引き戸を開けて暖簾を潜ると、みな黙って、カウンターに着席。 L字カウンターの角にある大皿から、好きな副菜を小皿に採ります。 女将さんが、お茶、ごはん、味噌汁、そして、その日の魚を差し出して来るのを待ちます。 その日の魚、器が差し出された瞬間、ドキリとしました。 これは、どうみても、幻の「サバ味噌煮」ではないですか。 隣のサラリーマン二人連れが、この幸運を喜び合っています。 (私は、この喜びを、Rettyを閲覧されている方々にお伝えしたい。) サバを、ブツ切りで煮込んであります。 試しに、中骨に沿って、開いてみました。 中まで、確り味噌が浸透しているのが分ります。 言い忘れてはならない重要ポイント。 中骨ごと、全部が食べられます。 歯が当たると崩れ去る中骨の食感。 中骨のさらに中まで、味噌が浸透しています。 身からあふれ出る芳醇な旨味がたまらない。 味噌汁は、油揚げと豆腐に、たっぷりの三つ葉。 副菜が、また、どれもこれも美味しい。 幸せな気持ちになります。 お礼を言って、千円札を1枚お渡しし、店を出ました。 神田明神へと向かう石段(男坂)を登ります。 【蛇足】 「明神下 あさ野」から、神田明神を見上げた辺り。 そこに、「銭形平次の碑」があります。 碑の足元は円形で、寛永通寶の文字。 大きな「銭形平次の碑」の脇には、小さな「八五郎の碑」まで控えています。 「親分てェへんだ~、あさ野のサバ味噌煮がウマすぎていけねェ~」